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NHKアーカイブスについて聞いてきた [2011年公文書管理問題]

12月21日、所属大学のプロジェクトの関係で渋谷のNHKにおいてライツ・アーカイブズセンターの関係者の方と会う機会があり、NHKアーカイブスについて色々とうかがってきた。
メモ代わりに、まとめて書いておきたい。

なお、私がメモしたことなので、正確に聞き取れていない点、勘違いした点などあると思いますので、参考程度に考えてください。
関係する記述はある程度固めておきますが、基本的にバラバラに列記しておきます。

(ここから)

・NHKでは以前は「放送」の名の通り、流しっぱなしで保存することを考えていなかった。また、著作権法上でもNHKが一からすべて作ったもの以外は6ヵ月しか保存できないという規定があったため、保存することも難しかった。また、1960年代から使われるようになったVTRテープは上書きして繰り返し使えるので、コスト削減のために何度も利用されていた。よって上書きされた番組は残っていない。

・1985年から番組を残そうということになり、文化庁にも許可を取って番組ライブラリーを整備した。その後、保管スペースの問題が出てきたので、川口のラジオ送信所があったところに施設を建てることになった。
・その際に「活用のため」という理由で予算を取った。設立理念として「活用」がまず第一に存在する。施設を作る際も一般公開場所の確保は当然であった。

「活用」が大前提。NHKは公文書館などとは違い、保存や公開の義務は全く負っていない。ただ、受信料で成り立っている組織である以上、視聴者に還元することが必要。
・アーカイブスは建物の建築に80億かかっている。毎年の予算で一番かかるのは「保存用メディア」。1本2万円かかり、さらに再利用できないので、全ての番組を保存しようとしたらそれだけで1年で億単位のお金をかけざるを得なくなる。

基本的には記録媒体の置き換えは行っていない。ただし、再生機器が無くなりそうなものについては置き換えを行っている。また、フィルムなども、太さの種類はそれほど多くなくても、音声がフィルムについているような特殊なフィルムがあったりなど、フォーマットにはかなりバラツキがある。でも、全てに対応する再生機器は残っていないので、再生が全て完全な形で再現できなくても、そのあたりは割り切って仕方がないと思っている。

映像のデータベースにはメタデータを付けている。いま放送しているものは、「放送管理システム」に出演者や内容の情報、著作権等の情報も書いてあるため、その情報をそのままアーカイブスのデータベースに流している。極力アーカイブス側が新たに情報を打たなくて済むようにしている。

番組製作の際には、現場に著作権処理用のフォーマット文書を渡してきちんと許諾を取ってくれと言っているが、なかなか守ってもらえない。また、権利意識が強くなっているので、「放送ならいいけど、永久に保存されるのは・・・」という人も多くなっていて簡単ではない。また、「保存」すると言うと、出演料以外のお金を要求されることもあるので一概に強制できない。現場にとっては「放送される」ことが第一であり、余計なトラブルは抱え込みたくないのが人情。

過去に放送されたものについては、タイトルしかデータベース化していない。ただし、番組製作の際の資料として使った番組については、その際に調べた情報をメタデータとして打ち込むことにしている。
・よって、過去の映像は系統立ててメタデータを付与することをしていない。あくまでも「使った際に付ける」ことしかしない(使わない映像にメタデータを付けるのは「無駄」)。映像を探すのはプロデューサーなどの「勘」。

・番組を作る際に利用した素材については、重要な番組(シルクロードなど)では保管されているものもある。整理してメタデータを付与(映像シーンごとに)。しかし、取材記録は制作者自身の資産になっていることが多いため、映像が何かわからないケースもよくある。
・地方局に保管されている映像もデータベースには入っている。(参考:映像そのものはどうやら川口には集めていないようだ。)

・放送の場合、基本的には「放送に利用する」という所でしか許諾を取っていないケースが多い。そのため、「保存」するためにも新たな許諾が必要となった。過去の映像の場合、権利者団体などと話し合ってルールを決めていった。また、神社仏閣の中では「1回の放送なら良いが・・・」といった形で許可を得て撮影したものもあり、そういったところも一つ一つ許可を取ってきた。

ニュース番組は「見逃し」でのオンデマンド配信(1週間)しかしていない。その理由は「ニュースはその時のものでしかない」から。アナウンサーは3日後に違うことを言うことも当然ありうる。そのため、ニュース映像は短期間しか公開しない。(参考:NHKのトライアル研究においても、ニュース番組を見れてもアナウンサーの声などが全てカットされているらしい。)
過去のニュース番組を公開しないのは、これに加えて著作権処理が面倒くさいというのもある。コメントを求めた有識者や写した映像に出ている方などからいちいち保存や公開の許諾をもらうのも手間がかかる。

「戦争証言アーカイブス」で公開している元兵士達のインタビューは、元から公開する予定で許諾などもすべて取って取材を行っていた。
NHKはインターネットで自由に映像を公開できないことになっている(事業関係のものしか上げられない)。ただし、歴史的に重要なものなどは認められており、「戦争証言アーカイブス」はその一環として許されている。

・現在は映像は保存できないもの(海外から買っているドラマなど)以外は原則残している。保存スペースの問題は、いずれ保存媒体も小さくなると思うので、それほど心配していない。

NHK的には保存している映像は全て一般公開しても構わないのだが、法的な問題や人権などの問題がどうしても大きい。例えばある夫婦を撮った映像があったとして、その後離婚してしまった場合、元の映像を流して良いのかというレベルの話も問題になりうる。また、ある番組でAさんを中心にストーリーを作った所、取材したBさんから「あの描き方は納得いかん」と抗議されて、結局二度と使えなくなってしまったようなものもある(某○○○○○○Xの一部の番組など)。こういったものの公開は、やはり慎重にならざるをえない。

(ここまで)

話をうかがっていて気づいたことは「発想が公的なアーカイブズとは違う」ということだ。
公文書館などでは基本的には資料は平等に扱う。(もちろん「原則」でしかないが。)
なので、目録を作成する際には一点一点網羅的にデータを拾っていく。「この資料は重要だから目録に詳しく記載し、他はタイトル以外データを付けない」という発想にはならない。
つまり、「保存・整理」が基本にあり、そこから「活用」があるのだ。

一方、NHKアーカイブスでは「活用第一」であり、保存・整理などはそれに伴うものとして位置づけられている。
つまり、極端な言い方をすると「活用できない資料は無駄」という発想になっている。
その際に持ち出される論理は「受信料で経営されているから」というものである。
つまり、利用できない資料を抱えることは「視聴者に説明がつかない」というのだ。

これが良いか悪いかの判断はできない。
NHKの置かれている状況を考えると、おそらくそういう論理を構築しなければアーカイブスが作られることも無かったと思う。
実際に話の節々から察するに、アーカイブスがなぜ必要なのかという点を内部からも常に問われる立場にあるようだ。
その時に「活用する」という論理を前面に出す以外に、生き残りようもないというのは理解できなくはないのだ。

ただその論理は、NHKにとって不都合なものが隠されることにつながってくる可能性がある。
例えば、ニュース番組のアナウンサーの声を消すという発想は、「過去に言ったことを追及されることを怖れている」ようにしか見えない。
今回の震災の時の報道を検証しようとした場合、その時その時でアナウンサーが何を話していたのかは重要な意味を持つことになる。
アーカイブズ的な発想ならば、むしろそういったものは残して公開するということになるのだが、NHK的にはおそらくそうはならないということなのだろう。

結局は、映像保存をNHKの努力に任せているということ自体の限界であるように思える。
日本ではどうしても著作権の問題が非常に大きく(あとは肖像権の問題もあるんだろうが)、法的な部分を変えないと、今のNHKアーカイブスのあり方は現状では仕方がないのだと思う。
やはり本来なら、フランスのように、国が全てのテレビ放送を録画保存し、それを研究のために公開するというシステムが必要なのではないだろうか。

日本近現代史を専攻する歴史研究者は、資料が公開されていないために、ラジオとテレビという媒体を「無かった」ことにして研究をせざるを得なくなっているのが現状だ。
本来ならば、音声や映像は多くの人々に影響を与えていたはずであるにもかかわらず、資料自体が無いので証明しようがないのだ。
NHKだけでなく他の民放などにも保存されている映像記録などが、研究のために自由に使えるようになることは、歴史研究者(だけでなく、他の分野の研究者も)からは待ち望まれていることである。
その意味でもNHKのトライアル研究は、非常に重要な意味を持っており、是非とも継続的に続けていただきたい事業である。

断片的ですが、今回の訪問で考えたことを述べてみました。
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移管・廃棄簿について考える [2011年公文書管理問題]

公文書管理法が施行されてから半年以上経過し、さまざまな変化がおきています。
ただ、その中には施行後に「後退した」点もあるようです。

次に書く話は、一つの問題提起として書いておきます。
私自身が気づいた話ではありませんが、問題の一つとして認識してもらえればと思います。

先日、ある外交史の研究者の方から、「行政文書管理ファイル簿において、文書が「移管・廃棄」された場合、文書名が即座に管理簿から削除されてしまうので、いったいどのファイルが移管ないしは廃棄されたのかわかりづらくなったということを伝えられた。
これまでは、移管・廃棄されてから5年間は管理簿に記載されていたため、どのファイルが移管・廃棄されたかがある程度追跡することができたのだという。

そこで、過去の制度と現在の制度を改めて比較をしてみた。

公文書管理法施行以前の管理簿の扱いについては、「行政文書の管理方策に関するガイドラインについて」によって定められていた。
これの「第5 行政文書の管理台帳」の(5)によれば、「保存期間の満了に伴い廃棄又は移管の措置を講じたときはその旨を追記し、その後5年間経過した時点で削除することとなる」との記載があり、廃棄・移管をした場合は5年間管理簿に情報を残さなければならなかった。

施行後の管理簿の扱いについては、「行政文書の管理に関するガイドライン」に記載され、これに基づいて各行政機関の管理規則が定められている。
これの「第6 行政文書ファイル管理簿」の2の(3)によれば、「文書管理者は、保存期間が満了した行政文書ファイル等について、国立公文書館等に移管し、又は廃棄した場合は、当該行政文書ファイル等に関する行政文書ファイル管理簿の記載を削除するとともに、その名称、移管日又は廃棄日等について、総括文書管理者が調製した移管・廃棄簿に記載しなければならないと記載されており、移管・廃棄をした場合は管理簿から「削除」した上で「移管・廃棄簿に記載する」となっている。

つまり、先の研究者の方がおっしゃっているように、現在ではファイル管理簿からは移管・廃棄についてわからなくなってしまっている。
なお、「移管・廃棄簿」を自発的に各行政機関が公表する義務は、ガイドラインでは定められていない。

