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行政学の発想、歴史学の発想 [情報公開・文書管理]

前の記事で記載したように24日に日本計画行政学会の関東支部のワークショップに参加してきました。
率直な感想としては「異分野交流は楽しい」。これに尽きると思った。
行政学と歴史学の発想の違いが非常にクリアにわかって、なるほどと思わされることが多かった。

特に、私の発想との最大の違いとなって現れたのは、「文書廃棄」をめぐる問題である。
日本計画行政学会は、その意見書「公文書管理のあり方」の中で、全文書のリアルタイムでのデジタル保存を主張されていた。
それに対し、私が「アメリカの国立公文書館でも9割のルーティンワークの文書は廃棄しているので、全て保存する必要はないのでは。」ということを意見として述べたら、ものすごい勢いで「その発想は、今の公務員の文書廃棄を正当化する可能性がある」といったような反発を受けた。
おそらく、私がコメントで「政策過程の文書保存の必要性」を話していた一方で、こういった話をしたから「なんで?」と思われたということもあるのだと思う。
その反応を受けて、「なるほど、この発想の違いは面白いな」と感じた。

日本計画行政学会は、私の見た感じだと、「現在の政策をどう評価するか」「どのような政策を立案するか」という発想をする方が中心となっており、公文書管理問題への取り組み方もそういった「現在の視点」から発想されているということがわかる。
そのため、彼らにとって重要なのは、政策を立案するための根拠となっている細かいレベルからの情報である。
また、報告者の一連の報告を聞いていた時に強く印象に残ったのは、「数年前の文書を請求したのに、規定で年限が来たから廃棄した」といった「不存在」という反応が返ってきていることに対する不満が、相当に強く意識されているのだなという感じがした。つまり、文書そのものが隠されたり廃棄されたりという実体験をした方がどうやら多かったように思う。
だから、「全ての文書を保存・公開」という発想が生まれてくる。

もちろん、この考え方は私にもわからなくはない。ただ、歴史研究者の発想は、もうちょっと長いスパンで物を考えている。会場では反論できる雰囲気ではなかったので続きを話さなかったが、その場にいた人の中にはこのブログを読んでくださっている方がいると思われるので、私の意図をきちんと書いておきたい。

アーカイブズ学の世界などではよく言われていることだが、情報は時間の経過とともに「劣化」するものである。
現在は不開示情報であるかもしれないが、時間が経過すると不開示にしている意味が薄れる情報というのがある。例えば、工事の入札に関する情報とかは、事前に公開されれば問題になるわけだから当然不開示になるが、入札が終了してしまえば公開しても問題はなくなる。
これは短いスパンだが、例えば国立公文書館の個人情報の扱う規則を見ると、50年以上経過すれば、個人の学歴や財産情報などは開示対象となる。つまり、その情報が公開されることによる不利益は、文書が作られてから50年も経過していればなくなっているという解釈である。
このように考えた時、全ての文書を50年、100年残す意味があるのかという点は問われる必要があると思う。

例えば極端な話だが、各省庁での消耗品(トイレットペーパーとでも想定してほしい)の購入にかかった領収書は、50年後に意味のある資料であると言えるだろうか。
確かに、どのように予算が使われているかという行政監視という点から見れば、予算執行5年や10年なら、それは意味のある情報だと言えるかもしれない。でもその後はおそらく誰一人としてそのような資料を見る人はいなくなるだろう。その場合、その資料はスペースを無駄に取っているということになる。

「別にデジタル化した場合はスペースも取らないし捨てる必要がないでは」ということを言う人がいるかもしれない。しかし、情報というのはただあればよいというものではない。
みなさんは、グーグルで何か用語を検索した時に、あまりにヒット数が多すぎて困ることはないだろうか。
その場合、複数のキーワードを入れたりして情報を絞るということをすると思うのだが、もしその情報の分母が膨大に過ぎれば、目的とする資料にはなかなかたどりつけなくなる。
また、複数の検索語にひっかかってくるというためには、元資料に複数のキーワード(メタデータ)が付与されていなければたどり着くことは困難となる。それを全データに付けようと思ったら、その労力は半端ではない。またキーワードを付けたとしても、その情報は膨大な量になる。データの全文検索などしたら、もっと情報が大量になって収拾がつかなくなる。
つまり、情報は過多になりすぎると、実は使い物にならなくなるという逆の現象を生むことにつながるのである。「木を隠すには森に」という言葉があるが、逆に情報隠しのために大量の「森」が作られてしまうかもしれないのだ。

だからこそ、そこに「アーキビスト」という職業の意味が出てくることになる。
アメリカで公文書を廃棄できるのは、国立公文書記録管理局(NARA)のアーキビストだけである。
彼らはどの省庁からも独立した地位を持ち、未来を見据えた資料の選別を行うのである。
そこには各省庁の恣意は入らない。
明確な基準を元に選別作業が行われるのである。そこで、不要と思われた9割の資料が廃棄されるのである。

そこで話を戻します。
日本計画行政学会の人たちが問題としていたのは、「文書廃棄を容認することが情報隠しにつながる」という考え方である。
でも、それは「現在の廃棄のやり方」だと起きうることということなのだ。
例えば、高速道路の工事費の積算根拠が5年経ったら廃棄処分になって捨てられているというのは、国土交通省の文書管理規則がおかしいのである。また、各省庁に廃棄権限があることにも問題があるということなのだ。

