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【連載】「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」の「最終報告」を読む(下) [【連載】公文書有識者会議]

第1回はこちら
「中間報告」まとめ前編はこちら/後編はこちら

「最終報告」を読む(上)はこちら
「最終報告」を読む(中)はこちら

「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」「最終報告」の解説の(下)です。この有識者会議の連載の最終回(のはず)となります。

今回は、「最終報告」に基づいた法制化が行われる際に注意しておく点を、私なりに記載しておきたいと思います。
なお、私は法律の専門家では全くないので、筋違いなことを書くかもしれませんが、そのあたりはどうかご容赦下さいませ。

中編と同様に箇条書きの項目を立てます。

1.公文書の定義について

「公文書」の定義については、実は「最終報告」ではあまりきちんと書かれていない。
有識者会議の初めの頃には結構議論されていたのだが、あまり後半に出てこなくなって少し気になっていた。
現在の情報公開法(行政機関の保有する情報の公開に関する法律)の第2条第2項には次のように「行政文書」が定義されている。

2  この法律において「行政文書」とは、行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書、図画及び電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られた記録をいう。以下同じ。)であって、当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているものをいう。ただし、次に掲げるものを除く。
 一  官報、白書、新聞、雑誌、書籍その他不特定多数の者に販売することを目的として発行されるもの
 二  政令で定める公文書館その他の機関において、政令で定めるところにより、歴史的若しくは文化的な資料又は学術研究用の資料として特別の管理がされているもの


この文章で最も重要なのは、行政文書は「組織的に用いるもの」のみという限定がついていることだ。
これだと、政策立案した時の文書などを「私的なメモ」と分類して勝手に破棄することができるようになってしまう。また、「共有」ということだから、結果的に「決裁文書」のみしか残らずに、なぜそのような政策が行われたのかについては追跡できないのである。

有識者会議の第3回の時に、高橋滋委員が情報公開法の組織共用文書の定義を公文書管理法に適用することに明確に反対していた。
高橋氏はこの時に、「記録保存型文書管理」の視点から文書管理を行うべきだと主張した。
つまり、その「適切な管理保存」とは、、「当該意思決定の存在、過程、経緯を後に合理的に跡付けることができるために最低限度必要となる資料を残す」ということである。→詳しくは私の解説

今回の「最終報告」では、現用の行政文書と公文書館に移管された歴史文書を統一的に管理するということが書かれている。
そのため、情報公開法の定義とは違うものになると期待される。
しかし、もし情報公開法に合わせて公文書管理法ができた場合、この改革は間違いなく骨抜きになる。政策決定過程の文書は残らず、結果的に説明責任を果たすような資料は「公文書」として残らなくなるだろう。この点は最も注意すべき点だと思われる。

2.公文書管理担当機関の権限

今回の改革の中心は、何度も繰り返しになるけど、公文書の移管や廃棄だけでなく、文書作成、保存といった根本の所から公文書管理担当機関が監視・介入できるシステムを作り上げるということに主眼がある。
逆に言うと、この権限が不十分なものになれば、各省庁が都合の良いように文書を作り、改変し、廃棄することができてしまう。

特に重要なのは、「監視」「介入」に法的根拠を定めること、文書移管に強制力を持たせること(場合によっては強制的に押収する権限)、そしてもし違反した場合に罰則を設けることである。
意図的に文書を隠したり廃棄したりするようなことは今後十分に起きうることである。
その際に、きちんと法的な処罰が下されるようでないと抑止効果は生まれない。

会計検査院が各省庁と「なあなあ」な関係になっているような事態が公文書管理担当機関に起きてはならない。公文書管理担当機関と各省庁の間には適度な緊張関係があったほうが良いと思う。
もちろん、対立されると移管が進まなくなるから困るけど、公文書管理担当機関の方が法的に優位である状況は作っておかないと、各省庁は文書移管をサボタージュする可能性はありうるだろう。

3.利用者が不服申し立てが行えるような第三者機関の設立

実際には現行の情報公開・個人情報保護審査会の改変ということになるのかもしれないが、特に国立公文書館や外交史料館、宮内庁書陵部に所蔵されている歴史的公文書の不開示部分に対する不服申し立てができるような制度が必要である。
すでに、前回の中編でも書いているように、各省庁の恣意的な不開示を防ぐためにも、第三者機関で不開示の妥当性を争える場が必要である。

特に、外交や書陵部への不服申し立ても、第三者機関にできるような仕組みは絶対に必要である。
外交と書陵部を国立公文書館と「共通ルール」で運用する仕組みを作り上げることは、「最終報告」の「公文書管理法制に盛り込むことを検討すべき事項について」の中にも記載されている(P25)
是非とも、第三者機関の設立を期待したい。もちろん、外交や書陵部も国立公文書館と同じ扱いをするようにする法的な縛りが必要であることは言うまでもない。

4.国立公文書館等での開示までの期日の限定

これは、有識者会議で議論されていなかったから法的には入ってこない可能性が高いが、個人的には重要だと思っているので書いておきます。
一つめは、国立公文書館が文書移管を受けてから、それをリストに載せて一般公開するまでの期間を法的に限定すること(例えば移管されてから1年以内とか)。
二つめは、要審査(つまり不開示部分が含まれる可能性がある文書)の場合、利用者が請求を出してから開示するまでの期日を法的に限定すること(30日以内に決定を出さなければならないなど)。

一つめは、おそらく法律ができれば国立公文書館への文書移管件数は増えると思われるので、現在のようなリスト掲載のペースを守ってくれるのかに不安があるからである。また、これが法的に書いてあれば、人員の増員などもしやすいだろうという意図もある。
二つめはこちらが最も重要なんだが、私は宮内庁書陵部に請求したある文書が2年経っても出てきていない(審査中と言われて)。また、私の後輩が国立公文書館で「要審査」扱いになっている文書を請求したが、数ヶ月単位で待たされている。
もちろん、すんなり出てくる文書もあるのだが、こういった長期にわたって公開されない文書が出てきている。
そこで、できれば情報公開法の30日ルールのように、原則的に一定の期日内に開示決定をしなければならないような法的規制が必要であると思う。長期にわたる審査は、実質的な不開示に等しいのだ(だいたい研究に関係があるから請求するわけであり、それが1年かからないと出てこないなら研究にならない)。

また、もし不服申し立てを第三者機関にできるようにするのであれば、不服申し立てから答申が出るまでの期間も早くできるような法的規制が必要なように思う。
現行の情報公開法は、不服申し立てを諮問庁(私の場合宮内庁)に行った後、諮問庁が情報公開審査会に案件を持ち込むまでの期間に制限がないため、そこで1年かけたとしても法的には問題なくなっている(私は最長で11ヶ月かけられたことがある)。
不服申し立てを有効に機能させるためにも、是非とも細かい期日設定を法的に組みこむべきだと思う。

5.アーキビスト等の法的位置

これも前回の中編で取り上げた。ただ、公文書管理法の中に位置づけるべきなのかはわからない。
むしろ並行して別の法律(アーキビスト法)みたいなものが必要なのかもしれない。
何れにしろ、公文書管理を担う人材をどう育てるかが今後の制度運用の鍵を握るので、是非とも何らかの支援策は検討されて良いと思う。

6.予算と人員

これは法制化とは関係がない。というよりもむしろその後の話。でも通常国会は予算審議の場なので、公文書管理法案と並行して、国立公文書館などへの予算と人員の配分が行われるのかに注目したい。前年度と同予算であったならば、せっかく法制度ができたとしても、それを運用する人と金がなくて意味が無くなってしまう。
このブログでも繰り返し書いているが、法ができて終わりではない。むしろそこが「始まり」である。お金と人材が今後30年ぐらいのスパンを見て投入される必要性がある。(だからこそ福田は首相であってほしかったわけだが・・・。)

とりあえず、今のところ私が気にしているのは以上の点である。もっと出てくるかもしれないので、その時には追記します。


「公文書の在り方等に関する有識者会議」の動向を追ってすでに半年以上経ちました。
とりあえず、今回でこの連載は終了です。
今後は具体的に国会に法案が上がってから、その審議内容を追っていくということになるのでしょう。
ただ、どこまでリアルタイムで情報が入手できるかは未知数です(私にそこまで情報収集のノウハウがあるか微妙)。