もちろん、この「移管・廃棄簿」は情報公開請求を行えば見れるものだが、移管・廃棄される文書は膨大であり、公開されたとしても、電子データのままもらえるのであれば検索が可能であるが、紙や印刷されたものをPDF化したものなどが配布された場合、一つ一つデータを確認する必要に迫られる。
また、自分が知りたいデータが「何年度に廃棄・移管されたのか」もわからないので、この情報公開請求も簡単ではない。

この問題については、正直自分は全く気づいていなかった。
指摘されて初めて、「なるほどこれは以前より後退している」ということに気づいた。

どの文書が移管・廃棄されたのかが公表されていることは非常に重要である。

移管については、のちに国立公文書館等で公表されれば、どの文書が移管されたかがわかるようになる。
現在では移管されてから1年以内に目録登載義務が国立公文書館等にある。
ただ、移管・廃棄の全体像を把握するには、国立公文書館等の検索システムだけではわかりづらいだろう。

大きな問題となるのは「廃棄」された文書についてである。
廃棄簿は以下の点から公表が必要である。

まず、歴史学上の問題においては、その部局で業務が行われていた際に、どういう文書が作成されていたのかという全体像を把握する上で廃棄簿は必要である。
移管された文書は、作成されていた文書の一部に過ぎない。移管された文書の位置づけを考える際にも廃棄簿は必要不可欠である。

次に、移管・廃棄業務を監視するために必要である。
移管・廃棄は各行政機関の長によって決められることになっている。
内閣総理大臣(事実上内閣府)が廃棄についてはチェックをしているが、膨大な件数があるために、必要な文書を廃棄から救い出せているかは未知数である。
そのため、廃棄簿を公表しておくことは、外部からチェックを行うためにも必要である。

よって、この「移管・廃棄簿」を各行政機関が自発的に公開することは検討されてよいのではないだろうか。
これは、国民への説明責任を果たす上でも必要な手続きであり、公文書管理法の理念にもかなっているように思われる。
また、特に法改正は必要ない事項であり、内閣府からの通達レベルで何とかなるレベルだろう。
さらに、各行政機関は「移管・廃棄簿」自体を電子データとして持っているわけだから、それをPDF化してウェブサイトに上げればよいだけであり、大した手間はかからない(ファイル名に個人情報とかが入っていれば墨塗りするなどの必要はあるだろうが、それほどの件数とは思えない)。

先述したように、情報公開請求すれば確かに公開されるであろうが、1年間で100万件の移管・廃棄対象文書があるということを考えれば、請求する負担を国民の側におしつけるのはいかがなものかと思う。
「移管・廃棄簿」の公表を是非とも検討してもらえればと思う。


なお余談ではあるが、「移管・廃棄簿」は各行政機関で30年間保存され、その後「廃棄」されることが決まっている。
ただし、内閣府が廃棄の承認に関する文書を国立公文書館に移管するとのことなので、「移管・廃棄簿」自体は、30年経過した後に内閣府から移管され、国立公文書館等で公開されることになろう。

このあたりの経緯については、三木由希子さんのブログに詳しいので、そちらを参照のこと。

「廃棄簿の保存期間と廃棄」
http://johokokai.exblog.jp/15577258/

「移管・廃棄簿の扱い 第6回公文書管理委員会①」
http://johokokai.exblog.jp/15801042/
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『公文書をつかう―公文書管理制度と歴史研究』刊行 [2011年公文書管理問題]



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初めての著書である『公文書をつかう―公文書管理制度と歴史研究』が青弓社から刊行されることになりました。
内容、目次は以下の通りです。(版元より

▼紹介

国民共有の知的資源である公文書。知る権利や説明責任を保障し、記憶や記録を未来に伝えていく必要性が求められているいま、2011年に施行された公文書管理法の制定過程をていねいに検証し、公文書利用者・歴史研究者の立場から公文書管理制度の今後を展望する。

▼目次

はじめに

第1章 公文書管理制度の近現代史
 1 大日本帝国憲法下の公文書管理制度
 2 日本国憲法下の公文書管理制度 1――公文書館法制定まで
 3 日本国憲法下の公文書管理制度 2――公文書管理法制定までの道

第2章 公文書管理法の理解と利用――歴史研究者としての視点から
 1 総則(第一条―第三条)
 2 行政文書の管理(第四条―第十条)
 3 法人文書の管理(第十一条―第十三条)
 4 歴史公文書等の保存、利用等(第十四条―第二十七条)
 5 公文書管理委員会(第二十八条―第三十条)
 6 雑則(第三十一条―第三十四条)・附則
 7 補論――国立公文書館等での特定歴史公文書等の利用方法

第3章 公文書管理法施行後に積み残された課題
 1 司法文書・立法文書の文書管理
 2 国立公文書館のあり方
 3 アーキビスト養成
 4 公文書管理条例と地方公文書館

おわりに

あとがき



この本は、まさにこのブログから生まれた本だと言えます。
青弓社の編集の方が、このブログを見て執筆依頼を出してくれました。

ブログから本になるケースというのは、ほとんどがブログをそのまま本にするものでしょうが、「ブログから学術書」というレアなケースをたどったため、内容はほぼ全てが書き下ろしになっています。
ブログで過去に扱った内容もありますが、全ての部分に新たな情報などが加えられています。

内容は、公文書管理制度についての「過去・現在・未来」を描いたものになります。

第1章では公文書管理制度の歴史を書きました。
この本の執筆を依頼されたとき、歴史研究者として公文書管理問題について何が書けるのかを考えました。
そして、歴史研究者である以上「歴史」を書くべきだと思って、公文書管理制度の歴史を追うことにしました。

ただ、思った以上に作業が難航しました。
それは、これまで文書保存運動やアーカイブズの歴史をえがいた研究はあっても、公文書管理制度をえがいた研究は非常に少なかったからです。
また、数少ない研究においても、管理制度自体を研究していたとしても、それが当時の政治や社会との関係の中でどのような位置にあるのかがあまり明確に描かれていないように思いました。

そこで私は、公文書管理制度と政治との関係を重視して書くことにしました。
また、研究者以外の方にも読みやすいように、あまり細部まで描くのではなく、概説的な説明を中心にしました(公文書管理法制定の部分は細部まで描いていますが)。
加えて、今後この分野を研究する方へのガイドになればと思い、注を充実させてあります(注の分量が多いのはそのためです)。

第2章は公文書管理法の解説です。
この解説についても、どのように書くか頭を悩ませました。
私は行政法学者ではないので、逐条解説をしてもしょうがないだろうと思いました。

その時に、自分が法律の本を読んだときの違和感を思い出しました。
法律の解説書というのは、法文の一つ一つの用語の解説はありますが、それを「どのように使うか」という部分についてはほとんど解説がありません。
そのため、「法律をどのように使うか」という点は自分で考えるしかありません。(法律関係者なら判例などを調べるのでしょうが。)
私が公文書管理制度や情報公開制度と関わった中で、一番苦労したのがこの点でした。

よって、私ができる法律の解説は「使い方」を描くことだろうと思いました。
そのため、法文の隅々までを解説するというよりは、この条文ではこういうことができる・おきるというところを書きました。
公文書管理法を理解してもらうには、このような方法もありなのかなと思っています。

第3章では今後の課題について書きました。
取り上げた4項目以外にも問題は山積していますが、とりあえず現状の自分で書けるのはこの4つだろうと思って書きました。
「提言」という形を取っているので、できる限り前向きに言い切る形で書くようにしています。
ですから、違和感を感じる方も多いかなとは思っています。
(むしろそれで議論になれば良いと思っています。)

この本は、これまで自分が取り組んできた公文書管理問題についての集大成となります。
ただ、「集大成」とはいえ、これで終わりというわけではなく、むしろ「始めるための」集大成であります。

本の中でも書きましたが、公文書管理問題は公文書管理法施行で終わったわけではなく、むしろ「始まった」とも言えると思います。
この本が、少しでも改革を進めるための手がかりになってくれればと願っています。

【追記】11/27

一つ質問があったので注記を。
「注」での雑誌名や新聞名が『』ではなく「」で囲ってあるのは出版者側の意向です。
青弓社で出す本は、この表記で統一されているとのことです。

【追記2】12/8
青弓社のウェブサイト「原稿の余白に」にて、「あとがきのあとがき」のようなものを書きました。
瀬畑源「インターネットから生まれた学術書」(2011年12月7日)
http://www.seikyusha.co.jp/wp/rennsai/yohakuni/blank105.html

【追記3】2012/3/9
1ヶ所著書の修正。
125ページ注25 官紀五章は「一八八五年十二月十六日」です。
完全な私のミスです。2刷が決まったので、その際には訂正されます。

ついでにまとめて追加情報を。

自分で詳細目次と図表目次を作ったのをこちらで配布。
「拙著の詳細目次・図表目次配布」
http://h-sebata.blog.so-net.ne.jp/2012-03-01

東京財団のウェブサイトで高橋和宏氏が書評を書いてくださいました。
http://www.tkfd.or.jp/research/project/news.php?id=912
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全史料協群馬大会感想 [2011年公文書管理問題]

全史料協の群馬大会(2011年10月27~28日)に行ってきました。
せっかくなので感想を書き残しておきます。

去年ほど気合いの入ったものを書いている余裕がないので、簡単な備忘録程度でご勘弁下さい。

1日目研修会は省略。

記念講演 福田康夫元首相「公文書管理法への思いと期待」

今回行った最大の目的。
逢坂誠二氏や上川陽子氏といった管理法制定の実務担当者の講演は聞いたことがあったが、トップの話は聞いたことがなかった。

それほど裏話的なものはなかったが大体以下のような内容だった。(多少、事実関係を補足してある。)

・公文書管理問題に興味を持ったのは、父赳夫元首相の秘書時代に、地元前橋の共愛学園の100周年記念誌のための写真(終戦直後の前橋の俯瞰写真)をほしいと言われてそれを探したことから。
福田番の新聞記者から「アメリカの国立公文書館ならあるかも」と言われたので、1986年に米国に行ったときに国立公文書館に行ったらすぐに目当ての写真が見つかった。館が非常に大きくてサービスが良いことに驚いた。

・小泉内閣では何か新しいことをやろうという雰囲気があった。そこで、官房長官として公文書管理問題に関する研究会を作り、色々と検討した。ものになりそうだと思って、小泉首相の施政方針演説に政府活動の記録保存などを入れてもらった(2004年1月19日)。
(ちなみに、福田氏が当日読み上げていた「研究会冒頭での官房長官発言」はこれ(1~2ページ))

・自分は「国民のための政治」というのを推進してきた(住生活基本法、消費者庁、公文書管理法)。戦後復興の時代は、国民のためというよりは産業優先の法体系を取ってきた。それを国民目線に変えていかなければならない。

