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厚生労働省は文書の宝庫 [情報公開・文書管理]

今日になって見つけた新聞記事。引用します。

旧麻生鉱業に外国人捕虜300人=63年前、公文書に記載-厚労省

12月18日16時57分配信 時事通信

 麻生太郎首相の親族が経営していた旧「麻生鉱業」(福岡県)に戦時中、外国人捕虜が300人いたと、厚生労働省が保管していた公文書に記載されていたことが18日分かった。
 民主党の藤田幸久参院議員の求めに応じ、同省が回答した。藤田議員によると、首相は外相時代から旧麻生鉱業に捕虜がいたことを一貫して否定。政府として認めたのは初めてという。
 同省が藤田議員に示した公文書は4つあり、陸軍省を引き継いだ旧第一復員省などが作成したとみられる。
 旧麻生鉱業吉隈炭坑の捕虜収容所「第26分所」に、1945年5月10日から終戦の8月15日まで、英国人101人、オランダ人2人、オーストラリア人197人がおり、うち同年7月にはオーストラリア人2人が死亡したなどと記載されていた。  18日記者会見した藤田議員は「首相は捕虜の労働条件や、死亡との因果関係について検証する責任がある」と話した。
 厚労省社会・援護局は「捕虜を使うのは当時の状況では普通のこと。虐待などがあれば問題だが、この資料からは分からない」としている。 

(引用終)

記事内容は民主党の麻生首相への揺さぶりということなのだろうが、私が注目するのは「やはり厚生労働省は昔の公文書を結構持ってるんだなあ」というところだ。
社会・援護局から出てきた文書らしいというのは、コメントからわかるので、折角だから社会・援護局が持っている1945年度の史料がどのくらいあるのかを、ファイル管理簿から調べてみた。

・海軍省規定(1945年度)
・沈没艦船(1945年度)
・連合軍書類(1945年度)
・復員書類(1945年度)
・遺骨書類(1945年度)
・部隊概要(1945年度)
・書類移管目録(1945年度)
・未帰還者調査(1945年度)
・艦船(1945年度)
・海軍諸例則(1945年度)
・旧引揚援護局人事記録(1945年度)

結構あるなあという感じ。たぶん今回の文書は「連合軍書類」から出てきたものと思われる。
こうみると、復員や連合国捕虜のことを書いている歴史研究者は、この厚労省の中の文書を見て書いてるのかなということがすぐに思い浮かぶ。おそらくほとんど見てないのではないのだろうか。
是非とも、復員とかを初めとする「兵士達の戦後」を調べている人は、きちんと厚労省が内部に保存している文書まで調べてほしいと思う。

まあ本来なら、これだけ古い文書なら、全部国立公文書館に移管しとけという感じなんだけどねえ・・・。援護業務が終わるまではたぶん「現用」と言い張るんだろうなあ・・・(ただそういった理由で残っているので、簡単には廃棄しないとは思うけど)。
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