できうる限り、新聞や国立公文書館のHPなどはこまめに見ていくつもりですが、もし法案が提出されたなどという情報があれば、お寄せいただければ幸いです。その際はまたブログで紹介していきたいと思います。

有識者会議が始まったときに、この会議についてネットで発言している人がほとんどいなかったので、自分の頭の整理がてらずっと記事を書いてきました。
そのためか、この会議をググる人が私のブログにたどり着く可能性は高いみたいです。どう書いてもやはり学者の文章になってしまって、読みにくいことしきりだったと思います。辛抱強くここまでお読みいただけたことに感謝いたします。

まだこれで終わりではありません。引き続きこの問題を追い続けていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いします。
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【連載】「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」の「最終報告」を読む(中) [【連載】公文書有識者会議]

第1回はこちら
「中間報告」まとめ前編はこちら/後編はこちら

「最終報告」を読む(上)はこちら

「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」「最終報告」の解説の中編です。
今回は、前回に引き続き、「最終報告」で新たに加わった点などについての解説です。この記事をいきなり読まれる方は、上記の「中間報告」まとめ前後編と、「最終報告」を読む(上)を読んでからでないとわかりにくいかもしれません。

それでは行きます。細かい論点ですので、箇条書きの見出しを付けて書いていきます。

1.国立公文書館での現在の公開基準に対する各省庁の恐れの解消について

国立公文書館での文書の不開示基準は、情報公開法が規定している不開示規定よりも狭く設定されている。
これは、情報は時間と共に劣化する(不開示にする意味が無くなる)ものであるという概念があり、世界的に見てもスタンダードな考え方である。
しかし、例えば警察庁などは、公安情報などが開示されれば捜査に支障が出るといって、国立公文書館への文書移管を渋っている。有識者会議の「中間報告」への意見書にも、その危険性について主張していた。
詳しくは、第9回の議事録解説を見てほしい。

そこで、「最終報告」には、移管の妨げとなっている各省庁の「恐れ」を緩和するために、「必要な場合は移管元の府省が意見を述べることができる仕組みとする」という一文が挿入された。(P12)
これだけだと、公文書の公開範囲が明らかに狭まるし、そもそも公文書制度改革が「各省庁の恣意的な判断で文書移管・廃棄を決めさせない」ことにあるわけだから、制度の根本が揺らぐことになる。
そのため、「最終報告」ではその直後に次のような文章を入れている。

その際、相当期間が経過した文書の公開ルールの在り方について、一般的に時の経過とともに不開示とすべき事由は減っていくものであることや、国際的動向・慣行(1968年ICA(国際公文書館会議)マドリッド大会において決議された、利用制限は原則として30年を超えないものとすべきとする「30年原則」等)を踏まえたものとする。(P11)

「30年原則」というのは、世界中の公文書の公開における大原則である。もちろん、国によっては最高機密に関わる文書は50年であったりすることはある(有名なのはアメリカのJFK暗殺関係文書)のだが、原則は30年経ったら全面公開するというのが国際常識となっている。
つまり、有識者会議は、「各省庁の言い分に耳を貸す」けど、「基本は30年原則に則る」と主張していることになる。
もちろん、実際にそのような状況になったとき、各省庁は自分の言い分を主張し、国立公文書館側はそれを退けようとするというせめぎ合いになる可能性がある。
だから、必ず「30年原則」は「法文化」しておいた方が良いと思う。なんやかんや言っても、公文書管理担当機関に各省庁が従うかは未知数である。だからこそ強制力を振るえる「法的根拠」は絶対に必要であると思う。

また、さらに、「最終報告」では、利用者の不服申し立てができる第三者機関の必要性も記載がなされている。つまり、各省庁の主張によって不開示になったものに対しては、利用者側から不服を申し立てて争うことができるということである。
これは情報公開法における情報公開・個人情報保護審査会にあたるものである。
この審査会が何度も各省庁の決定をくつがえす答申を出していることはよく知られている。第三者機関として審査会が作られるのであれば、不開示に対するセーフティーネットは十分に張られたことになると思う。

2.外務省外交史料館と宮内庁書陵部の扱いについて

「中間報告」では「引き続き検討すべき事項」として入っていたこの二つの機関の扱いであるが、正式に「最終報告」の中にきちんと次のように記載された。

国立公文書館以外に、行政機関等から公文書の移管を受けて保存し、利用に供している機関(宮内庁書陵部、外務省外交史料館)においても、公文書の利用の推進等を図るため、それぞれの特性も踏まえつつ、国立公文書館と共通のルールとする。(P11)

私は何度も主張しているが、この二つの機関は最終的には国立公文書館に吸収合併するべきだと思う。
ただ、ある程度段階を踏んで行う必要はあるだろう。

今回の「最終報告」で、この二つの機関の文書公開を「国立公文書館と共通のルール」とすると書かれたのは大きい。
1で紹介したような第三者機関に不服申し立てができるようになるだけでも全然違う。泣き寝入りせざるを得ない現状からは明らかに改善されることは間違いない。
これもまた「法文化」が絶対に必要である。「将来的な合併」というのは法律では無理だろうけど、施行令で「検討する」ぐらいの文面が入ってくれると私としては嬉しいかぎりだが。

3.電子文書、IT問題について

これについては、第10回(下)の解説を参照したほうがわかりやすいかも。
「中間報告」には電子公文書についてほとんど記載がなかったので、「最終報告」では1項目立てて書かれることになった。(P16-18)
主要な点としては、紙文書も含めた一元的管理の徹底化や、電子情報のまま国立公文書館へ移管する方法などが書かれた。ただ、この点は法文化も必要であろうが、それ以前にどのようなシステムを構築し、実際に官僚達に使わせるかという方が重要であるように思う。

また、10回の解説でも書いたが、電子公文書保存は途中の政策決定過程が残らないという可能性が高く、「決裁文書」しか残らないという現状と同じ事になりかねない危険があるように思う。
この点は、できれば情報学関係の人がきちんと解説してくれるとありがたいなあと思っている。

4.独立行政法人、司法、立法等の文書の受け入れ

国立公文書館には今のところ独立行政法人や司法・立法関係の公文書は移管されてきていない。
また、民営化した公的機関(国鉄など)の文書も同様である。
これの受け入れを行えるような法的な仕組みを整備することが「最終報告」で追加された。(P19-20)
これについては、おそらくそれほど異存がどこからも出ないであろう。

5.アーキビスト、レコードマネージャーの養成

簡単に定義しておくと、「アーキビスト」とは歴史的文書の管理、「レコードマネージャ」は現用の文書管理を担当する人と考えて良いと思う。
「最終報告」ではこういった専門家の養成方法を検討し、さらに各省庁をサポートさせることが明記された。(P10,16)
これは、アーカイブズ業界の人達にとっては一番関心のある部分であろう。

実際に法文化されるかはわからないが、やはり国家資格としてアーキビストやレコードマネージャを位置づけることは必要なのではないか。人員を養成しなければ、実際に国立公文書館を拡充するときに人員不足になりかねない。

また、これに付随してだが、加藤陽子委員が第12回の会議で主張していた(議事録P20-21)ように、公文書館法の附則2の「当分の間、地方公共団体が設置する公文書館には、第四条第二項の専門職員を置かないことができる。 」は今回の改革の中で撤廃すべきだと思う。
これまで、この条項があるが故に、専門の職員がまともに置かれない地方公文書館が存在している。もし国の公文書政策を改革するのであれば、それを地方に波及させることも考えなければならない。そのためには、その足かせになっているこの条項の撤廃は必要不可欠であるように思う。

6.国立公文書館の施設拡充

「最終報告」では「霞ヶ関地区周辺」に新たな公文書館施設の建設をとうたっている。(P22)
現在の国立公文書館は狭いだけでなく、北の丸公園の敷地内なので大規模な改築工事が法的にできない。
そのため、各省庁が集中している霞ヶ関に大規模施設をということらしい。

しかし、私が思うに、立地については、霞ヶ関から30分圏内ぐらいまで範囲を拡大しても良いのではと思う。
米国の国立公文書館の本館は確かにワシントンDCの中心部にあるが、そこにあるのは議会関係文書とgenealogy(家系調査)関係の文書ぐらいであり、ほとんどの文書はバスで30分のメリーランド州カレッジパークに保管されている。
それで実際に運用できているのであるから、別に霞ヶ関の中心にある必要は無いように思う。
ただ今は、「霞ヶ関にあるとすぐに見に行ける安心感があるから移管がスムーズに運ぶ」という理由のほうが強いのだろう。
IT化が進めば、中心部にある必要はさらになくなるのだが・・・(でも今の分館のあるつくばは勘弁してほしい。いくらなんでも遠すぎる・・・)。