・首相になってからすぐに公文書管理法制定を推進した。追い風として大きかったのは年金問題。有識者会議で尾崎護氏をトップに据えたのは、元大蔵事務次官で官僚のこともわかっている一方、歴史小説を書く方でもあったので。この問題をやるには最適の人材だった。

辞めるとき、麻生次期首相に引継をしなかった。でも民主党に賛成者がいることを知っていたから、これは必ず通ると確信していた。

・法律を作るときには上川氏が矢面に立って頑張ってくれた。現在の国立公文書館の状況はあまり思うようにいっていない。実行段階では上川氏のような人が議員に必要(現在浪人中)。だから上川氏を国会に何とか戻してほしい。

・今年は辛亥革命百年で実行委員会の委員長をやっている。その関係で長崎の梅屋庄吉と熊本の宮崎滔天の記念館に行ってきた。彼らは友情で孫文を助けた。ああいう人物こそ後世に伝えていかなければならない。また、彼らの資料は地元で保管されており、それもまた重要なことである。


以上であるが、まず気になったのは、麻生次期首相に引継をしていないという話。
麻生内閣になってから公文書管理担当大臣がいなくなった話を過去に書いたことがあるが、やはりこういうことだったのかという感じだ。

あと、現状の国立公文書館のあり方自体には満足しておらず、公文書管理法が実行面の問題を抱えているという問題を的確に理解されていた。
ただ、やはり手足となっていた上川氏を失ったことが相当に痛手だったのではと思う。「この場に静岡の人はいませんか。ちゃんと彼女を戻してくださいね」と呼びかけていた。

また、余談のように話していた辛亥革命百年の話も、よくよく考えれば「地域アーカイブズ」の話にもつながっていた。
梅屋庄吉と宮崎滔天という非常にマニアックな人物選択は、どうやら記念館に連れて行かれたからということでもあったようだが、それにしてもこの話をしているときに、明らかにテンションが上がっているように見えた。

ああこの人は「歴史好き」なんだなと、この姿を見て理解した。
しかもただの「歴史好き」ではなく、歴史を描くための「資料」にも目が行き届く人なんだと。

結局、福田康夫というたまたま歴史好きでかつ歴史資料の重要性に気づいている人が、年金問題の発覚という絶好のタイミングで首相になったことで公文書管理法ができた、という「偶然」の重なりがあったことがよくわかった。
この法律は「運が良かった」側面が大きかったことを改めて感じる次第だ。

なお、夜の懇親会の時に、同じホテルで後援会の会合に出ていた福田氏は、わざわざ全史料協の懇親会に顔を見せにきた。
やはりそれだけ公文書管理法に思い入れがあったのだなあと、あらためて思った。


2日目のセッションは、大きく分けて「東日本大震災対応」「公文書管理法対応」の2つの話であった。

午前中は全史料協の被災地での活動(陸前高田市の公文書救出)と気仙沼市の元職員の被災状況の報告。(全史料協の活動状況はこちら参照
被災地での活動については、自分のような手に技術の無い者からすると、本当に頭が下がる思いだ。
ただ、文書レスキューを行っている他団体との連携について、あまり話がなかったように思うが、どうなっているのかは気になった。
あとは、報告にもあったが、現役の公文書を扱っている以上、個人情報保護などが気になる自治体も多いので、そういった場所に公務員を継続的に派遣できればという方針は、公務員メンバーが中心を占める全史料協の持ち味がだせる分野なので何とか実現してほしいと思う。

午後は、2013年に設立予定の札幌市公文書館の事例と、全史料協が作った「公文書館機能の自己点検・評価指標」についての報告。
札幌市の竹内啓氏の報告は、今後公文書館を作ろうとする自治体の指針となるような報告であったと思う。
全史料協の報告については、昨年度の大会で提示された指標案をブラッシュアップさせたもの。昨年細かくブログに書いたので省略。

この竹内報告、全史料協報告、そして1日目の丑木報告でも問題になっていたが、「古文書を含む私文書」を公文書館が受け入れることについて論点が出されていた。

札幌市公文書館は、公文書の受入に特化し、古文書はすでに持っているもの以外は増やさないという方針を明確にしている。
また、全史料協の指標においても、ゴールドモデルの4.5において「設置団体に属するいずれかの機関等(公文書館を含む)と地域資料(主に歴史的私文書等)の収集保存について役割分担等の連携が行われている。」と書かれており、必ずしも公文書館が地域資料を受け入れなければならないとは書いていない。
説明役の早川和宏氏が「私文書を公の機関が持っていることの正当性が担保されるのであれば受け入れれば良い」と話しており、「地域にある古文書だから文書館で保管」というレベルでは済まない説明責任を果たす必要に迫られるということだろう。

私個人としては、基本的には札幌市の向かっている方向のように、「公」の機関としての文書館は、生き残りをかけて行政文書中心の方向に行かざるをえないだろうと思う。
その際に、地域資料をどう守っていくのか、改めて考えていかなければならないだろう。
(なお、『日本史研究』2011年10月号の西村慎太郎氏の「地域に遺された歴史資料」を保存するということ」は、この点色々と考えさせられた。)

以上です。今年も色々と勉強させていただきました。
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公文書管理委員会第10回傍聴記 [2011年公文書管理問題]

9月8日の公文書管理委員会の傍聴に行ってきたので、その報告を。
第10回目ではあるが、大震災の関係もあり、7,8,9回は「持ち回り」という形で、各委員一人一人に了承を取るという形式で行われた。そのため、実際に会議自体が開かれるのは1月19日以来、半年以上ぶりである。
なお、第8回では東日本大震災復興対策本部の行政文書管理規則が審査されている。

今回は、主に公文書管理法の施行状況についての報告が行われた。
資料に沿って簡単に解説とコメントをしていく。(資料一覧→こちら

資料1-1  公文書管理法の施行状況(公文書管理制度の周知(内閣府の取組み)

内閣府では、4月に管理法の運用の手引きを作って各行政機関に配布をした(配付資料は資料一覧参照)。
また、4月1日に閣議において、蓮舫行政刷新相から公文書管理法施行についての発言があったようである。

内閣府からの講師派遣実績の一覧表もある。
基本的には「リクエストベース」で派遣を決めており、内閣府から働きかけをしてはいないようである。(旅費予算の都合もあるから、旅費を用意してくれると行きやすいみたいな話し方をしていた。)


資料1-2  公文書管理法の施行状況(公文書管理制度の周知(行政機関の取組み)

各行政機関における法の周知徹底についてのデータ。
2の周知状況の表を見ると、熱心に周知をした所と、メール送るぐらいで済ませたっぽい所とが分かれているように見える。
また、3の研修状況は、もう少し詳しいデータでないと確たる事は言えないが、新規採用研修や管理者研修はきちんとやっているようだ。


資料1-3  公文書管理法の施行状況(公文書管理制度の周知(国立公文書館等の取組み)

国立公文書館等での法の施行状況。
国立公文書館の「専門的助言」によって、約23万件の廃棄チェックのうち、50件が廃棄から移管に転じたとのこと。
質疑の応答によれば、どうやら廃棄リストを各機関に作ってもらう際に、各行政文書管理規則における「保存期間満了時の措置の設定基準」のどれに当てはまるかを記載してもらっているようだ。

23万件のチェックをするという作業を考えると、そのリストの類型を見て、ファイル名だけ見てバサバサ切っていくしかないだろう。
よって、実際にファイルそのものを見ていることはほとんど無いのではないだろうか。

これでチェック機能がうまく機能していれば良いのだが・・・。
作業に関わる人の物理的限界を考えるとこれ以上は望めないのかもしれない。
ただ、きちんと作業人数を増やさないと、次第に「作業員の人数に合わせた仕事」の仕方になってしまうような気がしている。


資料2  国立公文書館等における利用請求の状況

国立公文書館等における利用請求等の状況。
「利用請求」というのが、公文書管理法上の利用請求権を行使したケース。要するに、開示不開示の審査を行っているケース。
「利用請求権外の利用」というのは、国立公文書館や外交史料館などで以前から行っていた「訪問すればすぐ見れる資料」の利用のこと。審査がすでに終わっている。

この表を見ると、国立公文書館と外交史料館はそのほとんどの利用が「利用請求権外の利用」であるのに対し、宮内公文書館はほとんどが「利用請求」になっていることがわかる。
特に宮内公文書館は、利用請求だけで1000件も抱えており、処理の遅れを生じているようである(私の前に書いたブログを参照)。

この差は、公文書管理法施行前に、どれだけその文書館が資料公開に積極的であったかの差である。
宮内公文書館が、そのほとんどを「利用請求」として受けざるをえない理由は、公文書管理法施行前と施行後の審査基準が大きく異なるためである。
私が前に書いたブログで指摘したように、施行前と後に同じ文書を請求すると、開示される情報が格段に多くなっていることが分かる。
このため、宮内公文書館では、施行前にすでに請求を受けたことのある文書でも、すでに全面公開になっている文書以外は、再審査を行わざるを得ない状況になっている。(宮内公文書館における「利用請求権外の利用」は、おそらく「全面公開」が決まっている文書の閲覧にあたることになるだろう。)

この表でもう一つ注目したいのは、「異議申立」が未だにゼロであること。
ある委員の方は、「それだけ開示に満足度が高いのでは」と話していた。
必ずしもそうとも限らないだろうとは思うが、元々、アーカイブズに移管された資料は開示されると思われがちなので、墨塗りになっている部分に不満を覚える人がいてもおかしくはないと思う。
よって、異議申立がゼロなのは、確かに満足度が高いと言える部分があるのかなと思う。(異議申立制度の周知度が低いという可能性も高いような気がするが。


資料3 行政文書の管理状況調査について

毎年行われていた「行政文書の管理状況調査」の最終年度版(来年からは公文書管理法に基づいた調査に変わる)。

表2の行政文書ファイルの媒体種別の内訳を見ると、未だに「紙」が96%で、「電子媒体」は3.8%に過ぎない。これは資料5で詳しく。

表3の移管文書の数を見ると、全体の1.2%まで上がってきている(これまでの3年は、0.7→0.7→1.0)。
もちろん何が移管されているかという質が問題ではあるのだが、数自体が上がってきているのは良いことだと思う。

最後の部分(9ページ)に、東日本大震災によって行政文書の管理状況の調査が困難な官署の一覧が記載されている。
東北地方の沿岸部にあった施設がほとんどであり、法務局の支局や税関支署、税務署や職安、運輸局、自衛隊基地などが挙げられている。
被害を受けたファイル数は26445件、すでにこのうち637件はファイル管理簿からすでに削除されているとのこと(流されて消失したもののようだ)。
ただし、まだ被害の全貌がわかっているわけではなく、被害ファイル数は今後増えるとのことである。