つまり、「廃棄」が問題なのではない。
廃棄を判断する「主体」が自省庁であるということが問題なのだ。

そもそも、積算根拠のデータをその道路が完成する前に捨てているという自体が明らかにおかしいわけである。少なくともアメリカのように第三者機関がきちんと審査をすれば、その文書は保存されるはずである。もしその省庁が、道路完成前にその文書が必要ないと判断すれば、その時こそ「中間書庫」が役に立つのだ。

ちなみに、私が「この考え方は私にもわからなくはない」と上で書いたのは、現行制度では残念ながら安直に廃棄が行われていることがわかっているからである。
ただ、それへの改善策として、歴史研究者やアーカイブズ学の人は、文書の移管廃棄を行う権限を持つ第三者機関の設立を要求することがあたりまえの発想としてある。
でも、日本計画行政学会の意見書には、この点には全く触れられておらず、「全て保存公開」という主張になるのだ。おそらく情報は全て「開示」するべきものであり、そこに選別や審査は必要ないという考え方であるためかなと思う。

私にはこの違いがものすごく面白いと思う。
日本計画行政学会の人たちにとっては、まさにリアルタイムの情報が欲しい。でも、それは色々と難癖付けられて不開示になったりする。それを打破するためには「全部出せ」という発想になるのは自然である。そして「全部保存せよ」ということも。
でも、歴史研究者にとっては、公文書館にルーティンワークの情報まで大量に移管されていても逆に使いづらくなって困るのである。むしろ第三者機関がしっかりと選別して、情報を保存して欲しいのである。

そして、この二つの主張は、実は調整可能である。つまり、リアルタイムで行政監視をするのに必要な資料はきちんと各省庁ないし中間書庫で保管し、文書の重要性に応じた年限を越えた資料は、公文書館に選別して入れればよいという話なのだ。その年限や破棄の基準は、第三者機関によって定められればよいのだ。

こういった意見のすり合わせというのは、きちんと行われないことが多い。
今回私が発表してみて思ったのは、日本計画行政学会の人は歴史学やアーカイブズ学の人の意見をほとんど知らないということ、そしてまた逆も然りということである。
おそらく、異分野の研究者が共通の認識を構築する必要性を感じた方が私を呼んでくださったのだと思う。その意味では私にとっても非常に勉強になったし、ささやかながら日本計画行政学会にも寄与できたのではないかと思っている。このような、学会横断的な「共闘」がこの問題についてはもっと行われる必要があると改めて感じた。

他の方の報告についてなど、色々と書きたいことはあるのだけど、すでに長文なので日を改めて続きを書きます。
続き
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日本計画行政学会で話をします。 [情報公開・文書管理]

今週末に、日本計画行政学会関東支部のワークショップでコメンテーターをやることになりました。
自分とは全く畑違いの学会です。
このブログを読んでくださっていた学会の方から、「歴史研究者の立場からのコメントを」という依頼を受けましたので、喜んで引き受けさせていただきました。
実際に業務に携わっている公務員の方も会員にいるような学会のようなので、いろいろと日頃考えていることを話してこようかと思っています。このブログに時折書き込みを下さる逢坂誠二議員も報告者でおられるようですし、楽しみです。
来場は自由だそうですのでご興味ある方はどうぞ。

日本計画行政学会 関東支部主催「行政手続研究専門部会ワークショップ」案内

■テーマ:公文書管理のあり方
■日時:2009年1月24月(土)13:00(受付開始)13:30~17:00
■会場:武蔵工業大学環境情報学部(地図:http://www.yc.musashi-tech.ac.jp/top/access.html
東急田園都市線あざみ野駅から横浜市営地下鉄で一駅の中川駅下車徒歩5分。
会場は3号館3階のA教室(33A)
■主催:日本計画行政学会・関東支部 参加無料
WS参加希望はTel 045-910-2590 aoyama@yc.musashi-tech.ac.jp(青山)まで

■ワークショップ(WS)開催目的
 政府は、08年6月、福田康夫前首相のもと公文書管理法案を次期通常国会までに提出すると閣議決定した。また内閣府に設置された「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」は、中間報告(08年7月)を、同11月に最終報告を発表。小渕優子公文書管理担当大臣がこの報告書を麻生太郎首相へ提出した。これを受け、09年度国会で公文書管理法案の提出が見込まれている。
 しかしながら、中間報告と最終報告には公文書管理における「第三者」の関与など相違点が見受けられる。そこで「行政手続研究専門部会」(部会長:福井秀夫)はWSを開催し、新たな視点を取り入れ、当専門部会として10月16日に発表した意見書を踏まえた公文書管理の本来のあり方を改めて討議する。

◆前半(論点提供)
開会挨拶 原科幸彦(東京工業大学大学院教授、日本計画行政学会会長)
司会 青山貞一(武蔵工業大学大学院教授、関東支部理事)

ニセコ町の情報公開条例/国会における行政情報開示の現状 
  逢坂誠二(衆議院議員)
財政史開示請求訴訟結果/日弁連意見書
  西村啓聡(弁護士)
「中間報告」と「最終報告」の相違点
  浅見泰司(東京大学教授)
行政手続研究専門部会が目指すもの-意見書「公文書管理のあり方」
  福井秀夫(政策研究大学院大学教授)他研究専門部会員

◆後半(討議)
 コメンテーター 瀬畑源(一橋大学大学院社会学研究科)
司会・議事進行:福井秀夫
1.公文書の定義
2.行政改革としての公文書管理法案の(省令落ちさせない)必須事項
閉会挨拶:青山貞一

■WS事前資料:
「時を貫く記録としての公文書管理の在り方」(最終報告案)見え消し版
http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/koubun/dai12/siryou2.pdf(*赤字が中間報告と最終報告の相違点)

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別冊『環』15号「図書館・アーカイブズとは何か」を読む [情報公開・文書管理]