以上で解説は終わりです。全体を通してみて、やはりこの有識者会議は現状では最高レベルの報告書を出したと言えると思う。これほど国民の側を向いて書かれた報告書もそうは無いのではないか。
問題は、これが法制化されたときにどうなるかである。有識者会議の結果と法案にズレがあるなんていうことは日常茶飯事である。

次回、(下)では、その法制化についての自分なりの注意点について書いておきたいと思う。→(下)へ
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【連載】「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」の「最終報告」を読む(上) [【連載】公文書有識者会議]

第1回はこちら
「中間報告」まとめ前編はこちら/後編はこちら

11月4日に「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」が、小渕優子公文書管理担当相に「最終報告」を提出した。速報
そして小渕担当相から麻生首相にも報告がなされた。
朝日新聞の4日の夕刊によると、「報告を受けた首相は「公文書は開かれた民主主義のインフラ。保存体制の整備は必要だ」と述べ、組織改編を求められた公文書館についても「しかるべき所に場所やら(職員の)人数やら今後検討していきたい」と語った。 」そうである。

そして、次の通常国会には、この報告書に基づいた公文書管理法が提出される予定である。
福田前首相とは異なり、麻生首相のこの問題への関心度は低いと思っているので、小渕担当相には是非とも頑張ってもらいたい。

さて、今回から3回にわたり、この「最終報告」についてコメントをしてみたいと思う。
なお、この連載の順番から言うと、本来なら第12回目の有識者会議(10月16日)の議事録についての解説があるべきなのですが、この会議が最終報告をめぐる議論であったため省略することにしました。

まず2回かけて、「最終報告」が「中間報告」からどのように変化したのかについて解説してみたい。そして連載最終回の3回目で、公文書管理法が実際に法案として提出された際にどこに注目すべきかを、現在の私の視点から書き残しておきたい。
なお、「最終報告」の多くの部分は「中間報告」と同文であるので、変わっていない部分については中間報告について書いた記事を参照してほしい(この問題についてあまり詳しく知らない方は、まず「中間報告」の解説からみてほしい)。
「中間報告」まとめ前編はこちら/後編はこちら


それでは前置きはここらにして本文に入ります。
今回は「中間報告」で曖昧になっていた、「公文書管理担当機関」のあり方をめぐる話について取り上げます。

まず「公文書管理担当機関」についておさらいから。
現在の公文書管理を担当している機関は、内閣府と総務省、そして独立行政法人国立公文書館の3つに分裂している。しかも、横の連携が取れているとも言い難い状況にある。
また、文書の移管先である国立公文書館に権限が全くないため、各省庁が勝手に公文書を捨てたりすることができるようになっている。
この杜撰な公文書の管理体制が、年金問題などの元凶になっていることは記憶に新しい。

今回の改革は、公文書の移管や廃棄だけでなく、文書作成、保存といった根本の所から公文書管理担当機関が監視・介入できるシステムを作り上げるということに主眼がある。
そのためにはどのような組織がよいかということが議論の中心として常に存在していた。

そこで「中間報告」では二つの案を併記することにした。

(共通部分)内閣府に公文書管理事務を集中させ、
①国立公文書館を中心として内閣府に公文書管理機関を設立する
②内閣府に公文書管理事務を担当する部局(公文書管理室など)を設置した上で、国立公文書館は「特別な法人」として現在より権限を強くする。


つまり、国立公文書館を国家機関に戻すか、「特別な法人」として独立した機関とすべきかという争点である。
そして、「最終報告」では②の方を正式に採用することとした。
その理由は以下のようなものである。(「最終報告」P20-21)

1.国家機関であった場合、単年度主義である予算に縛られて、長期的かつ柔軟な活動ができない。
2.国家機関であった場合、人事面で公務員の採用方法や人事異動の縛りがきついため、専門的な職員などを十分に採用できない。
3.司法や立法からの文書移管が行われる場合は、行政府の一機関であるより、独法の方がメリットがある。


私から見ると、「独法化するメリット」というよりは、むしろ「国家機関であるデメリット」から独法が選ばれたというような感じがする。
特に、人員の面については、各省庁が行政改革推進法によって5年間で国家公務員を5%削減するノルマを課されており、人員を増やすためには他の部署を削るしかないというのが現状である(しかも法律で縛っているから、簡単には改正できない)。
また、実際に国立公文書館は、独法化してから公文書専門の担当官を採用することができたということもあるようだし、きちんと予算が配分されるのであれば(←ここ重要!)、独法の方がメリットは大きいだろう。

ただ、委員の高橋滋氏がたびたび会議の中で警告を発していたのだが、国立公文書館が国家機関でないことで各省庁が公文書の移管を渋ることは十分にありうる。そのためにも、公文書管理法の中に国立公文書館の権限を書き込むだけでなく、国立公文書館法自体の改正も必要となるだろう。

また、「中間報告」からすでに書かれていたが、公文書管理担当相の常設化も必要だと思われる。そうしなければ、実際に国立公文書館が法的権限を持っても、実行力を伴わない可能性が高い。
今回の麻生内閣での担当相の扱われ方(私の記事参照)を見ても、法的に常設することを明記させる必要があると思う。

さて、この話に関連して、「中間報告」よりも踏み込んだ書き方がなされた部分がある。
それは、「公文書管理担当機関」が各省庁の文書管理に介入できることを明記した点である。

例えば、「中間報告」で文書の延長について書かれた部分は次のように書かれていた。

○保存期間の延長や延長期間の適正性を確保するため、公文書管理担当機関が基準を策定するとともに、公文書管理担当機関や各府省の文書管理担当課等がチェックする仕組みとする。(P9)

そして、その分担については「要検討」という注が付いていた。
しかし、「最終報告」では次のようになった。

○ 保存期間の延長や延長期間の適正性を確保するため、公文書管理担当機関が定める基準に基づき、各府省の文書管理担当課がチェックする仕組みとする。
○ 各府省において基準に基づき適切な判断が行われているかについて、公文書管理担当機関がチェックする仕組みとする。
(P9)

つまり、「中間報告」ではチェックするのは「公文書管理担当機関や各府省の文書管理担当課等」が行うと書いていたのだが、「最終報告」では「公文書管理担当機関」のみになっているのである。
これと同様に「移管・廃棄」の部分でも同様の書き換えがなされており、「公文書管理担当機関」の権限を大幅に強化する方向に変化したことが伺える。

この点は今回の改革の「肝」と呼べる部分である。
繰り返しになるが、今回の改革は、公文書の移管や廃棄だけでなく、文書作成、保存といった根本の所から公文書管理担当機関が監視・介入できるシステムを作り上げるということに主眼がある。
そして、各省庁に政策について説明責任が果たせる文書を作成させるだけでなく、保存期限が切れた文書を国立公文書館に移管させ、一般に公開させることを意図しているのである。
そのためにも、権限を強める方向に有識者会議がさらに一歩踏み込んだことは評価できる。

長くなったので今回はここまで。(中)に続く。
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【連載第11回】「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」の議事録を読む [【連載】公文書有識者会議]

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「中間報告」まとめ前編はこちら/後編はこちら
第9回はこちら
第10回(上)はこちら
第10回(下)はこちら

「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」の議事録の解説の続きです。
今回は第11回目(9月25日)の議事録を取り上げます。
最終報告の直前なのに、前回は中山恭子氏、そして今回は小渕優子氏と大臣が2回も替わる羽目になってしまった。本当に福田首相は大変な時期に辞めてくれたものだと改めて感じる。

今回の中心議題は、司法・立法の文書移管問題である。
現在、国立公文書館には、最高裁等の司法文書や、衆参両議院の立法文書は一切移管されていない。
有識者会議では、国立公文書館を国家機関に戻すか、特別な法人として位置づけるかについて議論を行ってきたわけだが、司法立法の文書移管を受ける場合に、どちらの方が良いのかということも、今回のヒヤリングの目的でもあった。

さて、まずは司法の方からである。
今回初めて知ったのだが、司法関係文書はおもに3つに分かれる。
①司法行政文書(裁判所の日常の業務で作成される文書)
②裁判文書(民事・家事・少年事件)
③裁判文書(刑事事件)