資料4  公文書等の管理に関する法律に基づく行政文書ファイル等の移管・廃棄等に関する手順について(概要)

移管・廃棄等の手順についてまとめたもの。特に解説無し。


資料5  公文書管理法施行に伴う一元化文書管理システム及び電子政府の総合窓口(e-Gov)の取組状況(1/3)(2/3)(3/3)

一元的文書管理システムの説明。
見ればそれなりにわかると思うので細かくは説明しないが、廃棄業務の省力化を意識した仕組みになっている。
廃棄リストの自動生成や、廃棄対象文書への内閣府からのアクセス権を認めて、チェックしやすくするなどの改良がなされている。

ただ、結局は「紙が96%の中で、どうやってこのシステムを運用するのか」という所が問題となる。
書誌情報は電子化されるが、結局その下にぶら下がっている文書そのものは紙ベースで管理される可能性が高い。
そうなれば、結局は内閣府に廃棄対象文書へのアクセス権を与えたとしても、その文書が電子化されていない以上、ものの役には立たない。

その点は委員からも突っ込まれていたが、総務省の側は「自分たちは電子政府の推進を目指しており、このシステムを「使ってほしい」と考えている」と言うだけであり、話を振られた内閣府も「自分たちも使ってくれると業務が楽になるのでありがたいが・・・」というような態度であり、ペーパーレス化を推進する司令塔がいないというのが浮き彫りになっていた。
これは、総務省と内閣府で役割が分かれている(法の運用は内閣府だが、システム構築が総務省)ことの弊害だが、何とかならんのかなあと見ていて歯がゆい感じだった。

また、総務省側は「画面操作eラーニング」や「簡易版マニュアル」を初めて作ったみたいなことを言っていて、「これまではシステムを作るだけで、使わせることにあまり意欲が無かったのか」と思わざるをえなかった。
公文書管理法は、これまでに何度も書いているが、制度を作ることだけではダメで、「運用」がどうなされるかが重要である。
システム一元化は、公文書管理法の運用においてかなり重要な位置を占めると考えているので、もう少し普及に力を入れてほしいなと思う。


資料6 電子公文書等の移管・保存・利用システムについて(1/3)(2/3)(3/3)

国立公文書館への電子文書(ボーンデジタル=作成時から電子文書)の移管手続きの説明である。
気になるのは、検索のための「メタデータ」(資料情報)の付け方ということになるが、一から付けるのではなく、文書情報は移管の際に移管元からきちんともらえているようである。
メタデータの充実化は、利用者にとってはありがたいので、力を入れてほしいと思う。


資料7  国立公文書館の東日本大震災への対応状況について

国立公文書館による東日本大震災への対応を解説したもの。
私はあまり詳しいことがわからないのだが、東京文書救援隊などと連携して動いているようである。
高山館長は、他の機関との横の連携をどう作るかが重要だとの話をされていた。
また、時間や場所によって、救出を求められる文書は異なる(現用の文書の救出、古文書の救出など)という話もされていた。

なお、「東日本大震災からの復興の基本方針」(2011年7月29日、東日本大震災復興本部)に、公文書保全のことが書かれており、これを推進するということにも触れられていた。
該当部分は、「5 復興施策」の「(4)大震災の教訓を踏まえた国づくり」の「⑥震災に関する学術調査、災害の記録と伝承」のところにある(27~28ページ)。

(ⅰ)今後の防災対策に資するため、今回の大震災に関し、国際共同研究を含め、詳細な調査研究を行う。その際、地震・津波の発生メカニズムの分析・解明やこれまでの防災対策の再検証やリスクコミュニケーションのあり方の検証等も行う。また、各機関の調査研究が有機的に連携し、総合的な調査となるよう配慮する。
(ⅱ)上記の調査研究の結果も踏まえつつ、地震・津波災害、原子力災害の記録・教訓の収集・保存・公開体制の整備を図る。その際、被災地域における公文書等の保全・保存を図るとともに、国内外で過去発生した地震・津波の教訓も共有する。情報通信技術を活用しつつ、これらの記録・教訓のみでなく、地域情報、書籍など関係する資料・映像等のデジタル化を促進する。また、今回の震災における消防機関等の活動記録を集積し、その分析・検証を行う。こうした記録等について、国内外を問わず、誰もがアクセス可能な一元的に保存・活用できる仕組みを構築し、広く国内外に情報を発信する。
 なお、津波の影響を受けた自然環境の現況調査と、経年変化状況のモニタリングを行う。


当日配られたのは、(ⅱ)の「公文書等の保全・保存」のところまでであり、特に「被災地域における公文書等の保全・保存」の部分に強調線が引かれていた。
もちろん、現在は被災地域の公文書等の保全・保存が重要なのは確かだが、将来的には国立公文書館の役割は「地震・津波災害、原子力災害の記録・教訓の収集・保存・公開体制の整備を図る」の部分に大きく関わってくるはずである。
その点にも力を注いでほしいと思う。

また余談ではあるが、原発事故が起こった際の政府の会議の議事録がほとんど作成されていないことも明らかになっており、公文書管理法の制度主旨そのものが揺らぐようなことが、すでに起きている(もちろん震災発生時は公文書管理法は施行前だが・・・)。
少なくとも今残っている公文書をしっかりと保存し、できる限り早く国立公文書館へ移管して公開をするべきである。

なぜならば、結局文書をいくら残しても、これを「分析・検証」しなければ、「教訓を共有」することにはならないのではないかと思うからである。
そのためには、政府だけでなく、民間からも分析が行えるように、基礎となる資料を公開することが必要となるだろう。(政府方針は「今後の防災対策に資する」ことを目的として掲げているが、それ以外にも様々な分析が行われる必要があるだろう。)
また、国や自治体は、民間からの分析を後押しするような金銭的な支援も行う必要があると思う。
そしてその成果を今後の生活に還元する手段も考える必要があるだろう。


会議の最後に、公文書管理課の方から、情報公開法の改正案は、次国会で審議をされる予定であるということ、著作権法の改正は、内閣府と文化庁との協議は済んでいるが、フェアユースの問題など文化庁側の関係で難航しており、まだ国会提出の目途は立っていないとの説明があった。

全体を通してみると、公文書管理法施行後に起こっている問題は、大震災のこともあって、まだよく見えないという感じである。
施行後1年で各機関から提出される報告を見ないと、問題点は浮き彫りにならないのではないかなと思う。
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宮内公文書館の現状 [2011年公文書管理問題]

29日に宮内庁書陵部宮内公文書館に資料を見に行ってきた。
この体験から、公文書管理法施行後の宮内公文書館について私見を述べておきたい。

【閲覧場所】

以前の書陵部1階にあった閲覧室は図書寮文庫専門となり、地下にある会議室の一角が宮内公文書館として使われるようになった。
デジカメ用の撮影台が一つだけある。複数の閲覧者がいると困るので、もう一台あるといいかなあと思う。

あとこれまでコンセントを貸してくれなかったのに、机に常備されるようになってた。
前使っていた図書寮文庫の方はどうなったんだろうか?まだパソコンはバッテリーだけで耐えろという世界なのだろうか。
まあこれは時代の流れとして当然あってしかるべきサービスだと思うけど。

【資料開示の速度】

遅い。
前から遅かったが、今回は請求してから開示まで4ヶ月。
簿冊は13冊だったが、全部ではなく、そのうちの一部分(それ以外は未精査で構わないと伝えていた)。

公文書管理法施行以前に被覆されて見れなかった文書を重点的に請求したので、対応に慎重さが求められたのではあろうが、分量的に見てもその半分の期間で何とかなるのではと思う。

【開示情報】

明らかに増えた。
前には被覆されて見れなかった警衛情報などはほぼ開示。
他にも1ヶ所に非開示情報があっただけで該当文書が被覆されていた(つまり他の「見れる情報」もまとめて見れなくなってた)のが、デジカメで撮った画像をプリントアウトして墨塗りするという方法で見れるようになった。
これで、資料の途中で1枚だけ被覆されて見れないという泣きを見ていた状況が大きく変わった。
また非開示にされている情報も、ほぼ個人の名前だけで、そこそこ納得できるものであった。

外交史料館のような開示が進んでいた所では、公文書管理法の施行によって後退した側面があるようだが、宮内公文書館については、遙かに資料開示が進んだという印象。

【開示方法】

どうやら宮内公文書館では次のような方法を採っているようである。

・原本をそのまま開示できる部分は原本を閲覧に供する。
不開示部分を含む場合、該当部分を被覆した上で、その部分のみデジカメで撮影。それをモノクロ印刷して、不開示情報を墨塗りにしている。
・その上で、原本とその文書番号毎にまとめた墨塗りしたコピーを一緒に提供している(そのコピーがどの部分なのかは、おおよそ資料を読んでいればわかる)。


2ヶ月前に行ったときには初めからカラー印刷をしたものを提供していたが、モノクロに変えたみたい。
コスト的な問題かなと思う。

ただ、この「デジカメ撮影したデータを印刷する」というのは、結構対応が難しいんだなというのが今回の感想。
デジカメの精度や、撮影者の能力の問題でかなり左右される。また、真ん中の折がきついページも、一律で上から見開きのまま撮っているので、読めないところがかなり出てきてしまっている。
開くのがきついページの場合、真ん中の部分だけ拡大して撮るとかも考えても良いのではと思う。
結局、部分開示でコピーしたものの2割ぐらいは、カラーで印刷したものを要求するか、真ん中の部分を解読して伝えてもらうとかいった手続きを要することになった。

古い文書の場合、どうしても隣に挟まっている紙質が統一ではないので、どちらかに焦点を合わせるともう片方のページが読みにくくなる。
これはやむを得ないことではあるのだが、デジカメの性能が上がれば解決するんだろうか?