昨年11月に発売された、別冊『環』第15号「図書館・アーカイブズとは何か」(藤原書店)を読んだ。

図書館・アーカイブズとは何か (別冊環 15) (別冊環 15)

図書館・アーカイブズとは何か (別冊環 15) (別冊環 15)

  • 作者: 粕谷 一希
  • 出版社/メーカー: 藤原書店
  • 発売日: 2008/11/18
  • メディア: 単行本


なかなか読み応えのある分量であり、歴史学、アーカイブズ学、図書館学を初めとして様々な分野の専門家による論考が並んでおり、アーカイブズ問題や図書館問題についての概況を知るには格好の書物となっていると思う。

興味深かったのは、これまであまり読む機会の無かった図書館問題についての論考である。
特に図書館学の人達の論考はあまり読んでいなかったので、興味深く読んだ。そして、アーカイブズ関係の人達の何人かが言っていた「アーカイブズ学を図書館学の二の舞にするな」ということの一端も垣間見ることができた。

図書館学の論考は、図書館経営論というよりも、「情報学」、それとも「知識情報学」とでもいうのだろうか、情報や知のネットワークをどう構築するかなどというような話が多いように見えた。
その一方で、図書館が「無料貸本屋」状態である事への批判が、様々な論考で取り上げられている。
でも、具体的にどうすれば「無料貸本屋」であることを脱することができるのかという点については、理想論が語られているだけで、実効性の部分でどうもあやふやなような気がするのだ。
少なくとも税金を投入している以上、図書館は住民が読みたい本を揃えざるをえない。でもそうすると、『ハリーポッター』の同じ巻を10冊とか揃えなくてはならなくなる。
これが図書館として問題だというのはよくわかる。でも、それを打破するためには具体的にどうすればよいのだろうか。

もちろん学者の論考にそういう実効性を期待すること自体が違うのかもしれない。でも、図書館学の人達は、まさに図書館の現場を担っているはずの司書を養成している当事者ではないのだろうか。
確かに正規職員として司書が1名以下の図書館は半数を超えるとのことだが、現在の図書館に問題があるというのであれば、やはりそこには司書を育ててきた図書館学の構造的な問題が何かあったのではないかと、素人ながら思ってしまうのだ。
本書冒頭の、粕谷一希氏(元中央公論編集長)と長尾真国立国会図書館長、菊池光興国立公文書館長の対談の中で、粕谷氏が図書館学の閉鎖性と、図書館員達の「選書」(どの本を図書館に入れるか)の能力の無さを厳しく批判していることについて、図書館学からはどのような答えがありうるのだろうか。図書館を設置している自治体の責任というだけで済む問題なのだろうか。

もちろん、この本に載っている図書館学の人達の論考は、ウェブ時代の情報のあり方などについて色々と考えさせられる論考を含んでいることは確かである。でも、やはりどのような図書館員(司書)を育てるかは、図書館学の人達の双肩に多くはかかっているはずである。その点についての論考が無いのはやや残念ではあった。

また、これは図書館学の話に留まらない問題である。
現在のアーカイブズ学は、歴史学出身者と図書館学出身者の集合のように私には見えているので、現在の図書館員の育成とアーキビストの育成はどこかでリンクされてくるはずである。
今後、アーカイブズを担うアーキビストの大量養成が必要となるような状況の中で、ただ情報管理や整理技術を持つ人をのみアーキビストとして養成することにならないだろうか。おそらくそこが、私の知り合いの歴史学出身アーキビスト達の不安という点に結びついているように思う。
なお、こういった点から考えると、本書の伊藤隆氏と大濱徹也氏という二人の歴史学の大家の述べるアーキビスト像の対立(歴史学者の延長としてのアーキビスト像と、両者は別物であるとすること)は、こういったアーカイブズ学の中での歴史学と図書館学の発想の違いの一端を現しているのだなと思う。

私はアーカイブズ学や図書館学の専門家では全くないので、批判内容は筋違いなことを書いているのかもしれない。
ただ、今後図書館やアーカイブの運営を担っていく人達には、ある種の「共通教養」というものを意識的に付けさせる必要があるのではないのだろうか。
それは、歴史学、行政学、法学(情報公開や著作権など)、それにプラスして図書館学とアーカイブズ学というのが私のイメージだが、もちろん他にも色々な素養が必要になると思う。レファレンス能力なども考えれば、専門としての図書館学やアーカイブズ学にプラスして、様々な学問を薄く広く行っておく必要はあるように思える。

ひょっとするともうこのようなことは行われているのかもしれない。でも、今後どのような「司書」「アーキビスト」を育てるのかという点については、あまり明確に「これ」という像が見えていない気もするのだ。私が見つけていないだけであるならば、ただの私の不勉強で済む話なのだけど・・・。

何だか、妙に図書館学に突っかかるような書き方になってしまった(反省)。
別にこの本がそれだけを取り上げているわけではないのだ。色々と示唆に富む内容なので、興味がある人は是非お手にとってもらいたいと思う。

(せっかくなので目次を貼っておきます。藤原書店HPより転載)

目次

〈鼎談〉図書館・アーカイブズとは何か――書物への愛と知の継承

   粕谷一希(評論家)+菊池光興(国立公文書館館長)+長尾 真(国立国会図書館館長)