そして、これらは保存場所が異なる。
①は各裁判所、②は第一審の裁判所、③は第一審の裁判所に対応する検察庁、である。
さらに、保存年限も法律で定まっており、例えば死刑判決が出た刑事裁判の場合、裁判書(判決書など)は100年保存となっている。
そして保存年限が来た場合、学術的に必要と判断されない限りは破棄するということのようである。

ただし、期限の切れた民事判決原本は国立公文書館にすでに移管されており、つくば分館で公開されている。
また、今回のヒヤリングでも、基本的には文書の国立公文書館への移管には肯定的な姿勢を見せていた(ただし刑事訴訟の証拠などは否定的)。司法側にとっては、国立公文書館が国家機関だろうが独法だろうがあまり関係がないらしい。
「司法の独立性」ということは話していたが、公文書管理についてはそれほど抵抗はないという感じではあった。

次に立法である。
国会は憲法第57条で衆参両議院の議事録を保存公開することを義務づけられている。これはネットでもすでに検索できるようになっており、私もよく利用している。

しかし、問題は他の文書についてである。
まず、衆議院と参議院の文書管理システムは基準が揃っていない。また、「現有文書」にしか目が行っていなくて、保存公開という概念がほぼ無い。
保存した文書は憲政資料館に送られているらしいが、あまり移管もされていないみたいだし、憲政資料館が衆議院管轄だから、参議院の文書は一切送られていない。
別に、衆議院が参議院を嫌っているということではなく、そういったことを考えたことがないようなのだ。

それにつけても、出席している担当者の答弁もレベルが低すぎて愕然とする。
ヒヤリングに出席するというのだから、一番この問題に詳しい人が来ているはずなのに、応答が意味不明にも程がある。

例えば、議員の要望に応じて調査してまとめた書類は表に出せないと衆議院は主張している。
どうも、衆議院の解釈では、頼まれて作った文書は「私文書」のように捉えているみたいなのだ。
ここに菊池光興国立公文書館長が噛みついて、そういう書類も各省庁は公開対象にしていると主張したのだが、笑えるくらいに答えがとんちんかんなものしか返ってこない。(P28-29)
菊池館長が最後キレ気味になっているのを見て、共感せざるを得なかった。

衆議院や参議院は、これまで情報公開制度も一切無く、職員の裁量で見せるか否かを決めていた。(今年4月に一部の資料(これも調査資料は含まれていない)は請求に応じるようになった。)
つまり、文書管理や情報公開への関心が全くないのである。

この答弁を見ていて、おそらく情報公開法施行前の各省庁はこんなだったのかもしれんなと思った。
そう考えると、現在の各省庁の対応がいかに改善されたかがわかるから、法律ができることは偉大だと改めて思う。
やはり、公文書管理法を制定し、そしてきちんと運用をすれば、10年後には絶対に文書管理も情報公開も進むのだと確信を持って主張できる。

この後に、最終報告案の話があるのだが、今回は省略。最終報告が出たときか、次回最終回の第12回の議事録とともに解説をしようかと思います。
今回はここまで。

最終報告(上)へつづく
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【連載第10回】(下)「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」の議事録を読む [【連載】公文書有識者会議]

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「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」の議事録の解説の続きです。
今回は第10回目(9月4日)の議事録を取り上げます。すでに(上)で一般から募集した意見についての話題は書いたので、それ以外のことを書きます。

第10回の会議の主題は「電子公文書」の管理問題である。
最近の文書は、どこでもそうだと思うが、パソコンでほとんどが作成される。
そこで、電子情報のまま公文書を保存し、これを利用することが検討されることになった。

電子情報のまま国立公文書館に移されて公開された場合どうなるか。
メリットとしては、文書を文字検索できるようになることがまず挙げられる。さらに、紙と異なりスペースはあまり取らなくて済むようになる。移管もデータのコピーだけでできるようになる。

しかしデメリットも色々とある。
一つは、作成した文書が読めなくなる可能性があるということだ。
例えば、今、一太郎を使って文書を作っている人はまだそれなりにいると思われるが、もしジャストシステムが一太郎を作らなくなってしまった場合、30年後にその文書が読めなくなっている可能性がある。
現在でもMS-DOSで作られた文書は、特殊なソフトが必要となっている。
また、CD-ROMなどは劣化が紙よりも圧倒的に早い。そのため、定期的にデータを新たな媒体に移し替える必要が出てくる。

国立公文書館の電子公文書保存の取り組みによれば、福田康夫氏が官房長官時代に作った「公文書等の適切な管理,保存及び利用に関する懇談会」において作成された「中間段階における集中管理及び電子媒体による管理・移管・保存に関する報告書」(2006年6月22日)で報告されたものを元にして、実証実験を2007年度から行っていたという。
福田が官房長官を辞めたために消えていたのかと思っていた試みが、どうやら水面下ではきちんと行われていたらしい。
今回の有識者会議の資料4ではその取り組みについての要旨が書かれており、2011年度より電子公文書の移管保存が開始されるということである。

この電子公文書を保存する際に、最大の問題は「メタデータ」の問題である。
「メタデータ」というのは、なかなか日本語に直しにくい言葉なのだが、簡単に言うと「ファイルの内容がわかるようなキーワードなどを打ちこまれたデータ」というところだろうか。

例えば、普通、ファイルを作るとき、背表紙にファイルの中身がわかるようにラベルを貼りますよね。「人事関係書類」とか。
でも、それだけでは、実際に何が入っているかは中身を開いてみないとわからないわけです。
そこで、その中身がわかるようなキーワードをそのファイルに付けておくわけです。例えば表紙に「人事課 2008年 人事異動 給与表 出勤簿」とかいうように。こうすると、表紙を見れば何が入っているかわかりますよね。
この「メタデータ」を検索できるようにしておけば、すぐに目的の書類を見つけることができるようになるわけです。

現在ではこの「メタデータ」は背表紙のラベルしか登録されていない。しかも、以前にも私は書いたことがあるが、行政文書ファイル名(つまり背表紙のラベル)の付け方が非常に漠然としている(例:庶務関係録)ので、現在では検索システムはあってないようなものと化している。
これは、ゲストとして呼ばれていた杉本重雄筑波大学教授も話していたが(議事録P7-8)、現在の行政文書管理ファイルはおそらくあまり官僚達にも役に立っていないと思われる。

もし、この「メタデータ」をきちんと作っておかなければ、データ検索は非常に困難になるだろう。電子データを全文検索した場合、おそらくヒットしすぎで逆に役に立たない。メタデータである程度あたりを付けるということが絶対に必要となるはず。
そして、このメタデータは国立公文書館に移管されてから作成するのは非常に困難をともなう。なぜならば、全部読んだ上で、どのキーワードが重要なのかを判断する必要があるからだ。
だから、メタデータの作成は、実際に各部署で使用している際に付けてもらわなければならない。

これは面倒だと思われる可能性が高いが、付けておけば、あとで自分たちが文書を探すときに時間の無駄を省くことができるようになるのだから、実際にはメリットの方が大きい。

以前、NHKアーカイブズに見学に行ったときに聞いた話だが、NHKでは映像のデータを後で使いやすくするため、著作権や出演者の肖像権の問題などがどのように処理されたのか、またドキュメンタリーで撮影した場所がどこであるのか、取材対象者の連絡先はどこであるのかといったデータを、各番組に付けることを義務化しているようである。
初めはなかなかメタデータを付けてくれなくて苦労したようだが、付けない人達を説得していって、おおよその番組では付けてくれるようになったらしい。

一回、付けることが習慣化してしまえば、メリットが生きてくるはずである。
メタデータを付けることは法律で決めるようなことではないので、おそらく施行令か通達ということになるのだろうが、この徹底化はある程度の強制力が必要になるはずであるので、この点は最終報告にきっちりと書いてほしいと思う。

しかし、一方で歴史研究者としては、この電子公文書保存の動きには少し留保を置きたいと思う。

加藤陽子氏が会議で、「本当に大事な政治、歴史を後世に見る場合の文書管理・保存というのは、通常の業務や電子媒体の話とは違ってくると思うんですね。歴史的に重要な公文書というのは、だいたい、3%から8%と言われています。この、残されるべき、電子媒体にしろ、文書というものをどうやって管理するかという考え方は、IT化という問題を扱う考え方とは別の枠組みが必要なのではないか。」(P37)ということを言っていたがこれは私も同感である。
ただ、この発言からだと真意がわかりにくいように感じる。