個人的に思うのは、「デジタルデータはデジタルデータのまま提供する」方が、結局はコスト削減になるのではないのかということだ。
デジタルで撮っているのであれば、そのデータをパソコン上で墨塗りして、閲覧専用のパソコンを用意して、電子上でデータを見せればよい。
複写もデータをそのままCD-Rにでも焼けば良いのだし。
データの墨塗りした部分を剥がせないような仕組みだけをきちんと構築すれば十分可能なのではないかと思う。
それにはっきりいって、その方が閲覧者としても見やすい。
紙で印刷するコストも無くなるし、ここはもっと考えられて良いように思う。

【昼休み】

前は開館時間が9:30から16:30で、さらに12時から13時まで昼休みで閲覧を停止されるという状況だったのが、9:15から17:00と閲覧時間が45分延長されただけでなく、昼休みでも閲覧は続けられることになった。
これは大きいと実感した。時間をフルに閲覧に使えるのは大きい。


まとめると、開示速度の遅さが気になるが、明らかに公文書管理法の施行によって、資料の閲覧状況が相当に改善されたように思う。
やはり、公文書管理法は必要な法律だったとあらためて思う。

【追記11/10】

昨日宮内公文書館に行ってきたので追記。

・開示速度についてだが、相当に上がってきている。
上記した際には4ヶ月かかっていたが、ほぼ同内容の請求が1ヶ月強で出るようになってきた。
請求が分散されて、やっとサイクルができてきた感じだろうか。

・不開示部分の墨塗りについてだが、印刷された資料の画像の質が明らかに向上した。
例えば以前は、電子データにしたものをモノクロで印刷して提供されていたが、初めからカラーになった。
担当者の人は「コストが苦しいですが」ということはおっしゃっていたが、やはり断然見やすい。
是非ともこのままカラーで提供してほしいと思う。

example01.jpg
before

example02.jpg
after

公文書管理法施行後の宮内公文書館の対応は、日々良くなっていくので非常にありがたい。
是非ともこのままより良い方向へと進んでほしいと願っている。
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公文書管理法と外交記録公開 [2011年公文書管理問題]

ある外交史研究者の方から、「公文書管理法が施行されてから、外交史料館での資料閲覧にやや問題が生じている」という話をうかがった。
詳しく聞いてみると、「これまで「要公開準備制度」(後述)の下での公開は、請求後1~2週間ぐらいで処理されていた。しかし、4月以降、30日もしくはそれ以上待たされるようになった。以前から、請求は1度に簿冊5冊までと決められているので、毎回1ヶ月以上かかって5冊ずつしか公開されないのであれば、新資料を使った研究がなりたたなくなる」とのことである。

私自身はあまり外交史料を使った研究を行っていないため、外交史料館での文書公開の問題については、必ずしも詳細に手続きを知っているわけではなかった。
そこで、興味を持って調べてみたのだが、思ったよりも実態を把握するのが大変だった。
なぜなら、この数年、日米密約問題などに絡み、何度か制度が改定されたためである。

そこで、この変遷過程と現状について報告をしておこうと思う。
それにまとめて書かないと忘れそうなので。

これまでに書いたブログ記事の中でもかなり長文の部類に入りますが、分割しては意味をなさないので、このまま1本の記事として掲載します。


まず、昨今の外交史料公開は、以下の4段階に分けられる。

①2008年までの「外交記録公開」(全21回)
②2009年2月26日の「要公開準備制度」の導入
③2010年5月25日の「外交記録公開に関する規則」制定
④2011年4月1日の公文書管理法施行、上記規則の改正


なお、これ以外に、一般からの外務省への「情報公開請求」による文書開示という手段がある。
また、この開示された文書のうち、歴史的に重要な文書と判断された文書は、その写しが外交史料館で公開されている。

ただし、今回の記事では、外務省側が自発的に文書を公開する際の手続きに説明を限定する。

①2008年までの「外交記録公開」(全21回)

図Aを参照
この図は、「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」第9回の資料1から作成したもの。

2008年時では、移管及び公開審査は、官房総務課と文書を作成した原課によって行っており、特に移管廃棄の判断は原課の意向が強く表れるようになっていた。
移管審査の際に「廃棄」が決まった文書については、外交史料館が中心となって再考し、必要なものは移管へと変更していた。(なお、話によると、廃棄以外のプロセスに対しても外交史料館は意見を言う機会はあったらしい。)

ただし、これは通常の移管についての手続きである。
これ以外に、いわゆる「外交記録公開」制度が存在していた。

「外交記録公開」は1976年から行われているもので、外務省が自発的に作成から30年以上経過した文書をまとめて公開する制度である。
他の官庁にはこのような制度は無いが、外務省の場合、日本と関係のある外国が、国際慣行に従って、30年経つと対日関係文書を公開してしまうので、自主的にこのような制度を始めたのである。

ただし、この制度はあくまでも「自発的に」行っているものであるから、どの文書を優先的に公開するかは原課の判断が優先された。
また、この公開制度は、総務課や原課が選別した記録をマイクロフィルム化(最近ではCD-R化)して、外交史料館で閲覧に供するものであり、必ずしも原本の移管を伴うものではなかった(原本との照合が未だにできないという話もあるので、おそらくほとんど移管されていないのではないか?)。
このため、さきほど説明した図Aのルートを通らない。
外交史料館もこの公開には一切関与をしていなかった。


②2009年2月26日の「要公開準備制度」の導入

2008年までの外交記録公開制度は、すべての審査を完了し、公開できるものだけを公開するという制度であった。
このため、公開までに時間がかかることや、文書の欠落の問題などが指摘されるようになってきた。
そこで、「要公開準備制度」が新設されることになった。

この「要公開準備制度」が「外交記録公開制度」と異なる点は、

a:原本を移管する(そのため墨塗り箇所などもある→墨塗り部分は複写してから塗る)
b:公開審査の最後に行うマスキング(墨塗り)作業や閲覧用目録の作成などの時間がかかる作業は、請求されてから行うことにして、先に移管目録(外務省移管ファイル件名目録)を公開する。


特にbの部分が重要で、これまではすべての公開作業を行ってからでないと公開がされなかった。
マスキングや閲覧用目録の作成は、単純作業ではあるが時間がかなりかかる作業であったため、この部分を「請求後」に行うことによって、請求されない文書を処理する時間分が浮くことなり、その分公開速度が上がることになった。
なお、この「要公開準備制度」においても、外交史料館は公開審査には関与していない。


③2010年5月25日の「外交記録公開に関する規則」制定

2010年3月に「いわゆる「密約」問題に関する有識者委員会報告書」が出され、この中で外交記録の公開方法についての改善案が提示された。
これに基づいて、5月25日に「外交記録公開に関する規則」が新たに制定され、以後はこの規則に基づいて、外交記録の公開が行われることになった。

図Bを参照。(手許に持っている資料が7月に改定後のものだったので7月現在となっているが、おそらく5月から同じだったと思われる。)
大きく変わった点は

a:これまで原課が移管・公開の1次判断を行っていたのに対し、総務課長が1次判断、原課は2次判断に(昭和54年以後作成文書の移管は原課が1次判断)。また外相の許可も必要となり、政務レベルの判断が加わることに。
b:第3者も含まれる「外交記録公開推進委員会」が審査に大きく関与。
c:新たに外交史料館が移管・公開の「手続」に「実質的に関与」。


これに基づいて、2通りの公開方法が取られることになった。

A:要公開準備制度
B:公開審査・手続をすべて終了してから公開する制度


Aについては、②でも説明したように、公開審査まで終了し、最後のマスキング等の作業を後回しにしたもの。
これまでAの目録は「外務省移管ファイル件名目録」と呼ばれていたが、以後「外交記録公開一般案件目録」となり、外交記録公開の下にある制度として再編された。

そのため、この制度での移管や公開には、外交史料館も審査手続きに関与できるようになった。
ただし「手続」に「実質的に関与」という微妙な表現なのは、審査の中心に外交史料館がいるのではなく、あくまでも「意見を言える」立場を確保したということにすぎない。

なお、ファイル名が公開されてから閲覧までの手続きは②と変わらないので、利用者にとっては特になんらかの変化を感じなかったのではないかと思われる。
変わったのは、そのファイル名が公開されるまでの間の手続きである。
(ただし、この繁雑な手続きがどこまできちんと行われていたのかは、検証が必要かもしれない。)

Bは2008年以前の「外交記録公開」を引き継ぐものとして位置づけられる。
これに基づいて、「沖縄返還交渉,日米安全保障条約改定交渉関係」の文書や、4回にわたる外交記録公開が行われた。
これらは、重要文書であるため、公開審査や手続きをすべて終えた上で、CD-Rによって公開されている。
2008年以前とは異なるのは、移管と公開審査が1つの流れとなっているので、おそらく原本の移管を伴っているのではないかということだ(制度的には原本移管を伴っているはず)。


④2011年4月1日の公文書管理法施行、上記規則の改正

まず、公文書管理法施行によって、利用者に「請求権」が発生した。
ただし、この「請求権」を毎回行使すると、すでに閲覧可能な特定歴史公文書等についても、内部の決裁が必要となって、外交史料館に行ってもすぐに文書が見れないという事態になってしまう。
そこで

ア:請求権を行使しない閲覧(「簡便な方法」による閲覧)
イ:請求権を行使する閲覧


の2つに分かれることになった。

このうち、アはすでに閲覧が可能となっている文書を、外交史料館に行ってすぐに閲覧できる手続きである。例えば、③のBで公開された文書などが対象となる。
これは外交史料館利用等規則の第22条に規定されている。

一方、イにあたるものは、これまでのAの要公開準備制度で公開された目録に載っている文書への請求の際などに用いられることになる。詳しくは後述。

これを前提にして審査についての説明を。
図C図Dを参照。

公文書管理法の施行によって、「外交記録公開に関する規則」は全面改定された。
これによって、「通常審査」(図C)と「特別審査」(図D)の2本立てで審査が行われることになった。(要公開準備制度は廃止)

まず「通常審査」の特徴であるが

a:移管審査の1次判断は、主管文書管理者(原課)の担当に再変更(2008年以前、2010年の昭和54年以後作成文書の方法に戻った)。
b:公開審査は総務課長が1次判断を行うことは変わらないが、2次判断を原課に求める義務はなくなった(廃棄の際には意見聴取)。
c:外交記録公開推進委員会の関与が大幅に減少。移管審査の際の委員長の了承を得ることと委員会への報告及び、公開審査の途中での廃棄に対する委員長の了承だけが残った。外相の決裁も同様に減少。
d:公開審査において外交史料館から意見聴取を受ける必要が無くなった(廃棄の際には意見聴取)。
e:文書廃棄の際には、公文書管理法に基づき、内閣総理大臣の同意が必要となった。


委員会の関与が大幅に削られていることをどう判断するかは難しいところ。
確かに、外部の有識者がいるところで審査を行うことは、透明性を高める意味でも重要だが、3ヶ月に1回しか行われていない委員会で数千件もの審査をまともに行うことは現実的に無理だと思われ、実質的には機能していなかったと思われる。
結局、この委員会の審査機能を強化させるよりは、重要でない案件は委員会をかけないことにすることで、現実とつじつまを合わせたということだろう。

また気になるのは、外交史料館の審査への関与の仕方である。
移管審査に関与できる権限は残ったが、公開審査への関与権限は2010年5月以前と同様に無くなってしまった。
これがどのように影響するかは注目する必要があるだろう。

次に「特別審査」の特徴であるが、

a:基本的には図Bの昭和53年以前作成文書の審査を引き継いでいる。
b:特別審査にまわす「重要な案件」を選ぶのが、主管文書管理者(原課)となっている(2010年時は委員会)。
c:「通常審査」のd,eと同じ。