   (司会)春山明哲・髙山正也

■図書館・アーカイブズとは何か

日本における文書の保存と管理――現状のアーカイブズと図書館で、未来が拓けるか 髙山正也

日本の知識情報管理はなぜ貧困か――図書館・文書館の意義 根本 彰

アーカイブズの原理と哲学――日本の公文書館をめぐり 大濱徹也

個人文書の収集・保存・公開について 伊藤 隆

アジアにおける史料の共有――アジア歴史資料センターの七年 石井米雄

データベースの思想 山﨑久道

デジタル世界における図書館とアーカイブズ 杉本重雄

〈コラム〉電子アーカイブズの危機 山下貞麿

     未来に生かす放送アーカイブ――記録と記憶を残す 扇谷勉

■「知の装置」の現在――法と政策

地方自治体の経営と図書館 南 学

公共図書館の経営――知識世界の公共性を試す 柳与志夫

文字・活字文化と図書館 肥田美代子

日本の図書館にかかわる法制度の構造と課題 山本順一

立法調査機関・議院法制局の改革と国会図書館 小林 正

機関リポジトリの現在 竹内比呂也

インターネット社会とレファレンス・サービスの将来 田村俊作

ARGの十年――図書館・アーカイブズとの関わりのなかで 岡本 真

■歴史の中の書物と資料と人物と

ライブラリアンシップとはなにか――図書館史に見る国民意識と文化変容についての覚書 春山明哲

明治・大正期の「帝国図書館」素描 高梨 章

日米関係史の中の図書館――アメリカにおける日本語図書館の形成史から 和田敦彦

印刷文化と図書館 樺山紘一

「全体知」への夢――フランス『百科全書』とその周辺 鷲見洋一

〈コラム〉図書館学先駆者ガブリエル・ノーデの時代と思想 藤野幸雄

■図書館・アーカイブズの現場から

◎アーカイブズ

外務省外交史料館 柳下宙子

沖縄県公文書館――民主主義の礎石 仲本和彦

京都府立総合資料館――近代行政文書研究のセンターとして 福島幸宏

栃木県芳賀町総合情報館 富田健司

国立女性教育会館女性アーカイブセンター 江川和子

NHKアーカイブス 江藤巌二

フジテレビのアーカイブズ 小山孝一

脚本アーカイブズ 香取俊介

慶應義塾大学アート・センター――ジェネティック・アーカイヴ・エンジン――アートの視点から 前田富士男

身装(身体と装い)文化アーカイブズ 高橋晴子

京都国際マンガミュージアム――マンガを収蔵することの逆説 吉村和真

東京電力 電気の史料館 小坂 肇

渋沢栄一関係資料の二十一世紀 小出いずみ

◎都道府県立図書館

新潟県立図書館――『新潟県中越大震災文献速報』の作成 野澤篤史

大阪府立中之島図書館――ビジネス支援サービス 前田香代子

奈良県立図書情報館――公文書・古文書の保存、閲覧、データベース化 富山久代

鳥取県立図書館――模索・実験・悩み 森本良和

岡山県立図書館――デジタル岡山大百科 森山光良

◎市町村立図書館

函館市中央図書館――地方公共図書館からの情報発信に向けて 奥野進

矢祭もったいない図書館――開館の経緯 佐川粂雄

草津町立図書館 中沢孝之

神戸市立中央図書館――阪神・淡路大震災関連資料(1・17文庫) 三好正一

長崎市立図書館 小川俊彦

伊万里市民図書館――伊万里からの報告 犬塚まゆみ

◎大学図書館

東北芸術工科大学東北文化研究センター 赤坂憲雄

国際基督教大学図書館――リベラルアーツの基盤として 畠山珠美

拓殖大学図書館――旧外地関係資料 竹内正二

◎専門・小規模図書館

ギャラリー册――「KOUGEI」と書物と 奥野憲一

日本貿易振興機構アジア経済研究所図書館――開発途上国学術ポータル構築に向けて 村井友子

日本原子力研究開発機構図書館 中嶋英充
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公文書管理法案は3月提出? [情報公開・文書管理]

民主党の逢坂誠二衆院議員の本日(12/26)のメールマガジンに以下の文章が記載されていた。

〔引用始〕
2)法案
現在、公文書管理に関し、
有識者からの報告を受けて、
担当部署で法案化の作業が進んでいます。

昨日のその担当官と
意見交換をしたのですが、
驚きの事実が語られています。

法案の国会提出は
3月頃とのことです。

しかし、
この法案化作業の途中で、
国民の意見を聞いたり、
国会議員に説明したりすることについて、
極めて消極的だと言うのです。

つまり有識者の報告受領後、
担当部署と政府内部だけで、
国会提出法案を作成するようです。

こんな非民主的な過程で、
民主主義の基本的な仕組みであるべき
公文書管理法案が策定されるとは、
何とも皮肉な話です。

こんな閉鎖的かつ非民主的な考えを
持っている皆さんに作成される法案ですから、
その内容は、
推して知るべきなのかもしれません。
〔引用終〕

逢坂氏は野党であるということを多少は差し引いて読んだ方が良いとは思うけれども、やはりいくつも気になる点が含まれている。

まずは提出は3月であるということがある。つまり、通常国会の予算審議が一番激化する時期に出されるということになる。
次に、内部で法案を固めきってしまう方向性があるということ。これは政府提案で来る以上、そうなるだろうとは予測していた。ただ、最近、行政学関係から得ている情報によれば、法案の内容は官僚寄りになるのではないかと危惧されるところが強いみたいである。

一番気になるのはやはり3月提出ということである。
きちんと国会で議論できる状況が3月にあるのか、また、民主党を初めとする野党が予算審議のさなかにどこまでこの問題に対して熱心に議論をふっかけるのか、そしてそれが修正される見込みがどこまであるのか。
法案は一度国会に出てしまえば、ほとんど大きく修正することがあり得ないというのが一般的に言われていることだ。
今後どうなるのかが、やはり心配になってきた。