これを理解するには、小池聖一広島大学公文書館長の近著『近代日本文書学研究序説』(現代史料出版、2008年)に記載されている「行政文書管理と電子文書化」(第12章)が参考になる。
小池氏は電子公文書保存にやや否定的な立場であり、紙で文書を保存すべきであると主張している。
特に小池氏が一番強調しているのは「原議」(起案文書)の重要性である。
つまり、実際に政策の作成過程を見る場合は、どのように修正されていったのかが重要になる。だから、原議に書き込みをされている加筆訂正こそが歴史研究としては意味があるのだ。

でも、電子文書は訂正したら上書きされてしまう。
また、履歴が残っていたとしても、それは誰の意見で訂正されたかはわからない。手書きで色々な書き込みをされた文書こそ、歴史研究では重要視されるのである。
もし、電子公文書の移管に際し、この作成過程の保存という観点がなかったら、結局は現在と同じような「決裁文書だけが残っていて、なぜその政策がなされたのかが全くわからない」ものしか保存されなくなってしまうのではないか。→参考:第3回の有識者会議の高橋滋氏の発言への解説

ただ、保管スペースの問題など、紙での保存にも色々な制約があることは事実ではある。その意味では、全て紙で保存せよというのはやはり難しいようにも思う。
でも、政策過程がわかる文書の保存をどうするかだけは、未来に対する説明責任という観点からも重要であると考える。場合によっては手書きの文書をスキャンすることもありではないかと思うが。
このあたりが最終報告案でどうなるかは注目していきたい。

今回の解説は、会議内容の一部分に集中的に行うことになってしまった。
これは、ひとえに総務省などがやっている電子文書のシステム最適化の話がいまいちよくわからなかったためでもある。このあたりは専門的な情報学をやっている人でないと解説は難しいように思う。さすがに私には無理であった。

以上です。
第11回
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【連載第10回】(上)「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」の議事録を読む [【連載】公文書有識者会議]

第1回はこちら
「中間報告」まとめ前編はこちら/後編はこちら
第9回はこちら

「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」の議事録の解説の続きです。
今回は第10回目(9月4日)の議事録を取り上げます。
まだ議事録が公開されていませんが、歴研のシンポジウム前に8月15日まで募集していた意見募集の結果について先に紹介しておきたいと思います。

その前に少しこの会議について余談を。

この9月4日の会議は、すでにブログで書いたとおり、福田首相が退任宣言をした直後に行われたものであり、福田首相も冒頭に出席して話をしていた。
要旨が有識者会議のHPに載っていたので前半部分を引用しておきます。(読みやすいように改行を入れます。)

 委員の皆様は御多忙の中この会議に出席いただき、また、本年3月から議論いただき感謝。
 公文書館制度の強化への取組について日本は世界に後れを取っており、本来もっとしっかりしていないといけなかったが、ぽっかり穴があいたようになっている。
 4年前にも重要政策の一つとして取り組んだ。
 そもそも公文書は、国民に政府の情報を提供する、世の中に事実を知らしめるための民主主義の原点であり、国民共有の財産である。
 文書をきちんと作って、収集していかねばならない。しかし、我が国の公文書制度は残念な状態と言わざるを得ない。
 他の国のように立派なものに追いつかないといけない。文明国である我が国としてふさわしい制度や施設が必要。
 具体的な姿は作っていただきつつあるが、最終報告に向けてさらに御議論をいただき、よろしくご指導をお願いしたい。
 お願いしておきながら、ご存じのように総理を引くこととなってしまい申し訳ない。私自身関心のある分野。機会があれば、新しい立場でもまたしっかりやっていきたいと思っている。
 政権は変わるが、重要政策は変わらない。


また、前回の有識者会議で、改造前の大臣であった上川陽子氏が、中間報告を福田首相に提出したときのことを次のように語っている。

 当日は10分ほどの、大変お忙しい中でのお時間をとっていただきましたが、結果的に見ますと、30分を優に超えるようなお時間となりまして、大変細部にわたってのご意見等も承ることができました。特に、印象深かったことといたしましては、総理の方から、将来の人員規模について、ここでの最後の議論になっておりましたけれども、数百人とした点につきましては評価をいただくことができました。
 また、専門的な人材、そしてその確保の必要性、また養成のあり方、このことにつきましても触れていただきましたし、電子文書化、そしてデジタルアーカイブへの取り組み、このことについてもお触れをいただきました。
 また、そうしたことに取り組む組織のあり方ということについてもお触れをいただきまして、このことにつきましては、この有識者懇談会の中でも大きなご議論になってきた点でありますし、同時にこれからの積み残された課題ということでの取り組みもこれから精力的に行っていただくべきことであるということでありまして、そういう意味では中間報告の方向性とそして総理のお考えが一致しているということを確認したわけでございます。
第9回議事録P20-21)

こういう発言を読んでいると、本当に福田首相はこの問題をよく理解していたのだなあと改めて実感する。特に人員規模の部分が重要だと福田の方から指摘しているところなどは、どこに一番要点があるかをよくわかっている。
何度も書いているけど、なんでこの時期に政権を投げたのか。絶対この法案の成立に、一議員としても関わり続けてほしいと願っている(今度の選挙で引退とかしないでしょうね!)。

さて、本題。
このブログでも紹介したように、8月15日まで、有識者会議の「中間報告」に対する意見募集が行われていた。
私も自分の周囲の人に呼びかけたり、他の団体などにも呼びかけて話を広げてもらった。
もちろん私も書いて送った。

その意見が、匿名にされた上で有識者会議の資料としてアップされている。→こちら
それで意見総数なのだが、

合計71名(内訳 個人57名 団体14)

・・・・。
うーん。また微妙な数だ。
パブリックコメントは多くの省庁が募集するが、積極的な広報が全くなされないため、ほとんどが数件しか来ないのが普通。
その中では健闘したとは言えるんだろうが・・・。せめて100は行くかなあと思ったが、そこまでも行かなかったか。

個人のコメントの内容から見て、確実に歴史研究者と思われるのは20数件、アーカイブズ関係者が10数件。
私から見ると、この問題に歴史研究者よりも関係のあるアーカイブズ関係者らしきコメントが少ないことが気になった。
もちろん、記録管理学会など、団体として意見を送付している人が多いということもあるだろうが、別に団体で送った後に自分で意見を送ったって良いはず。
歴史研究者の関心がなかなか向かないというのは、自分の実感からしてわからんでもなかったが、思ったよりアーカイブズの方でも関心が低いんだろうか。少し気になるところだ。

さて、内容であるが、ほぼ中間報告礼賛と言って良いと思う。
特に、「レコードマネージャー」や「アーキビスト」といった専門家の養成という点に意見が多かった。これは団体の意見の多くがここに触れていたというのも大きい。
また、強力な公文書管理機関を要望する声も非常に多かった。

300字という制限があったからか(実際には無視している人も多かったが→もっと書けば良かった(泣))、中間報告に沿った意見が多く、それほど突拍子のない意見があるという感じではなかった。
ただ、人によって力点が違っており、様々な人がこの政策に期待をしているのだなということはわかった。

あと宮内庁への不満を書いているのは私だけではなくて驚いた(苦笑)。
外交史料館と書陵部をこの制度の中にどう組みこんでいくのかは、私にとっては一番重要なので、同士がいて心強く感じた。

詳しくは意見募集の結果の冒頭に、意見を要約したものが書いてあるのでそちらを見ていただければ。

第10回の(下)は議事録が公開された後に書きます。→アップしました
しかしこのペースだと10月の最終報告まで、あと2回ぐらいしかないのではないかなあ。少し時間が足りなくないか?
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【連載第9回】「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」の議事録を読む [【連載】公文書有識者会議]

第1回はこちら
「中間報告」まとめ前編はこちら/後編はこちら

「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」の議事録の解説の続きです。
今回は、中間報告後初の会議の第9回目(8月1日)の議事録を取り上げます。

今回の議題は、中間報告に対する各省庁の反応ということであった。事前に提出された意見にプラスして、外務省、財務省、厚生労働省、国土交通省の担当者からヒヤリングを行った。