この「通常審査」と「特別審査」の使い分けについては、完全にははっきりしていない。
外交記録・情報公開室に聞いてみたところ、「通常審査」は一般的な要件に適用され、「特別審査」は重要な案件に適用されるとのことである。
これでは説明になっていないのだが、どうも後者は日米安保などに関係する記録に適用されるようである。

ただ、③のBにあたる「外交記録公開」の方法を取る公開だからといって、必ずしも「特別審査」になるということでもないようだ。
どうやら、外務省にとって「特別」に審査をする必要があるという「内部の論理」(重要な案件を選ぶのが原課である)が適用される際には、「特別審査」が用いられるということなのだろう。

この「通常審査」と「特別審査」は、基本的には「これから移管されてくる文書」についての審査である。
しかし、これだけではすまない問題を抱えている。
それは、2011年3月以前に「要公開準備制度」の下でファイル名が公開されていた一連のファイルの扱いについてである。

これらのファイルのうち、管理法施行以前までに請求をされて公開されたものは、閲覧室で「請求権を行使せず」に閲覧を行うことができる。
しかし、以前に公開請求されていなかったものは、4月以降、「請求権を行使」して閲覧請求を行うことになる。
この場合の手続きは、公文書管理法に基づいた基準が適用される。
よって、3月以前に公開審査を終えて、マスキング等だけをすれば良いはずだったファイルが、4月以降の公開基準に合わせて、再度公開審査を行わなければならなくなったのである。

この4月以降の審査基準は、以前と比較すると、個人情報の開示などについての基準が厳しくなっている。
また、これまで外交史料館は、個人情報についてはそれほど厳しい非公開基準を適用していなかったようであるため、国立公文書館等と横並びに基準を設定することで、むしろ以前よりも公開基準が厳しくなってしまったのである。

これまでの裁量による開示方法は、宮内庁のように「裁量で狭める」方向に作用することもあったので、これをきちんと横並びにしてルール化したのは決して悪いことではなかったと思われる。
問題は、そのルールが一番進んでいるところに合わせて作られなかったという点にあったのではないか。

以上が外交記録公開の現状である。

今後外務省がどのように外交記録を開示していくかは、4月以降に新規の公開が行われていないのでよくわからない。
要公開準備制度は無くなったが、すべての審査手続を完了した文書公開(③のB)のあり方に一本化するのは非効率であり、文書公開の停滞を招く可能性が高い。
よって、「要公開準備制度」に近い形での、移管優先、公開審査や手続きは請求後に行うような制度が整備されるものと思われる。

なお、現状を変えるためには、やはり「人員」と「予算」を増やすことが必要不可欠であると思われる。
しかし、外交史料館は外務省の一部局であるため、総定員法の制限を受ける。よって、他の部局から人員を奪ってこない限り、人を増やせない仕組みになっている。
岡田外相は、外交史料館などの人員を増やすことを明言していたが、その後どうなったかはよくわからない。
現在の松本外相はそのあたりの積極性があるのかは未知数である。

なお、『外交史料館報』第24号(2011年3月)において、細谷雄一慶應義塾大学准教授は次のようなことを述べていた。

今回日本の外務省が採用した制度はすばらしい制度(引用者注:2010年5月の制度)だと思うのですが、人員と予算の面で、間違いなくこれは運用不可能だと思っています。つまり、予算を増やし、人員を増やさない限り、岡田大臣が理想としたようなものを実行するため、恐らくは、外交記録・情報公開室長をはじめとする方々が過労で倒れるまでは続けられるとは思うのですが、今の体制で運用していけば、いずれ必ずまた止まってしまうと思うのです。〔中略〕運用をより効果的にするためにはどうしたらいいのかということを、これから次の段階で真剣に議論しなくてはいけないということです。(53-54ページ)

細谷氏は外交記録公開推進委員会の委員であるので、ある意味、外務省内部の文書管理部門の本音の部分を代弁しているようにも思える。

この問題については、私自身は外交史料をほとんど使わない研究をしているので、どこまで追いかけるかは未知数である。
外交史研究者の奮起を期待したいと思う。
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立法府の情報公開の現状 [2011年公文書管理問題]

この4月1日に参議院事務局に情報公開制度ができました。
2008年に衆議院事務局の方にはできていたので、3年遅れで衆参両方の制度が出そろったことになります。

衆議院事務局の情報公開制度
http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_jyouhoukoukai.htm

参議院事務局の情報公開制度
http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/johokoukai/index.html

基本的には同じ制度と捉えて良いと思われるので、まとめて特徴を述べておくと、

・立法府のうち、事務局が作成している文書のみが対象(両院の法制局や国会議員が事務所で作成している文書は対象にならない)。さらに、「立法及び調査にかかる文書」が公開対象から除外されている。
・公開請求してから30日以内で公開(延長規程はない)。
・請求に手数料はかからない。公開後に複写は有料でできる。
・個人情報等の不開示規程が情報公開法に準じて設定。不服がある場合は院内にある「情報公開苦情審査会」に申立が可能。
目録は公開されているが、事務局の情報公開窓口でしか閲覧できない。

特に、一番初めの項目がかなり重要で、両議院が行った政策に関わるような文書は公開対象外だということになります。
一方、憲法などの規定によって、会議録の開示や国会議員の資産公開などの公表を義務づけられているので、その点は行政府とは事情が異なります。

これを踏まえた上で、昨日両院の情報公開室に行って、自分の関心のあることについて質問をしてきました。
その結果を備忘録的に書き残しておきます。(参議院が先なのは、参議院→衆議院の順番に行ったからです。)

1.文書目録をインターネット上に公開しないのか?

:今のところ予定はない。

:今のところ予定はない。特に、ネット上に上げてくれという要望もほとんど事務局には来ていない。
瀬畑:それは事務局に何があるかわからないから問い合わせようが無いだけであって、上げれば状況は変わるのでは?また東京に住んでいない人にとっては、ここまで来て目録を見に来るのは難しいのではないか?
:上司に伝える。

瀬畑コメント
両方とも目録のネット上への公開は消極的だった。
衆議院では、「そういうニーズ本当にあるの?」みたいな感じだった。

情報公開法ができる前の各行政機関も似たような状況だったのではないのかなと。
ニーズの有無以前として、国民に対する説明責任を果たすという考え方が薄いように思う。


2.公開対象文書のことを、衆議院では「議院行政文書」、参議院では「事務局文書」と書いているが、この概念に違いはあるのか?

:「文書管理規程」(公文書管理に関する規程のこと)を作る際に衆議院のものは参考にした。
しかし、衆議院が使っている「議院行政文書」の定義(「事務局の職員が行政事務の遂行上作成し、又は取得した文書・・・」)がやや明瞭さに欠くと考えたので採用しなかった。
また、衆議院では、「開示等に関する事務取扱規程」で「議院行政文書」の定義がされているが、公文書管理を定めた「文書取扱規程」の中では定義がなされていない。つまり、情報公開と公文書管理が一体的なものとして捉えられていない。
参議院としては、昨今の公文書管理法制定の流れから、情報公開と公文書管理を一体的なものと捉える必要があると考え、「文書管理規程」で「事務局文書」を定義し、「開示に関する事務取扱規程」で、この「事務局文書」を公開対象とすることにした。
ただ、衆議院の「議院行政文書」と参議院の「事務局文書」の対象とする文書は、ほぼ同じものだと思っている。

:衆議院は先に規程を作ったので、なぜ参議院が違う用語を使っているのかはわかりかねる。たぶん同じ意味だと考えてよいと思うが。
瀬畑:参議院では上記のようなことだと話していたが・・・
:確かにこちらでは、「文書取扱規程」において議院行政文書の定義はしていない。よって、文書管理と情報公開が一体的になっていないのは確か。

瀬畑コメント
参議院と衆議院との規程の違いは、作った経緯にあると思われる。
衆議院は、情報公開法施行(2001年)後すぐに「文書取扱規程」を作り(2002年3月)、事務局の不正な予算使用が問題となった(2006年)ために情報公開制度を作った(2008年2月)。
参議院は、この衆議院の情報公開の流れを受けて「文書管理規程」を作成し(2009年3月)、公開制度を作った(2011年3月)。

つまり参議院は、公文書管理法の審議が進んでいるさなかに文書管理規程を作ったため、情報公開と公文書管理を一体とした規程を作ることができたということだろう。
また、参議院の方が後から作ったので、より精度の高い規程が作られたとも言えるかもしれない。


3.保存期限が満了した文書のうち、歴史的に重要な文書をどのように保存しているのか。衆議院は憲政記念館、参議院は議会史料室で別に管理するとなっているが、具体的に移管などはされているのか?

:満了した文書のうち、歴史的に重要なものはそのまま各部局で所有している。議会史料室は日本国憲法施行前の史料を公開するために作られたという経緯もあるので、貴族院関係の文書は全部移管してあるが、参議院になってからのものは全く移管していない。
瀬畑:貴族院関係の文書についての目録は存在するのか?ウェブサイトでは「帝国議会予算書」などがあると記載されているが、それ以外にも所有しているのか?
:目録はまだ未整備であり、ウェブサイトに例として記しているもの以外の文書も保管している。「こういったものが見たい」との問い合わせがあれば、当方で探して公開することは可能である。とにかく、参議院の事務局には、貴族院時代の文書は立法・調査関係のものも含めて残っていない。

憲政記念館には一部の文書が移管されている(目録はPDFで公開)。憲政記念館に移管する手続きは2002年3月に定めたのだが、その後移管された文書は存在しない。
事務局の仕事は先例を調査する必要があり、また議員からの問い合わせに「憲政記念館に行くから1時間待ってくれ」とは言えない立場にある。だから、古い文書でも自分たちの部局で持ち続けている。

瀬畑コメント
参議院については、貴族院時代の文書は、問い合わせれば公開することはやぶさかではないという対応だったのは朗報か。
衆議院の「先例調査のために持ってる」との言い訳は、宮内庁でも同じようなことを言われたことがある。
だが、実際に先例として使う文書はそのうちの本当にごくわずかのはず。また、実際に憲政記念館に移管してしまった文書の問い合わせがあった場合は、憲政記念館に調べさせるという手はあるわけだから、それは言い訳にはならないと思う。
立法・調査関係の文書は情報公開の対象でない以上、ある程度時間が経ったもの(例えば戦前の文書)は憲政記念館に移管して公開するべきだと思う。


4.衆議院や参議院では、インターネットで審議中継をしているが、過去ログが1年分しか見ることができない。1年しか公開しないのはなぜ?また、この映像データはどのように保管しているのか?