とりあえず3月を待つしかないのだろうけど、そこまで麻生内閣が持つかもわからないしなあ。もし、民主党政権になったときに、改革がもっと進むのであれば政権交代を望むのだが・・・。

さて、この記事で年内の更新を終了します。
天皇の誕生日の感想も、非常に無難な表現に終始しており、特に書くことがなかったのでとりあげなかった。ただ、宮内庁長官発言後の週刊誌は軒並み「千代田と赤坂の対立」を煽っていたなあ。
最近よく、「平成の小泉信三(ご意見番)が皇室に必要」という意見があるけど、たぶん小泉のような立場になれるような人はいないと思う。天皇や皇太子と私的なつながりがあり、見識や風格も世間から認められ、天皇への忠誠心も篤い人物なんて、正直誰がいるのだという感じがするのだ。もっと現実的に侍従職と東宮職の人事交流を盛んにするとかいった地道な努力が必要なのではないだろうか。

今年は「眞子様萌え」のまさかのヒットにより、ブログの読者が大量に増えた年でした。ご愛読いただきましてありがとうございました。また来年もよろしくお願いします。
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米国国立公文書館が史料をネット公開 [情報公開・文書管理]

数日前の記事。引用します。

大戦の史料 ネット公開 米国立公文書館

2008年12月20日 朝日新聞

 【ワシントン=勝田敏彦】米国立公文書館が、第2次世界大戦に関する史料の大規模なインターネット公開を始めた。旧日本軍がハワイ・真珠湾を攻撃した7日(日本時間8日)を前に発表。従来は有料サイト(年間料金69.95ドル=約6100円)だが、今月中は無料。同館かその分館でしか見られない史料を利用しやすくするのが狙いだ。

 歴史資料を集める民間のウェブサイト「フットノート」(www.footnote.com)と協力し、まず史料50万点、写真10万枚を同サイトに掲載。連合国軍が撮影した日本各地の偵察写真や、日本軍兵士の日記の英訳なども含む。今後、掲載を増やす。

 公文書館のジェームズ・ヘイスティングス普及部長は「『グーグル世代』に、歴史上重要なこの時期の記録に触れてもらいたい」と話す。「フットノート」には、利用者が写真や文書を投稿できる。この企画は、公文書以外の記録を広く収集する狙いもある。
(引用終)

ほう、と思ってとりあえず検索をしに行ってみた。
ここ

見た感じだと、兵士一人一人の情報を国民に提供するという色合いが強いのかなという感じがした。
それは、トップページに
"Remembering honor, duty and country"
と副題が付いているのがその証拠だと思う。

あまり詳しく見てないので解説はできないのだが、Emperorで検索してみたところ、空襲で焼け落ちた明治宮殿(現在の宮殿のところにあった)の航空写真があった。
kyuu.jpg
昔の明治宮殿の地図と比較してみると、一番左上の部分が「御車寄」で、その先が二重橋になる。つまり現在の宮内庁の上空あたりから二重橋方面を撮影したという構図だと思う。

気になったのはむしろ、朝日の記事にある「この企画は、公文書以外の記録を広く収集する狙いもある。」という部分。つまり、個人が所有している記録を自分でアップロードすることができるということなんだろうか。
これは史料が確かに飛躍的に増えるということにはなるだろうけど、一方で原本がどこにあるかわからない史料が大量に出現するということにもなるような気がするのだが、そのあたりはどうなっているのだろうか。
だれか、詳しい方が解説してくださるとありがたいなあという感じです。(他力本願(-_-;))

アジ歴などもそうだけど、ネットでどんどんと史料が見れる時代なんだなあということを実感する。こういった技術の進歩に追いつかなければならないというのは、便利である反面、しんどいなあという感じもする今日この頃。
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厚生労働省は文書の宝庫 [情報公開・文書管理]

今日になって見つけた新聞記事。引用します。

旧麻生鉱業に外国人捕虜300人=63年前、公文書に記載-厚労省

12月18日16時57分配信 時事通信

 麻生太郎首相の親族が経営していた旧「麻生鉱業」(福岡県)に戦時中、外国人捕虜が300人いたと、厚生労働省が保管していた公文書に記載されていたことが18日分かった。
 民主党の藤田幸久参院議員の求めに応じ、同省が回答した。藤田議員によると、首相は外相時代から旧麻生鉱業に捕虜がいたことを一貫して否定。政府として認めたのは初めてという。
 同省が藤田議員に示した公文書は4つあり、陸軍省を引き継いだ旧第一復員省などが作成したとみられる。
 旧麻生鉱業吉隈炭坑の捕虜収容所「第26分所」に、1945年5月10日から終戦の8月15日まで、英国人101人、オランダ人2人、オーストラリア人197人がおり、うち同年7月にはオーストラリア人2人が死亡したなどと記載されていた。  18日記者会見した藤田議員は「首相は捕虜の労働条件や、死亡との因果関係について検証する責任がある」と話した。
 厚労省社会・援護局は「捕虜を使うのは当時の状況では普通のこと。虐待などがあれば問題だが、この資料からは分からない」としている。 

(引用終)

記事内容は民主党の麻生首相への揺さぶりということなのだろうが、私が注目するのは「やはり厚生労働省は昔の公文書を結構持ってるんだなあ」というところだ。
社会・援護局から出てきた文書らしいというのは、コメントからわかるので、折角だから社会・援護局が持っている1945年度の史料がどのくらいあるのかを、ファイル管理簿から調べてみた。