外務を除く三省は、具体的な意見と言うよりはむしろ「人員と予算に配慮してほしい」といった感覚的なレベルの意見が非常に多かった。
それに対する委員の意見は、各省庁の具体的な状況がどうなっているかを求めるものが多かった。
特に、以前、上川陽子公文書管理担当相(当時)から強烈なだめ出しをされていた国交省は、質問で具体的に自分の省ではどうなっているのかという話をつっこまれてはボロボロな答弁になっていて、ほぼサンドバック状態であった。

今回の議論で考えなければならない点は2点あるように思う。
一つめは、外務省外交史料館の位置づけ。
二つめは、警察庁、法務省、防衛省、財務省などによる「公安情報」の扱いへの憂慮。

第一点の外交史料館について。

まずは前提の話であるが、各省庁から公文書を移管する先は国立公文書館である。
ただし、例外を認められている機関が2つある。
外務省と宮内庁である。
外務省は外交史料館、宮内庁は書陵部への文書移管が認められている。
これは過去の色々な経緯というのもあるのだが、いずれにしろこの二つの省庁だけが特別扱いを許されている。

今回、外務省の担当官は、この外交史料館が国立公文書館から独立していることの正当性を訴えていた。
その理由は以下の通りである。

外交文書は、他省庁の公文書とは異なり、国際関係に関わる文書であるという特殊性がある。
内部での廃棄・移管手続きは厳密に行われている。歴史学等のバックグラウンドを持つ専門家が関わっており、原課の廃棄判断が覆されるケースもある(平成18年は200件。専門家の意見が覆されたことはない)。
不開示部分に対する再審査要求手続きも完備している。(ただし今まで不服申し立ては1件もない。)
他機関との協力も行われている。アジア歴史資料センターでのデジタルアーカイブで全体の3分の1がすでに閲覧可能になっている。
『日本外交文書』の編纂を専門家を招いて行っている(現在201冊刊行)。

これを見ると、わからなくはない部分もある。
でも、私は自分で意見書に書いたとおり、外交史料館は外務省から切り離して、国立公文書館と統合すべきだと考えている。
それは、上記のうちの「廃棄移管手続きは厳密に行われている」という部分への疑念をぬぐい去れないからである。

私の周りの研究者の中には、「外交史料館は本当に全ての関係文書を公開しているのか?」という疑問を持っている人が非常に多い。
それに、以前外交に勤めていた人が「隠しているよ」ということを話していたのを聞いたこともある。

確かに、外交文書には、どのぐらい年月が経過したとしても、政治的に開示できない文書が含まれていることは間違いない。
例えば、今裁判になっている日韓条約文書も、今後の対北朝鮮外交を考えたとき、全てを開示することは困難だろうと思う。
しかし、それならば、「この部分は開示しません」ということを明示すればよいと思う。全てを不開示にする必要はないはずだ。
どこを隠したかを示さないからこそ問題になるのだ。
こういう状況では、やはり「信じろ」と言われても信用しきれない。

(なお、情報公開での公開は、不開示部分を黒塗りにするという方法になっているので、開示方法としては正当である。外交史料館にある史料は、実際には「編纂」し直しているので、まずい文書は「外して」いるのではと思われる。
→ちなみにこう書くと全ての不開示を容認しているように見えるかもしれないが、私は「過剰に」隠されていたり、開示までに「時間をかけすぎ」ていることを問題にしているのだ。また、国立公文書館等に移管して全てを原則公開するのがもっとも適切だということもずっと強調してきている。)


また、他の理由となっている、「外交文書の特殊性」という点も、他国で外務省だけが独立して文書館を持っている所がほとんどないことから考えても理由にはならない。
『日本外交文書』の編纂もまた同じである。国立公文書館に統合されたとしても、事業そのものは継続できるはず。

おそらく、外務省内の手続きは、他省庁と比べれば厳密であることは疑いない。小池聖一氏が外交文書の編纂過程について論文を書かれているが(『日本歴史』1997年1月号)、ここの持つノウハウは突出しているように思える。
しかし、そうであっても、やはり外部の目を入れなければ、証拠隠滅の疑念を払拭できることはないのである。
外交史料館の能力を生かしながら、国立公文書館に統合するというのが、一番の良策だと思うのだが。


次に二点目の警察庁、法務省、防衛省、財務省(国税庁)などによる「公安情報」の扱いへの憂慮について。

これは、情報公開法第5条とその施行令第3条における、「開示範囲の差」の問題である。
情報公開法第5条では6項目にわたって不開示にできる情報が列挙されている(個人情報など)。
一方、公文書館に移管されてから適用される施行令第3条の規程によれば、3項目しか不開示にできない。

そしてこの3項目の中に「公安情報」が入っていないのである。
警察などはそこを問題にしている。つまり、移管すると、捜査手法なども含めた情報が公開されるのではないかというおそれである。

たしかに、そのおそれはわからなくはないと思う。
しかし、問題としたいのは、「移管元の行政機関の専門的な判断が反映されるべき」という主張である。
つまり、事実上、移管するか否かは自分たちで決めさせてほしいという主張である。

これでは、今までと全く変わらない。
今回の改革の最も重要な点は、移管するか否かの判断を各省庁が握っている状況を打破し、独立の公文書管理機関がその権限を握るべきだということにある。
この警察などの主張している点は、この流れに逆行するものである。

もちろん、「専門家の意見」が判断材料になるのは言うまでもない。
でも、絶対に必要なのは、あくまでも「原則移管」「原則公開」の方が先にあり、もし不開示にしたいのであれば、それが正当な理由であることを各省庁が公文書管理機関に対して説明責任を負うという仕組みにしなければならない。

私の書いていることが、警察の主張と何が違うのかとひょっとすると思われるかもしれない。
ここで言いたいのは、警察などはあくまでも「不開示前提」で可能な物を公開するという主張であり、私の主張は「原則開示」でどうしてもダメなものを非公開にするというものである。
これは、「鶏と卵」という話とは全く違うのである。


さて、今回の各省庁からのヒアリングを見ていて、警察等の上記の部分を除いては、各省庁も基本的には賛成という感じが強かった。
もっと反発するものかと思っていたので、これは少々意外であった。(ただ反発した部分は核心に関わる問題であることに注意が必要。)
ただ、どの省庁も「案はいいけど、人と予算がないとね」という意見だったので、結局この二つがまわってこないと中途半端に終わることになるのだなということもまた強く感じた。
やはり制度ができればよいという問題ではない。長期的な視点からのこの問題への取り組みが求められていると思う。

今回はこれでおしまい。
第10回(上)はこちら

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【連載第8回】「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」の議事録を読む [【連載】公文書有識者会議]

第1回はこちら/第2回はこちら/第3回はこちら/第4回はこちら/第5回(上)はこちら/第5回(下)はこちら/第6回はこちら/第7回はこちら
「中間報告」まとめ前編はこちら/後編はこちら
中間報告への意見募集中の話はこちら

「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」の議事録の解説の続きです。
ですが、上記しているとおり、すでに「中間報告」の解説をしてしまっているので、第6回から8回は気になったところだけをテーマ別にピックアップして書いていこうと思います。

今回は前回の続きです。
細かいネタをいくつか。

まず、中間報告の題名「「時を貫く記録としての公文書管理の在り方」~今、国家事業として取り組む~」の由来について。
この表題を考えたのは、上川陽子公文書管理担当相である。
上川担当相によれば、論語の「吾が道は一以て之を貫く」から取ったという。
折角なので解説を引用。

「今日の中間報告の公文書の意義というところにも、民主主義の基本として、これを国のある意味では背骨の部分の役割として位置づけていくということが大切であるということ、そしてそれを、過去・現在・未来という、人の営みは1つの収束があるわけでありますが、国としての営みは脈々と続いていくものであるし、その中で、記録というものが大変大きな役割を果たすものであるという、そういう趣旨で、時を貫く記録ということ。そして、そのものが公文書であるということ。そして、これを今、国の事業として、その管理の在り方についても、ベストなものを目指しながら努力を重ねていくということが大切ではないかと、そういう思いでご提案をさせていただいているものでございます。」(第8回議事録7-8頁)

委員達も一様に感心していたが、私も正直「やるな」という感じだった。
私は就任当初は、上川氏で本当に大丈夫かと不安に思っていたわけだが、意外とやるというのが率直な感想だ。
内閣改造をするのかどうかわからないが、公文書政策の方には水を得た魚みたいな感じになっているので、このまま上川担当相には頑張ってほしいと思う。(少子化担当相の方は全く顔が見えないが。)

