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全史料協群馬大会感想 [2011年公文書管理問題]

全史料協の群馬大会(2011年10月27~28日)に行ってきました。
せっかくなので感想を書き残しておきます。

去年ほど気合いの入ったものを書いている余裕がないので、簡単な備忘録程度でご勘弁下さい。

1日目研修会は省略。

記念講演 福田康夫元首相「公文書管理法への思いと期待」

今回行った最大の目的。
逢坂誠二氏や上川陽子氏といった管理法制定の実務担当者の講演は聞いたことがあったが、トップの話は聞いたことがなかった。

それほど裏話的なものはなかったが大体以下のような内容だった。(多少、事実関係を補足してある。)

・公文書管理問題に興味を持ったのは、父赳夫元首相の秘書時代に、地元前橋の共愛学園の100周年記念誌のための写真(終戦直後の前橋の俯瞰写真)をほしいと言われてそれを探したことから。
福田番の新聞記者から「アメリカの国立公文書館ならあるかも」と言われたので、1986年に米国に行ったときに国立公文書館に行ったらすぐに目当ての写真が見つかった。館が非常に大きくてサービスが良いことに驚いた。

・小泉内閣では何か新しいことをやろうという雰囲気があった。そこで、官房長官として公文書管理問題に関する研究会を作り、色々と検討した。ものになりそうだと思って、小泉首相の施政方針演説に政府活動の記録保存などを入れてもらった(2004年1月19日)。
(ちなみに、福田氏が当日読み上げていた「研究会冒頭での官房長官発言」はこれ(1~2ページ))

・自分は「国民のための政治」というのを推進してきた(住生活基本法、消費者庁、公文書管理法)。戦後復興の時代は、国民のためというよりは産業優先の法体系を取ってきた。それを国民目線に変えていかなければならない。

・首相になってからすぐに公文書管理法制定を推進した。追い風として大きかったのは年金問題。有識者会議で尾崎護氏をトップに据えたのは、元大蔵事務次官で官僚のこともわかっている一方、歴史小説を書く方でもあったので。この問題をやるには最適の人材だった。

辞めるとき、麻生次期首相に引継をしなかった。でも民主党に賛成者がいることを知っていたから、これは必ず通ると確信していた。

・法律を作るときには上川氏が矢面に立って頑張ってくれた。現在の国立公文書館の状況はあまり思うようにいっていない。実行段階では上川氏のような人が議員に必要(現在浪人中)。だから上川氏を国会に何とか戻してほしい。

・今年は辛亥革命百年で実行委員会の委員長をやっている。その関係で長崎の梅屋庄吉と熊本の宮崎滔天の記念館に行ってきた。彼らは友情で孫文を助けた。ああいう人物こそ後世に伝えていかなければならない。また、彼らの資料は地元で保管されており、それもまた重要なことである。


以上であるが、まず気になったのは、麻生次期首相に引継をしていないという話。
麻生内閣になってから公文書管理担当大臣がいなくなった話を過去に書いたことがあるが、やはりこういうことだったのかという感じだ。

あと、現状の国立公文書館のあり方自体には満足しておらず、公文書管理法が実行面の問題を抱えているという問題を的確に理解されていた。
ただ、やはり手足となっていた上川氏を失ったことが相当に痛手だったのではと思う。「この場に静岡の人はいませんか。ちゃんと彼女を戻してくださいね」と呼びかけていた。

また、余談のように話していた辛亥革命百年の話も、よくよく考えれば「地域アーカイブズ」の話にもつながっていた。
梅屋庄吉と宮崎滔天という非常にマニアックな人物選択は、どうやら記念館に連れて行かれたからということでもあったようだが、それにしてもこの話をしているときに、明らかにテンションが上がっているように見えた。

ああこの人は「歴史好き」なんだなと、この姿を見て理解した。
しかもただの「歴史好き」ではなく、歴史を描くための「資料」にも目が行き届く人なんだと。

結局、福田康夫というたまたま歴史好きでかつ歴史資料の重要性に気づいている人が、年金問題の発覚という絶好のタイミングで首相になったことで公文書管理法ができた、という「偶然」の重なりがあったことがよくわかった。
この法律は「運が良かった」側面が大きかったことを改めて感じる次第だ。

なお、夜の懇親会の時に、同じホテルで後援会の会合に出ていた福田氏は、わざわざ全史料協の懇親会に顔を見せにきた。
やはりそれだけ公文書管理法に思い入れがあったのだなあと、あらためて思った。


2日目のセッションは、大きく分けて「東日本大震災対応」「公文書管理法対応」の2つの話であった。

午前中は全史料協の被災地での活動(陸前高田市の公文書救出)と気仙沼市の元職員の被災状況の報告。(全史料協の活動状況はこちら参照
被災地での活動については、自分のような手に技術の無い者からすると、本当に頭が下がる思いだ。
ただ、文書レスキューを行っている他団体との連携について、あまり話がなかったように思うが、どうなっているのかは気になった。
あとは、報告にもあったが、現役の公文書を扱っている以上、個人情報保護などが気になる自治体も多いので、そういった場所に公務員を継続的に派遣できればという方針は、公務員メンバーが中心を占める全史料協の持ち味がだせる分野なので何とか実現してほしいと思う。

午後は、2013年に設立予定の札幌市公文書館の事例と、全史料協が作った「公文書館機能の自己点検・評価指標」についての報告。
札幌市の竹内啓氏の報告は、今後公文書館を作ろうとする自治体の指針となるような報告であったと思う。
全史料協の報告については、昨年度の大会で提示された指標案をブラッシュアップさせたもの。昨年細かくブログに書いたので省略。

この竹内報告、全史料協報告、そして1日目の丑木報告でも問題になっていたが、「古文書を含む私文書」を公文書館が受け入れることについて論点が出されていた。

札幌市公文書館は、公文書の受入に特化し、古文書はすでに持っているもの以外は増やさないという方針を明確にしている。
また、全史料協の指標においても、ゴールドモデルの4.5において「設置団体に属するいずれかの機関等(公文書館を含む)と地域資料(主に歴史的私文書等)の収集保存について役割分担等の連携が行われている。」と書かれており、必ずしも公文書館が地域資料を受け入れなければならないとは書いていない。
説明役の早川和宏氏が「私文書を公の機関が持っていることの正当性が担保されるのであれば受け入れれば良い」と話しており、「地域にある古文書だから文書館で保管」というレベルでは済まない説明責任を果たす必要に迫られるということだろう。

私個人としては、基本的には札幌市の向かっている方向のように、「公」の機関としての文書館は、生き残りをかけて行政文書中心の方向に行かざるをえないだろうと思う。
その際に、地域資料をどう守っていくのか、改めて考えていかなければならないだろう。
(なお、『日本史研究』2011年10月号の西村慎太郎氏の「地域に遺された歴史資料」を保存するということ」は、この点色々と考えさせられた。)

以上です。今年も色々と勉強させていただきました。
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