・海軍省規定(1945年度)
・沈没艦船(1945年度)
・連合軍書類(1945年度)
・復員書類(1945年度)
・遺骨書類(1945年度)
・部隊概要(1945年度)
・書類移管目録(1945年度)
・未帰還者調査(1945年度)
・艦船(1945年度)
・海軍諸例則(1945年度)
・旧引揚援護局人事記録(1945年度)

結構あるなあという感じ。たぶん今回の文書は「連合軍書類」から出てきたものと思われる。
こうみると、復員や連合国捕虜のことを書いている歴史研究者は、この厚労省の中の文書を見て書いてるのかなということがすぐに思い浮かぶ。おそらくほとんど見てないのではないのだろうか。
是非とも、復員とかを初めとする「兵士達の戦後」を調べている人は、きちんと厚労省が内部に保存している文書まで調べてほしいと思う。

まあ本来なら、これだけ古い文書なら、全部国立公文書館に移管しとけという感じなんだけどねえ・・・。援護業務が終わるまではたぶん「現用」と言い張るんだろうなあ・・・(ただそういった理由で残っているので、簡単には廃棄しないとは思うけど)。
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公文書管理有識者会議の最終報告発表(速報) [情報公開・文書管理]

本日の時事通信の記事。とりあえず引用しておきます。

国に管理強化求める=公文書館「特別な法人」に-有識者会議

 政府の「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」は4日、最終報告をまとめ、小渕優子担当相に提出した。省庁によって異なる文書作成・管理のルールを統一し、文書管理の専門家の下で国立公文書館への移管や廃棄の扱いなどを判断するシステムを提言。公文書館については、現在の独立行政法人から「特別な法人」に改組することが適当とした。
 報告では、公文書管理改革について、「職員が誇りと愛着を持って公文書を作成し、堂々と後世に残せる仕組みを作る」と強調。公文書館は職員数100人規模の特別な法人にし、権限を強化するよう提言した。関係者が利用しやすいよう、同館を現在の東京・北の丸公園から霞が関周辺への移転を検討することも求めた。
 同会議は、薬害肝炎の症例リスト放置など行政文書のずさんな管理を問題視した福田康夫前首相の提唱で設置。政府は公文書管理法案(仮称)を次期通常国会に提出する。(了)
(2008/11/04-10:49)

まだ、最終報告書が有識者会議のHPにアップされていないのでコメントはしませんが、上がり次第、早急に報告書についてのコメントを連載しようと思います。

最終報告書がアップロードされました。
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公文書有識者会議最終答申案速報 [情報公開・文書管理]

今日の時事通信の記事。

公文書館は「特別な法人」に=有識者会議が最終報告案

 政府の「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」は16日、国の公文書の移管先である国立公文書館について、現行の独立行政法人の形態では権限が小さいとして、機能強化した上で「特別な法人」に改組することが適当とする最終報告案をまとめた。今月中に小渕優子公文書管理担当相に提出する。
 7月の中間報告では、特別な法人のほか、国の組織に戻す案を示していたが、効率的な運営がしやすいとの観点から特別な法人を選択した。
 また、利便性を高めるため、公文書館機能を現在の東京・千代田区北の丸公園から同霞が関に移転拡充させる必要性もあるとした。(了)(2008/10/16-13:00)


現在の国立公文書館は国家機関ではなく独立行政法人のため、各省庁の文書管理に対する権限を持たせることすら不可能な状況になっている。
そのため、有識者会議では、①国立公文書館を内閣府の内局ないしは外局に「公文書管理庁」のようなものを設置してその元に国家機関として置く②同じような「公文書管理庁」のようなものを設置して、その元に現在の独法よりも権限の強い特別な法人として位置づける、という二つの案があって、これが中間報告にも併記されていた。→有識者会議第11回資料9参照

この両案はメリット・デメリット両方あって、どちらを選んでも一長一短ではあった。
①を選べば、国家機関になるために各省庁に対する権限は強まるだろうが、公務員の定数法の関係で自由に職員を増やせないなどの制限がかかる。また「行政府」に属するために、将来的には司法や立法の公文書受け入れにマイナスになる可能性がある。
一方、②を選べば司法立法の文書受け入れや職員採用などに自由が利くようになるが、国家機関でないためにどこまで各省庁の文書管理に権限を持てるかがわからない。また、財務省に対する権限もさらに弱くなるだろうから、予算をどこまで付けてもらえるかも怪しくなる。

ただ、②を選んだ上で、法的に公文書管理へ権限を持たせることができれば、その方が機動性は高くなるだろう。おそらくそういうことを考えて、結論を②に持っていったということなのだろう。
具体的には、最終報告が出たところで再度書きます。

あと、国立公文書館機能を霞ヶ関に移動するというのは、公文書館自体を霞ヶ関に新設するつもりなんだろうか。そこも少し気になるところではある。
短い記事なので、これだけではよくわからないけど、とりあえずは速報まで。
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逢坂誠二議員と公文書管理問題 [情報公開・文書管理]

以前、公文書管理の有識者会議メンバーの宇賀克也氏の講演会に行った話を、このブログで書いたことがある。
実はその時に、宇賀氏に質問をしていた国会議員が一人いた。「議員の中にこういったことに興味を持ってくれる人がいるのだな」と思って、非常に鮮明に覚えていた。
その人は、民主党の逢坂誠二衆議院議員である。

逢坂誠二氏は1994年から2005年まで北海道のニセコ町長を勤めた後、衆議院に転じた方である。
町長時代には、全国初の「まちづくり基本条例」を作るなど、先進的な取り組みを数多くしたことで知られている。→詳しくはwikiにて
私も名前だけは記憶があった。