ちなみに本当に余談だが、この論語の言葉の続きは「夫子の道は忠恕のみ」って続くんだが、これは私の研究対象でもある小泉信三が大好きな言葉で、現天皇も小泉の影響から「忠恕」という言葉が一番好きであるということを記者会見で語っていたことがある。こんな所でつながってくるのかと不思議な気がした。

さて、次には大きな話では全くないのだが、前にも取り上げた戸井田みのる内閣府政務官に関する話である。
戸井田政務官は第8回の会議で、中間報告の冒頭の部分に、米国に日本の公文書が接収された=歴史を引っかき回されたということを、もっと強調するべきだと主張した。
さすがにまわりからたしなめられていたが。

この話は、接収文書の行方の問題と絡んでいる。
米国は、東京裁判との関係などもあり、進駐直後に大量の公文書を押収した。
押収された文書は、その後、米国国立公文書館と議会図書館に移された。
そして、1950年代半ばになり、日本は米国の友好国であったために、陸海軍文書が返還された。
しかし、分散していて全体像が明確でなかったので全てが返還されておらず、さらに米国の安全保障に関する文書などは返還されなかった。
そのために、歴史学研究会などが中心となって残りの文書の返還運動が起き、1970年代になってやっと内務省文書などが返還されたのである。(これでも全部ではないと言われている。)→経緯については国会図書館の説明が詳しい。

戸井田政務官は、全て返さなかった米国を責めている。これは正しいと思う。
ただし、彼は「返ってきた文書はどうなったのか」ということに目が行っていない。
1958年に防衛庁に返却された陸海軍文書は、その後長らく研究者も閲覧できなかった。そして現在でも全てが公開されていないと言われている(有名なのは731部隊の文書)。
米国側はその事態を予め想定しており、重要な文書はマイクロ化して自分たちで保存するだけでなく、その複製を日本の国会図書館に無償で寄贈したのである。
つまり、結局は米国のアーカイブズの機転などによって、文書が残ったり公開されたりしたのである。
おそらく内務省警保局の文書などは、米軍に押収されていなかったら、内務省解体と同時に闇に葬られていたことだろう。
また、歴研などが文書返還運動をしていたときに、当時の首相佐藤栄作は「コピーじゃダメなのか」と言ったという話を誰かが書いていたのを読んだことがある。
それぐらい、日本は公文書を残すということを軽視していたのである。

でも、戸井田政務官が、もっとこの公文書改革が重要なんだということをアピールしたいんだということを頑張って主張していたことには共感する部分が多い。

最後に、宮内庁書陵部の問題を取り上げておきたい。(外交史料館もこれに準じる。)
すでに第2回の会議の時に、高橋伸子氏が国立公文書館に移管していない宮内庁や外務省、防衛省などの問題は取り上げてくれており、私もそのことを絶賛したブログを書いた
その後全く話が出てこなかったのだが、第7回になって、宇賀克也氏が、現在の情報公開法では開示内容に不服があった場合に第三者機関である情報公開・個人情報保護審査会に訴えることができることを紹介し、それに準じるシステムが国立公文書館には存在するが宮内庁書陵部には存在しないことを指摘した。
つまり、現在では書陵部で不開示とされたものについては、どうしようもないのである。

私は最近書陵部で資料を見ることが多くなっているので良くわかるが、そもそも審査にものすごく時間がかかるし、不開示の方法も「袋とじ」なので、前後の本当は見ても問題ないはずの情報までもが見れなくなっている。
これは、不服審査を申し立てる機関があれば、絶対に申し立てを行うところであるのだが、現状では裁判をやる以外には手を打ちようがない。
私としても、そこまでするのかという感じもして我慢している。

宇賀氏がここで言っているのは、国立公文書館と同様の公文書管理施設である宮内庁書陵部に、同じようなシステムを整備するべきだと主張されているのである。
そして、それを上回ることを言ってくださったのが、加藤陽子氏である。
長いのですが、私には感動的なので、全文引用。(なお19ページと言っているのは、第8回の資料1のこと。)

「6の19ページの真ん中辺ですが、公文書を保存・利用する機関についてのところで、たしか高橋委員から、宮内庁書陵部についてなどを言及されたことでこれが入っていて、非常に私は結構なことだと思いますが、政府として「統一的に管理する」という発想を入れた方がよいのではないか。つまり、宮内庁などに対しては、情報公開法でも公文書館法でも除外して持っていていいよという規定になっているのですが、例えば独立行政法人化した国立公文書館が非常にがんばって、受け入れ後11か月以内で公開するような慣行が、今のところできているわけですね。最大11か月と。ですから、このいわゆる適用除外機関でも、文書そのものは保管していてもいいですよ、だけれども、メタ管理というんでしょうか、こちらが、公文書管理機関が、宮内庁書陵部は本当に11か月以内で公開しているかどうか、外務省外交史料館が同じ基準で公開しているかどうかというのを、やはり全体として目配りできますよということは、この19ページの真ん中の部分で含意されていていいと思います。
 やはり1945年以外は原則移管すると言いながら、宮内庁などには、ずいぶん内大臣府関係の重要な、軍が上げたような上奏書類などがあるわけですね。これは、日本の国や天皇の役割というものをきちっと説明するためにも、むしろどんどん公開したほうが、私はいいと思っておりますので、この宮内庁書陵部などについての全体的な統一的な管理というのは、非常に大事だというところでコメントさせていただきたいと思います。」(第8回議事録21-22頁)

加藤先生(涙)。
まだ一度もお会いしたことはないですが、何というか私の言いたいことを存分に言ってくださったという感じがする。
やはり、こういう会議に歴史学者がいるだけで、全然違うということは本当に良くわかった。

中間報告でも検討課題に入っていたが、外務省外交史料館と宮内庁書陵部は今のところ特別扱いがなされている。
でも、この二つの機関は、各省庁の「内局」である。だから、根本的には各部局が、史料を引き渡すか否か、公開するか否かの決定権を持っているのだ。
これは、現在の各省庁と国立公文書館の関係と同じというか、もっと状況が悪い。
もし公文書管理機関が、移管についての大幅な権限を持つような改革をするのであれば、この2つの史料保存機関をどうするかは重要である。
この2省庁だけが特別扱いされた場合、他の省庁が新設される公文書管理機関にどこまで従う気になるのか、危うくなると思われる。

以上で解説はおしまいです。
8月1日から、後半戦がスタートするようです。たぶんまた何回かまとまった時に書くと思います。
最終報告は10月に出る予定。
どうもお読みいただきありがとうございました。

後半戦の第9回はこちら
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【連載第7回】「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」の議事録を読む [【連載】公文書有識者会議]

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「中間報告」まとめ前編はこちら/後編はこちら
中間報告への意見募集中の話はこちら

「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」の議事録の解説の続きです。
ですが、上記しているとおり、すでに「中間報告」の解説をしてしまっているので、第6回から8回は気になったところだけをテーマ別にピックアップして書いていこうと思います。

今回は前回の続きです。
テーマは「実効性のあるためのシステムを構築する」にはどうしたらよいかということです。

情報公開法が制定されたときに、公文書の管理の「器」はできたはずだった。
しかし、「魂」は入らなかった。
そのために、法の施行直前に大量の文書廃棄が行われたり、情報公開を担当する職員もお金もあまり回されなかったために、公開期限の延長が多発したりした。
結局、「器」を機能させるだけの「人」がいなかったし、そういう人材を育てなかった。

だからこそ、今回の有識者会議は、「器」としての文書管理法の制定だけでなく、これがどうすれば「実践」されるのかに、議論の時間を多く割いている。
第7回でその点について、尾崎護座長と菊池光興国立公文書館長の間で「移管基準」をめぐる議論が行われた。

菊池館長は、文書の移管基準を細かく書きすぎるのは良くないと主張する。
そうすると、結局何がその基準に適用されるのかされないのかという些末なことで時間がかかってしまって、制度が機能しなくなる。
そして、次のように主張する。

「文書管理機関のほうの判断を優先させていただくようなスキームを、まずつくるというようなことが必要ではないか。(中略)、私はその権限とかということで、法律でこう決まっているからという形の押し通し方ではなくて、それこそおっしゃるように、ステータスとしてどっちのジャッジメントをより妥当なものとして皆さんが受け入れてくれるかどうか。そこのところが必要だとこう私は思っているんです。」(第7回議事録14頁)