:1年分しか見れないというのは、参議院の議院運営委員会で決められたものであり、自分たちとしてはそれに従っているだけである。よって、ネット上に上がっているものより以前のものを見せることは事務局の判断ではできない。
そもそもは、「会議録」ができるまでの「つなぎ」という意味で2週間公開だったものが、次第に1国会、1年と延びてきた経緯がある。
映像データについては、媒体の寿命などにも気を配り、永年保存するような対策を取っている。

:今年の1月か2月に、衆議院の議院運営委員会で「これからはずっと過去のものも見れるようにすべき」との合意があった。よって、以後は1年で非公開にせず、このままずっと見れるようになる。過去のものを再度アップロードするかは現在検討中である。

瀬畑コメント
先日のアーカイブズ学会の松本明日香報告「テレビ政治討論会のアーカイブズ」で、過去の映像が1年しか見れないことを知って、気になってついでに聞いてみた。

衆議院では今後はずっと過去ログが見れるようにすることのこと。
参議院はまだ検討していないようだが、衆議院でやれば追随するかなという気もする。


全体を通して思うことは、「立法府の情報公開」は結局は「議員」次第なんだなと思った。
参議院の情報公開・公文書管理制度の整備は、江田前議長や西岡議長が進めたもののようだし、ネット中継の過去ログの話も、議運で決まればサックリと変わっていく。
ここは行政機関とは大いに違うところで、議院事務局はあくまでも国会議員の補佐の立場にあるため、国会議員が決めればすべてがそのように進むのだ。

今回、色々と話を聞いてみて、やはり立法府の情報公開法と公文書管理法は必要だと思った。
結局、情報公開はあくまでも議院事務局の「好意」でしかない。つまり、公開は義務ではないのだ。
これは、国民の側に請求権を決めた法律が存在していないためである(行政機関や独法は情報公開法で、国立公文書館などに保管されている歴史的文書については公文書管理法で請求権が保証)。
目録がネットで公開されないというのも、このあたりが原因としてある。
また、立法・調査関係の文書が永久に非公開であることが許されているのも、請求側に法的な請求根拠がないからである。
さらに、歴史的文書の移管先が、衆議院事務局管轄の憲政記念館、参議院事務局管轄の議会史料室で良いのかということも問われる必要がある。

そして、この法律を定めるのは、まさしく立法府の構成員である「国会議員」である。
公文書管理法の附則第13条第2項では、国会の公文書管理法の制定の検討を行うことが入っており、附帯決議にも同様の内容が入っていた。
自分たちでそういう附帯決議をした以上、立法府での情報公開法、公文書管理法の制定をどうするか、きちんと議論してほしいと改めて思う。

立法府の情報公開や公文書管理問題については、今後も色々と調べていきたいと思う。
ちなみに、今回の調査の参考にした論文を紹介。興味がある人は読んでみたらいかが。

大蔵綾子「わが国の立法府における情報公開の新展開」、『レコード・マネジメント』第57号、2009年

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【連載】情報公開法改正案解説 第6回 独法情報公開法、附則、まとめなど [2011年公文書管理問題]

【連載】情報公開法改正案解説
第1回 / 第2回 / 第3回 / 第4回 / 第5回 / 第6回←ココ

震災の影響で延期されていた情報公開法の改正案が4月22日に閣議決定され、国会に提出されました。
今国会でどこまで議論が進むかは未知数ですが、論点はきちんと提示しておいた方が良いかと思いますので、数回かけて法律案に沿って解説を行いたいと思います。今回が最終回です。

法律本文の青字にした部分が変更した部分。追加のケースと変更のケースがあります。
強調や下線は重要な部分を強調した部分です。

詳しくは、新旧対照表が一番見やすいと思います。

改正案全文は内閣官房のページ
http://www.cas.go.jp/jp/houan/index.html
から見れます。

第6回 独法情報公開法、附則、まとめなど

情報公開法の改正案は、「行政機関の保有する情報の公開に関する法律等の一部を改正する法律」として国会に提出されている。
これは4条から成り立っており、第1条が行政機関情報公開法、第2条が独法情報公開法、第3条が内閣府設置法、第4条が総務省設置法のそれぞれの改正となっている。
後者の二つは管轄替えであることは、すでに第4回で説明をした。

まず残った独立行政法人情報公開法について。

基本は行政機関と同じ。
だが、独法は行政機関と機能が異なるので、その部分がいくつか異なる。

例えば、第1条の目的は「国民の知る権利を保障し」の部分だけの追加に留まり、他の変更はない。
これは、独法に対する国民の監視というのは、独法の形式的にはそぐわないということだと思われる。
また、第5条の外交、公安関係の「十分な理由」という改正部分も、そもそも独法自体がこの情報についての優先的な不開示の権限を有していないので、特に反映されていない。
なので、実質的には行政機関情報公開法の方を見ておけば、今回の改正案については十分ではないかなと思われる。

次に、附則について。

(施行期日)
第一条 この法律は、公布の日から起算して二年を超えない範囲内において政令で定める日から施行する。

この改正は、公布されてから2年以内で施行される。
ヴォーンインデックスやインカメラの問題があるから、裁判関係の部分は、準備にそれなりの時間が必要というのはわからなくはない。
だが、開示基準の変更とかについては、それほど時間をかけなくても施行できるはずである。

なので、第22条~第24条、第30条以外は、公布後半年ないし1年以内ということにした方が良いのではないかと思う。

第2条は本文が長いので簡単に説明のみ。

第1項は、開示請求に関する条文は、施行以後に請求されたものに適用(請求後に施行された場合、それは旧法が適用)。
第2項は、第2回解説の第5条第2項の部分で説明したが、法人から公開しないとの契約をして受け取った情報については、その契約は改正後も有効だということ。
第3項は、情報公開・個人情報保護審査会への不服申立の際、90日を超えた際に内閣総理大臣への報告義務については、「諮問」が施行後の時には新法が適用(不服申立やその前提となる開示などは改正前でも問題ない)。
第4項は、情報公開訴訟におけるヴォーンインデックスやインカメラなどは、施行前の事例であっても、施行後にまだ行われている裁判に適用される。

施行前後に問題となる事例について、色々と注記したものと考えれば良いだろう。

残りの附則については略。

最後にまとめ。

基本的には、行政透明化検討チームの「とりまとめ」に沿ったものであると言える。
私は、この「とりまとめ」についてブログを書いたときに、以下のようなことを書いた。

全体的には向かっている改革の方向性は問題ないと思っています。
ただ、法律の文章にしたときに、検討チームの意思がどこまで反映されたものになるかはきちんと監視する必要があると思います。

ただ、この検討チームの議論は、前へ進んだとはいえ、委員の三木さんがおっしゃっていたように、初めから大臣案という「枠」が決められており、その枠内でしか議論を行えなかったという側面があります。
私自身もパブコメで、「時の経過」の話など色々と書きましたが、当然の如くスルーされました。

会合の回数も時間も少なかったので、やむを得ない部分はあったと思いますが、この案がまだまだ検討の余地のあるものだということは頭の片隅に置いておく必要があると思います。
そして、場合によっては、ねじれ状態になった国会での再修正という、公文書管理法の時のような再現を狙うということもありうるでしょう。

この「とりまとめ」が出されたから、これでおしまいということにしてはいけないでしょう。
まだまだ民間の側からも、色々な意見を出しながら議論に参加していくことが必要だと思います。
それこそ、蓮舫大臣の言う「参加型行政」の姿だと思いますので。


この時の結論から、それほど変わっていないかなという感じです。
ただし、連載中にも書きましたが、いくつか「とりまとめ」から逸脱したものがあります。

特に、第5条の冒頭(第1回参照)、第24条第2項(第5回参照)については、大いに問題があると思います。
他にも、第5条の第3項、第4項(第2回参照)や第16条の内容(第3回参照)などについても、再度国会できちんと議論する必要があるでしょう。

せっかくねじれ国会になっているのだから、改正案を良くするためには、今度は自民党に頑張ってもらう必要があります。
ただ、与党ボケしている自民党が、防衛、外交問題の情報公開に積極的になるかどうかは正直あまり期待できないかもしれない。
そうなると、公明党あたりに踏ん張ってもらう必要があるのかもしれません。

ただ、そもそも震災復興関係の審議が目白押しの中で、どこまでこの情報公開法改正案がきちんと議論されるのかが心配です。
今回の震災の原発問題などを見ていても、情報公開の重要性はますます高まっているように思います。
少しでも良い改正案になってほしいと思っています。

以上で解説は終わりです。相変わらず長々と書いてきましたが、おつきあい下さりありがとうございました。
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【連載】情報公開法改正案解説 第5回 第22条~第25条、第29、30条 [2011年公文書管理問題]

【連載】情報公開法改正案解説
第1回 / 第2回 / 第3回 / 第4回 / 第5回←ココ / 第6回5/1更新

震災の影響で延期されていた情報公開法の改正案が4月22日に閣議決定され、国会に提出されました。
今国会でどこまで議論が進むかは未知数ですが、論点はきちんと提示しておいた方が良いかと思いますので、数回かけて法律案に沿って解説を行いたいと思います。

法律本文の青字にした部分が変更した部分。追加のケースと変更のケースがあります。
強調や下線は重要な部分を強調した部分です。

詳しくは、新旧対照表が一番見やすいと思います。

改正案全文は内閣官房のページ
http://www.cas.go.jp/jp/houan/index.html
から見れます。

第5回 第22条~第25条、第29、30条

(管轄及び移送の特例)
第二十二条 開示決定等又はこれに係る不服申立てに対する裁決若しくは決定に係る抗告訴訟(行政事件訴訟法(昭和三十七年法律第百三十九号)第三条第一項に規定する抗告訴訟をいう。第三十条において同じ。)(以下「情報公開訴訟」という。)は、同法第十二条第一項から第四項までに定める裁判所のほか、原告の普通裁判籍の所在地を管轄する地方裁判所(次項において「特定地方裁判所」という。)にも、提起することができる。
2 前項の規定により特定地方裁判所に情報公開訴訟が提起された場合又は行政事件訴訟法第十二条第四項の規定により同項に規定する特定管轄裁判所に情報公開訴訟が提起された場合においては、同条第五項の規定にかかわらず、他の裁判所に同一又は同種若しくは類似の行政文書に係る情報公開訴訟が係属しているときは、当該特定地方裁判所又は当該特定管轄裁判所は、当事者の住所又は所在地、尋問を受けるべき証人の住所、争点又は証拠の共通性その他の事情を考慮して、相当と認めるときは、申立てにより又は職権で、訴訟の全部又は一部について、当該他の裁判所又は同条第一項から第三項までに定める裁判所に移送することができる。


いままで情報公開訴訟は、高裁がある地方裁判所でしか行うことができなかった。
第1項は、これを各地方裁判所で起こせることに変更するというものである(他にも、係争中の不動産がある場所など、色々と選択肢がある)。