今回、福田内閣が倒れたことで、民主党の側の公文書管理問題の取り組みがどうなっているのかが気になって少し調べてみた。
そこで、逢坂氏のことを検索してみたところ、Videonews.comというサイトで、公文書管理問題についてのインタビューを受けていることがわかった。(有料)
早速、それを見てみた。

なお、内容の要約はYahooで記事になっているのでそちらをみてほしい。(下記の引用部分もこの記事から取っている。)

逢坂氏が公文書管理問題に注目した原体験として挙げていたのは、まだニセコ町役場の係長だった時代に、スウェーデンの役所に勤めている友人を厚生労働省に案内したときのことだ。
そこでその友人は、書類が山のように積み上がっているオフィスを見て、「これは倉庫ではないのか」という疑問を提示した。
つまり、これでは何が重要で何が作業中の物かわからないし、またもし例えば自分がそこらにある書類を数枚持ち去ったとしても気づかないのではないか、ということである。

これは、有識者会議の第5回の資料6で、民間会社から出向して役所に勤めている人達が官庁の情報管理についてのコメントしたものの中でも指摘されていた。→私の解説
この状態は、要するに「情報漏洩の危険性を常にはらんでいる」というだけでなく、「情報公開を請求されたときにすぐに対応ができない」ということにもつながっている。また、業務の効率性(書類を探す手間など)についても大いに問題があることを示している。

逢坂氏はニセコ町長に就任したときに、町役場の書類のあり方を見直し、職員の机から書類を一掃したらしい。
この経緯が書かれた竹内謙氏のコラムによれば、逢坂町長は「情報共有」を基本とするために、文書を1つしか作らずに、それをその部署の共有フォルダに管理し、常に誰でも(部外者も含めて)見れるような状況にさせたそうである。つまり、私文書を全て無くしてしまったということである。
ニセコ町役場のHPにその細かいシステムについての説明があるが、ファイル管理方法としては非常に合理的なものであると言えるだろう。

逢坂氏の公文書管理問題への取り組みは、情報公開を利用することで、合理的な行政を行うためのシステムを構築しようとしたところから始まっている。その意味では「実際に公文書管理システムを作り上げた経験のある議員」という、非常に特異な立場にある方だと言えよう。

インタビューの内容の話に戻ります。
逢坂氏は、このインタビューの中で、予算情報の開示を例に取りながら、公文書管理問題を説明していた。
逢坂氏によれば、各省庁は1000円単位の予算の積算は持っているが、決算はそこまで細かいものを持っていないらしい。
つまり、実際にどこまで有効に予算が使われたかは、まったく追跡できないのだという。

逢坂氏は、この問題は、最近言われる「埋蔵金問題」と比較して「砂金問題」であると述べる。
つまり、通常予算は「水増し請求」されているのではないかということだ。
そして、例えばその予算が全ての部局で5%ずつあればそれだけで数兆円の「砂金」が出てくるのだと指摘する。
このあたりは、逢坂氏のHPでわかりやすいコラムがあるので、そちらも参考にしてほしいのだが、確かに年度末になると道路工事が多くなるとか、科研費の予算を使い切るために文房具が大量に買われて、それが院生の中で出回ったりすることがある。
役所は予算を使い切らないと減らされると思っているし、足りないと困るので、水増し請求をした上で、さらにそれを使い切ろうとするということなのだ。

また、逢坂氏によれば、毎回国会が始まると、野党側は「情報を出せ」と迫り、与党・官僚側は「それは出せない」という駆け引きがずっと続くのだという。
そもそも「野党」だから出さないという問題は論外のはずである。公文書とは「国民」に対する説明責任を負っている。そこに与党も野党も関係ないのである。→これは最近問題になった、自民党が民主党などの資料請求を事前検閲していた話とつながる。
だから、逢坂氏は次のように語る。

 民主主義では適切な情報が出ていることが大事だ。ところが、予算情報ですら日本ではこのような現状で、文書情報・公文書についてはさらにひどい状態だ。政府はしっかりと活動を行っているか、この政策はどのような経緯で決まったのかを国民が調べようとしても、できない。
 今のような予算情報や文書管理を正していかない限りは、国会でいくら議論にエネルギーを費やしても意味がない。


本当にその通りだと思う。
そして、逢坂氏はニセコでの体験から、公文書管理を変えるということはどういう事なのかを次のように語っている。

 公文書管理のあり方を変えるということは、公務員の仕事のスタイルを変えるということだ。役所に入ったときから植え付けられた「公務員のDNA」とでも言うべき部分を変える必要がある。「情報はなるべく出さないほうがいい」と教えられて10年、15年と仕事をしてきた方にとっては、いきなり情報公開といっても簡単には行えないだろう。時間をかけて議論し、DNAを変えるプログラムを組む必要がある。
 公文書管理の体制を導入するだけならば、1~2 年で行うことができる。しかし、長年古い文書管理をしてきた方からの抵抗が必ず起こる。最初から新たな文書管理体制の下で働き、当たり前のこととして文書管理を行う職員がせめて5年から10年仕事の経験を積むようになれば、役所の中は随分変わる。その後は、自動的に変わっていく。


本当に、逢坂氏はこの問題を非常に良くわかっている方なのだということをこの発言から強く感じる。
公文書管理問題は、導入するまでが大変だが、軌道に乗ってしまえば役所の仕事の効率性も上がるし、情報公開も進むのである。


長くなってきたのでそろそろまとめます。
逢坂氏の考え方には全面的に賛同できる。この問題を非常に深いレベルで理解しているだけでなく、実地での経験も持っている非常に貴重な議員であることは疑いない。
また、行政改革の視点だけでなく、歴史史料としての公文書の問題についてもインタビューの中で触れており、そちらについても目配りが利いていることもわかった。