つまり、「こう決まったからこうやれ」ではダメで、官僚達に「こういうことをやるとどれだけ意味があるのか」を納得させる方が重要だということである。
そうすることで、細かい基準をガチガチに決めるよりも、相手が自主的に関係文書を出してくることにつながるという意味なのだろう。

だがこれに対しては尾崎座長は、結局いままでも制度はあったのに動いていないではないかと述べる。
「粘り強く説得するという努力は非常に立派だと思いますけれども、結局最後にだれが決めるんだということが、今は決まっていないわけですね。それでむしろ話がつかなかったら各省庁の意見が通ると、こういう形になっているわけですね。そういう組織・システムというものが、うまく働いていないというのが、現状、皆さんのご認識ではないかとこれまでのところ私は聞いてきているんですが、そうとすれば、それはやっぱり文書管理法なり何なりで、きちんとしなくてはいけないということなんではないかなと思うんですけれども。」(第7回議事録15頁)

これは、どちらが良い悪いと言うことではなく、「どちらも必要」なのである。
つまり、法的には権限を与えないと命令を出せない、だから絶対に必要。
でも同時に、「器」には「魂」を入れなくてはならない。そのために、実際に作業をする人達がいかにこの「器」に同調する方が良いかということをたたき込まなければならない。
そのためには、実際に「便利だ」と思わせるだけのことを、公文書管理機関の方もしなくてはならない。
そして当然、これをこなすには、いまの国立公文書館の規模ではどうしようもならない。

第7回から8回の議論で、「どの規模が理想なのか」という話も、この延長で議論された。
第7回で加藤丈夫氏は、最終的に必要な人数を「具体的な数」で書くべきだと主張した。(34頁)
しかし、内閣府もさすがにそれは反映させず、「ふさわしい規模」でお茶を濁そうとした。
ところが、第8回では加藤丈夫氏がその話を蒸し返し、それに後藤仁氏や尾崎座長、菊池館長まで賛成に加わり、さらに尾崎座長は委員の総意を取るために他の委員に話をわざわざ振って同意を取り付けた。
それに対し、内閣府の山崎日出男公文書管理検討室長は、他の会議ではそういう具体的な数字は出さないんだが・・・とあくまでも消極的な姿勢を見せたが、尾崎座長が「よその有識者会議のまねをすることはない」と一刀両断して、結局理想の人数を具体的に入れることになった。(18-20頁)

なぜ具体的な数が必要なのかというと、現状が42人なので、「ふさわしい規模」と書くと、事情を知らない人は「1.5倍ぐらいか」みたいな考えになってしまう。
最終的には中間報告では「数百人」という書き方になったのだが、要するに10倍近くは必要だということを書くことで、それだけ大規模な増員をしないといけないんだというインパクトを出すことができるということなのだ。

この改革は、おそらく10年単位の時間をかけて体制を整えていくことになるはずである。
その最終的な着地点が500人ぐらいという議論が会議でなされたことには意味がある。
これを担う人材育成という話も会議では出ており、「数百人」規模になるという長期目標が掲げられていれば、アーキビストを養成する大学も増えるだろうし、勉強する人達の目標もできるという意義も述べられていた。

少なくとも福田内閣が続いていれば、「器」は確実にできる。
でも「魂」が一番の問題。福田首相は、その道筋を付けるまでは何とか生き延びて欲しいと切に願っている。

今回はここまで。次回は残りの細かい話を書いて終わりにします。
第8回
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【連載第6回】「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」の議事録を読む [【連載】公文書有識者会議]

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「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」の議事録の解説の続きです。
ですが、上記しているとおり、すでに「中間報告」の解説をしてしまっているので、第6回から8回は気になったところだけをテーマ別にピックアップして書いていこうと思います。

今回は、「外国の制度状況」の話と、「情報公開法を公文書館に適用するか」という話の2つを解説します。

まず、「外国の制度状況」から。
第6回では、委員の野口貴公美氏が米国の公文書館制度について解説をされた。→第6回資料1
また、第7回の資料2では、米国の国立公文書記録管理院(NARA)の組織図や部局毎の役割、人数などが日本と比較されており、また米英仏豪韓との比較も掲載されている。

世界各地のアーカイブズの中で、最も権限が強く、かつ大規模なのは米国であるというのは、おそらく専門家の間でも議論の余地はないのではないかと思う。
野口氏の発言によれば、「アメリカというのは新しい国であると。ヨーロッパの諸国に比べて、新しい国が記録をいかに残していくかという視点から、記録の保存の場を設けて、きちんとそこを確保しておくということが重要であろうというところから、公文書管理の仕組みというのが組み上がっていくことになっております。(中略)アメリカの議論というのは、保存場所がまずあってそこに必要とされる権限は何かと。その権限をどうやって制度の中に散りばめていくのかというところで、制度が組み上がっているようでございます。」(第6回議事録3-4頁)とのことである。
つまり、もとから「残したい」ということが先にあって、そのために必要な権限を公文書管理機関に集めたということになる。

そのため、NARAは保存期限の切れた文書を強制的に回収する権限も持っているし、そもそも文書の作ったところから「レコードスケジュール」というものを付けさせて管理を徹底させている。
また、勝手に文書を捨てた場合は、罰金または禁固刑になるという規程も存在する。

NARAの長官は英語では「Archivist of United States」と言う。
つまり「合衆国のアーキビスト」として、大統領による任命と上院の承認を必要とする、非常に権威のある職となっている。
このようなシステムのために、公文書の残り方が非常に良いのである。

日本では公文書がきちんと管理されていないし、まともに公開されていない。
だから、日本の戦後政治史の研究者は、アメリカの国立公文書館に行かなければ研究にならないような状況になっているのだ。(このあたりは、私の解説の第4回参照。)

少し脱線したが、他国との違いは、上記の第7回の資料2が非常によくまとまっているので、是非参考にしてほしい。
よくこのブログでも紹介しているが、日本の国立公文書館の正規職員は42人。アメリカは2500、韓国でも300人。いかに遅れているかが良くわかると思う。


次は「情報公開法を公文書館に適用するか」の話。
アメリカの国立公文書館には、日本の情報公開法に当たる情報自由法(FOIA)が適用されているので、日本ではどうなのかという議論が第7回から8回にかけて行われた。

その問題の一つとして、各省庁が文書を移管したがらない理由として、「公文書館に移管すると、今まで隠していた以上の情報が公開される」ということが挙げられていたためである。
現在の情報公開法は、6項目にわたって公開に制限を付けることができるようになっている(例えば個人情報とか)。
しかし、公文書館に移管すると、そのうち3項目は適用外になり、さらに「時間の経過によって情報は劣化する」ため、ある一定の年数からは個人情報であっても開示されるものが出てくる。(例えば、学歴などは30年以上経過した場合、保護する必要はなくなっている可能性が高い。)
各省庁はそのこともあって尻込みをするらしい(渡すくらないなら捨てるor保存期間を延長する)。

座長の尾崎護氏は、その適用で各省庁が安心するのであれば良いのではと発言をしているが、菊池光興国立公文書館長がそれには反論をしている。
菊池館長によれば、情報公開法はあくまでも「情報提供」という考え方であり、「請求」されてはじめて「提供」するというものであるのに対し、公文書館は原則無料で「公開する」という考え方である。つまり、原則が全く異なるのだと。(第7回議事録25-26頁)
また、第8回で加藤陽子氏も述べているが、現在の情報公開法には「経年による情報の劣化」という概念が全くない。
だから、非公開部分がものすごく増える可能性が出てくることになる。(第8回議事録12頁)
つまり、もし情報公開法が公文書館に適用されることになったら、「伊藤博文のあらゆる個人情報」すらも墨塗りにしなくてはならなくなる。

結局、情報公開法の適用という話は中間報告には入らなかった。
しかし、公文書管理法を制定するのであれば、情報公開法とのすりあわせも必要となるだろう。
その際に、是非とも管理法の方を合わせるのではなく、管理法に情報公開法を合わせるような制度改正を望みたいと思う。

とりあえず今回はここまで。次回は「実効性のあるためのシステムを構築する」ことを廻る議論を中心に取り上げます。
第7回
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