今までは、例えば鹿児島の人は訴訟を起こすために福岡まで行かなくてはならないなど、訴える側の経済的な負担が半端ではなかった。
今回これを各地裁でできるようにしたのは、情報公開法は「民主主義の基本インフラ」であるという原則を取ったということになる。
つまり、行政や司法側の都合で高裁所在地でやっていたものを、国民の側に合わせることにしたということになる。

しかし、似たような訴訟が複数ある場合は、それをまとめて行えた方が、コスト的に良いだろうということで、第2項の「移送」の手続きが引き続き定められた(旧第21条第1項から)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(釈明処分の特例)
第二十三条 情報公開訴訟においては、裁判所は、訴訟関係を明瞭にするため、必要があると認めるときは、当該情報公開訴訟に係る開示決定等をした行政機関の長に対し、当該情報公開訴訟に係る行政文書に記録されている情報の内容、第九条第三項の規定により記載しなければならないとされる事項その他の必要と認める事項を裁判所の指定する方法により分類又は整理した資料を作成し、及び提出するよう求める処分をすることができる。


これはいわゆる「ヴォーンインデックス提出命令」のことを言っている。
簡単に説明すると、裁判所が行政機関側に、不開示にしている理由を全て分類整理して、それぞれの不開示理由がわかるように解説した文書を提出させるというものである。
つまり、争点を明確化するための情報を、行政機関側に提出させるということである。
この提出されたものは、もちろん原告側にも提供され、それに基づいて裁判を進めることになる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(口頭弁論の期日外における行政文書の証拠調べ)
第二十四条 情報公開訴訟においては、裁判所は、事案の内容、審理の状況、前条に規定する資料の提出の有無、当該資料の記載内容その他の事情を考慮し、特に必要があると認めるときは、申立てにより、当事者の同意を得て、口頭弁論の期日外において、当事者を立ち会わせないで、当該情報公開訴訟に係る行政文書を目的とする文書(民事訴訟法(平成八年法律第百九号)第二百三十一条に規定する物件を含む。)の証拠調べ又は検証(以下この条において「弁論期日外証拠調べ」という。)をすることができる。
2 前項の申立てがあったときは、被告は、当該行政文書を裁判所に提出し、又は提示することにより、国の防衛若しくは外交上の利益又は公共の安全と秩序の維持に重大な支障を及ぼす場合その他の国の重大な利益を害する場合を除き、同項の同意を拒むことができないものとする。
3 裁判所が弁論期日外証拠調べをする旨の決定をしたときは、被告は、当該行政文書を裁判所に提出し、又は提示しなければならない。この場合においては、何人も、その提出され、又は提示された行政文書の開示を求めることができない。
4 第一項の規定にかかわらず、裁判所は、相当と認めるときは、弁論期日外証拠調べの円滑な実施に必要な行為をさせるため、被告を弁論期日外証拠調べに立ち会わせることができる。
5 裁判所は、弁論期日外証拠調べが終わった後、必要があると認めるときは、被告に当該行政文書を再度提示させることができる。


これはいわゆる「インカメラ審理手続」のことを言っている。
これまで、情報公開訴訟では、裁判官がその係争中の文書の「不開示になっている部分」を見ることができなかった。
なぜならば、裁判が「双方審尋主義」(証拠は原告被告双方が見ることが可能でなければならない)で行われるという憲法第82条第1項に書かれている大原則があったからである。
つまり、裁判官が不開示部分を自分の目で見て判断したくても、それを判決に利用する場合は、見た内容について原告に解説する必要が出てきてしまうのだ。

「インカメラ審理」とは、この点をクリアするために編み出された方法であり、裁判官だけが訴訟の対象となる文書を見て「検証」することができる制度である。
第1項は、インカメラ審理を行う際には、被告も含めて誰も立ちあわないで行われる。
第3項は、インカメラ審理は、第2項の場合を除き拒否できない、また原告はその対象文書を見ることはできない。
第4項は、本来は被告も立ち会えないが、文書の保管元である被告がいた方が良いと裁判官が判断した場合は同席可能となる。
第5項は、裁判官は確認のために再度見ることができる。

「ヴォーンインデックス」と「インカメラ審理」はセットで考えた方がよい。
そもそも「インカメラ」を行うためには、「ヴォーンインデックス」で論点を整理する必要がある。

この2つは、情報公開訴訟が盛んであるアメリカで「発明」された制度である。
日本においては、この2つが無かったが故に、裁判官が対象となる文書を見れなかったため、被告側の行政機関の説明を鵜呑みにする傾向が強かった(というか鵜呑みにするしか仕方がなかった)。
原告側が「なぜその文書が不開示か」を立証できるわけがないからだ。

この制度の導入によって、やっと「まともな」情報公開訴訟が行われることになる。
何が問題になっているのかを裁判官がしっかりと把握した上で、不開示が合理的な理由で行われたのかが判断されることになる。
なお、憲法論的にも特に問題はないということは、検討チームの議論の中ですでにクリアされている。

ただし、第2項に、行政透明化検討チームの「とりまとめ」では入っていなかった条文が入った。
それは、防衛、外交、公安関係の情報の場合、インカメラ審理を拒否できるというものである。

これは検討チームでも大きな議論となっていた部分。
警察防衛外務からは、「裁判官の守秘義務」は本当に守られるのかや、「自分たちの専門的な説明を裁判官が理解できるのか」といったような強い懸念が示されていた。
つまり「自分たちの決定を裁判所が覆すことに対するおそれ」である。
だが、この点についても、チームの各委員が「司法でひっくり返ることを否定するわけではないですよね?」みたいな尋問がきちんとなされていたので、結局「とりまとめ」では例外を認めなかった。

しかし、内部では巻き返しが続いていたということだろう。
結局、ねじ込まれてしまった。

これはかなり問題のある条文である。
そもそもインカメラ審理は、情報公開・個人情報保護審査会では容認されており、守秘義務うんぬんで裁判所の関与を否定するのはおかしい。
また、第5条の「不開示」の部分で行政機関側の裁量権を認めてしまったため(第2回参照)、裁判でもインカメラを使えないと、実質的には防衛外交公安関係の情報の不開示は、他の機関のチェックをほぼ受けないまま残ってしまうことになる(答申に強制力のない審査会の審査がかろうじて残っているが・・・)。

確かに、防衛外交公安関係の情報がセンシティブなものであることは否定できない。
だからといって、各機関の判断がすべて「正しい」とは限らない。そこには、第三者のチェックが必要なはずだ。
インカメラ審理は、対象文書を裁判官以外は見ることができないわけだし、そもそも裁判官は行政をチェックする役割を担っているはずだ。

裁判所を外しに来たのは、明らかに自分たちの組織防衛のために他ならない。
司法のチェックを受けられる仕組みは、きちんと整備されるべきだと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
第五章 情報提供
第二十五条 行政機関の長は、政令で定めるところにより、当該行政機関の保有する次に掲げる情報であって政令で定めるものを記録した文書、図画又は電磁的記録を適時に、国民に分かりやすい形で、かつ、国民が利用しやすい方法により提供するものとする。
  一 当該行政機関の組織及び業務に関する基礎的な情報
  二 当該行政機関の所掌に係る制度に関する基礎的な情報
  三 当該行政機関の所掌に係る経費及び収入の予算及び決算に関する情報
  四 当該行政機関の組織及び業務並びに当該行政機関の所掌に係る制度についての評価並びに当該行政機関の所掌に係る経費及び収入の決算の検査に関する情報
  五 当該行政機関の所管に係る次に掲げる法人に関する基礎的な情報
 イ 独立行政法人(独立行政法人通則法第二条第一項に規定する独立行政法人をいう。)その他の特別の法律により設立された法人のうち、政令で定めるもの
 ロ 当該行政機関の長が法律の規定に基づく試験、検査、検定、登録その他の行政上の事務について当該法律に基づきその全部又は一部を行わせる法人を指定した場合におけるその指定を受けた法人のうち、政令で定めるもの
 ハ イ又はロに掲げる法人に類するものとして政令で定める法人
2 行政機関の長は、同一の行政文書について二以上の者から開示請求があり、その全ての開示請求に対して当該行政文書の全部を開示する旨の決定をした場合であって、当該行政文書について更に他の者から開示請求があると見込まれるときは、当該行政文書を適時に、かつ、国民が利用しやすい方法により提供するよう努めるものとする。
3 前二項の規定によるもののほか、政府は、その保有する情報の公開の総合的な推進を図るため、行政機関の保有する情報の提供に関する施策の充実に努めるものとする。


この条文は、第3項を除き(旧第24条を改変したもの)、新たに作られたものである。

情報公開手続きというのは、申請する側も手間がかかるし、ましてや受け取る各行政機関側ではもっと手間がかかる。
だから、基本的な情報は自発的に行政機関側がもっと開示すれば、お互いに面倒が無くて済むよねということ。

第1項はその主な内容が列挙されている。

第2項は、複数回請求されるものは、需要が高いということなのだから、例えばウェブサイトで公開するとか、各情報公開窓口において手続き無しで閲覧させるようにするとかいったような、わざわざ決裁取ってどうのというような細かい手続きをせずに閲覧可能にすることを義務づけるということである。(すでに外務省が外交史料館で同じことを行っている。)

なお、一部でも不開示情報があった場合は、再審査を行う必要があるので、それは除外されている。
ただし、「提供してはならない」ということではないので、不開示情報を隠した上で提供するのは特に違反ではない。

第3項は、政府全体で情報公開を推進する政策を行いなさいということである。

いずれも、情報公開の利便性を高めるものであり、大いに歓迎するところだと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(地方公共団体の情報公開)
第二十九条 地方公共団体は、この法律の趣旨にのっとり、情報公開条例(地方公共団体又は地方独立行政法人の保有する情報の公開を請求する住民等の権利について定める当該地方公共団体の条例をいう。次条において同じ。)の制定その他のその保有する情報の公開に関し必要な施策を策定し、及びこれを実施するよう努めなければならない。

青字の部分が追加された。
早川和宏氏によると、2009年4月段階で、全国の自治体での情報公開条例制定率は99.7%だそうなので、現状を追認したということになるだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(情報公開訴訟に関する規定の準用)
第三十条 第二十三条及び第二十四条の規定は、情報公開条例の規定による開示決定等に相当する処分又はこれに係る不服申立てに対する裁決若しくは決定に係る抗告訴訟の手続について準用する。


新設された条文。
ヴォーンインデックスとインカメラを、地方自治体に対する情報公開訴訟でも使うことができるという規定である。
これにより、どの情報公開訴訟でも、この両者が使えることになる。
情報公開訴訟のあり方そのものが大きく変わるため、重要な改正だと言えよう。


行政機関情報公開法の改正については以上。
次回は附則および独法情報公開法についてと、まとめを書きます。
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