逢坂氏は衆議院の総務委員会(2008年2月22日)で当時の福田首相に質問を行った際に、「私、実は国会議員になった大きな理由の一つはここ(公文書管理問題)なんですよ。」と明言されている。
是非とも、継続してこの問題に取り組んでいただきたいと切に願っている。
ただ1年生議員なので、どこまで民主党の中で権力があるのかはやや不安があるが。
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自民党が野党の資料請求を事前検閲していた話について [情報公開・文書管理]

昨日(今日の朝刊)の朝日新聞の記事。

「野党の資料要求、事前提示を」 自民が全省庁に要請
2008年10月2日21時35分 朝日新聞

 自民党国会対策委員会が全省庁に対し、民主党など野党から資料要求があった場合は事前に自民党側に提示するよう求めていたことが2日、明らかになった。内閣総務官室が自民党国対の要請を取り次ぎ、すでに実施していた省もある。野党側は「事前検閲だ」と反発。国会議員の調査活動が自民党の都合で狭められる懸念も出ている。

 内閣総務官室によると、自民党の村田吉隆国対副委員長が9月12日、各省庁の官房長に「民主党の国対委員長に、各府省の事務負担軽減の観点から資料要求のあり方などについてのルール作りを申し入れている。既存の資料を除き資料要求の実態を把握するため、事前に個別に自民党国対に相談して欲しい」と要請。内閣総務官室が各省庁の国会担当者に指示したという。

 これを受け、農水省が9月12日付で「野党からの資料要求には、各省庁限りの判断で資料を提出することは厳に慎み、自民党の国対筆頭副委員長に相談すること」という文書を作成し、省内に通知していたことがすでに明らかになっている。

 財務省の杉本和行事務次官は2日の記者会見で、事実関係を認めたうえで「議院内閣制なので、国会対策などで政府と与党が連絡を取ることは特に問題はない」と強調。村田氏は1日、記者団に「ルールづくりのために実態把握が必要なのでご相談くださいと申し上げた。資料を止めたことは全くない」と語った。

 麻生首相は2日の参院本会議で、「実態を把握するため、自民党から各省に情報提供を依頼したものと理解している。与野党間でルール作りを進めていただくことも期待している」と答えた。

 国会議員による資料要求は憲法に基づく国政調査権の発動とは異なり、あくまで任意の請求。しかし、ねじれ国会で、各省庁とも野党の要求を無視できなくなり、「居酒屋タクシー」や「消された年金」などが民主党の資料要求で明らかになっている。

 野党の資料要求についての自民党国対との協議は、以前から一般的に行われていたとみられ、杉本次官は2日の会見で「従来から必要に応じて与党の国対と相談している。相当昔からやっている話で、改めて今回(要請が)あったと理解している」と語った。

 民主党の菅直人代表代行は2日の記者会見で「与党が直接、役所の資料の管理までコントロールするのは民主主義を破壊する行為だ」と批判。同党は6日から始まる衆院予算委員会でも追及する方針。

 内閣総務官室は内閣の事務部局として国会との連絡に当たり、内閣が予算案や法案を国会に提出する際の窓口。
(引用終)

さて、この問題、ずっと私がブログで取り上げている「公文書管理問題」とものすごく関連が深いのである。
私が注目したのは、太字にしておいたが「各府省の事務負担軽減の観点から」、野党の資料請求を「調整」しようとしているという点である。
つまり、記事を見ると、民主党などからの資料請求が「多すぎる」から、それを「減らす」ためのルールを作ろうということを自民党と各省庁が検討しているということのようなのだ。

野党からの資料請求が「多い」から困るというのは、それは省庁側が説明責任を放棄しているという事に他ならない。
本来そこでやらなくてはならないのは、「請求を減らす」ということではなく、「請求に迅速に対応できるシステムを作る」ということに他ならない。

「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」が7月に出した「中間報告」では、「公文書管理のあるべき姿」として、まず第一に公文書の「作成・整理・保存」の問題が取り上げられている(4~8頁)。
そこでは、各省庁において、文書の書式やファイルの編集方法のルールが明確でないことや、個人単位で文書を持っているためにファイリングが職員任せになっているなどが問題点として取り上げられ、その改善の必要性が強調されている。
つまり、なぜ野党の要求が「面倒」になるのかというのは、日頃からファイルに系統立って資料をまとめるという「整理術」がないからである。
もし、ある問題についてきちんと一つのファイルに情報をまとめていたのであれば、要求があったときにそれをそのままコピーして渡せばよいだけである。
これが日常的にできていないので、請求があったときにあわててかき集めるから時間も労力もかかるのである。

また、請求があったのならそのまま渡せば良いのである。自民党国対に相談するというのは要するに隠れ蓑であり、省庁側が都合の悪い資料を選別して相手に渡そうとするための方便である。
その選別にも時間を掛けているから、「事務負担」がかかるのである。何も考えずに全て渡してしまえば済む話なのだ。

そもそも、公務員の仕事は、国民に対する説明責任を負っている。
そして、文書を整理すると言うことは、自分たちの仕事をやりやすくするためだけではなく、最終的にそのファイルを見れば説明責任を果たせるという考え方で行われなければならないのだ。

今回の問題で、各省庁の発想が、公文書管理で今行われようとしている改革の逆を行っていることが、これでまた一つ浮き彫りになったと思われる。
この問題は「自民党の検閲」が問題なのではない。その根本にある考え方そのものに問題があるのだ。
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