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「天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典」参加記 後編 [天皇関係雑感]

「天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典」参加記の後編です。前編は。→こちら

後編では全体を見ての感想を書きたいと思います。やはり長い・・・。本当にごめんなさい。

○式典参加者数「3万人」の意味

主催者発表によれば、第2部の式典には「約3万人」の参加者がいたという。
でもこれはおそらくかなりサバを読んだ数だろうと思う。

まず、入場ゲートは3つに分けられていた。
Aを中心として、祝田橋(日比谷)方面がB、和田倉門(大手町)方面がCに分かれている。
このゲートを三つに分けている理由は、「主催者招待客」と「一般客」の区分けである。
BとCは直接二重橋が見えない位置にある。そのため一般客に割り振られる。
そして二重橋や舞台が見えるAは主催者招待客が位置づけられる。

理由はおそらく二つある。
一つは主催者招待客の優遇
まあ歌手のコンサートで言うと「前の方はファンクラブ会員しか席が取れない」みたいなことに近いか。
それに、映像に一番映りこむのがこのゲートから入った人たちである。だから、画面に映ったときに万歳とかしてもらわないと困るわけである。なので、日本会議関係や団体客を固めているということなのだと思う。
もう一つは、一般客の人数調整のため。
一般客は事前申込制なので最大人数が把握できる。そのため、申込数の分だけ端の方に席を用意しておき、あとの部分は、人数が当日にならないとわからない不確定な招待客の席にしてしまえばよいのだ。
sikitenm.JPG
配られたプログラムにあった配置図。これを見るとBCの不遇さがよくわかるし、また一般客の割合の少なさもわかる。

ちなみに、AとBCの違いを私は推測で言っているが、かなり確証のある根拠はある。
それは、Aゲートの入場者は、奉祝委員会が配布していると思われるビラの裏側に付いている「A」の印のある手書きで書き込める入場券を握りしめているからだ。
そしてその光景は10年前にも見たことがあるし、その時には実際に日本会議が機関誌『日本の息吹』にそのビラを挟んで会員に送っていたことも知っている(なぜ知っているかは秘密だ)。
たぶん今回も同じようなことをおこなっているものと思われる。

さて、ではBとCにはどのくらいの席が用意されていたのだろうか。
私はCにいたのだが、一緒に行った友人がBにいたので、色々と確認してもらった。
まず、各ゲートから入ると、大規模なコンサートで行うようなブロック分けがされていて、番号が付いている。
例えば、Cゲートからはいると、C-1から始まるパンフを渡され、そこに座るように指示される。
その一つのブロックは、縦14列×横10列で構成されている。つまり1ブロック140人ということになる。

そして、Bゲートは32ブロック、Cゲートは30ブロック用意されていた。
つまり、一般客は最大で8680人
そうすると、主催者発表で席は27000人用意したとあるから、Aゲートの席は最大で18320。そうするとブロックが130ということになるが、私がAブロックの脇から中を撮影した時に写っている一番手前のブロックがAの118なので、まあおおよそ当たっていると思う。

では実際にどのくらい埋まっていたか。
Cゲートでは17ぐらいまで。多少最後の方は中心に近い21や22の方に誘導していたみたいだが、やはり大目に見ても18が埋まるぐらい。つまり1520人ぐらい。
Bゲートの友人も正確にはわからなかったみたいだが、やはり6割から7割ぐらいだったようだ。7割と換算しても3100人ぐらい。
Aゲートはよくわからないが、録画しておいたフジテレビの番組で17:30の段階の会場の様子がざっと流れた時に、やはり7割埋まってないぐらいだった(レポーターも後ろの方は空席だとしゃべっていた)。
やはり、大目に見ても予定人数の7割が妥当なところだろう。とすると約19000ぐらいというところではないか。

何か自分で書いていて「ここまで詰めた数字を出さんでも」とか思い始めているけど、やり始めてしまったので最後まで。

つまり、主催者発表3万人というのは、用意した席27000人+来賓に用意した席2000+スタッフ1000人というところなのではないか。つまり「願望」が3万人なのである。
だが、本当のところは2万ちょいというところだろう。
まあそれでもよく集まったとは思うが。でも10年前は主催者発表6万人だったので、サバ読んでも半分というのは動員力の衰えということなのかもしれない。

○「若者へのアピール」に見る危機感

今回の式典、10年前と大きく違うのは「若者に何とかアピールを」という姿勢がかなり露骨に出ていたということだと思う。
確かに、前回もXのYOSHIKIを引っ張り出してきたり、SPEEDやGLAYを壇上に並べたりしたわけだが、プログラムとしては配慮があったとは思えなかった。
祝辞を述べるのも年配の人ばかりだったように思う。最後の万歳を叫んだ4名は森喜朗、北島三郎、森進一、星野仙一というメンバーだし。
前編で引用した10年前の記録集によると、安室奈美恵と田村亮子は一言言っているらしい(だが、発言はなぜか収録されていない)。
特にパフォーマンスに類するような演奏やダンスなども一切無かったと思う(記録集にもそういうものがあったとは書いていない)。

今回は荒川静香や高橋尚子といった若い女性にスピーチさせたり、小学生に演奏や演舞をさせて、あとでインタビューをして奉祝の言葉を言わせたりというようなパフォーマンスが多かったように思う。
絶対的な天皇支持層である年配層だけでなく、もっと若年層に何とか支持者を増やそうという意図は明確だった。
もちろんEXILEの起用もその延長である。

で、その効果であるが、こればっかりは何ともわからない。ただ後述するように、会場の一体感みたいなものは前回と比べて間違いなくあったので、それなりに天皇の権威を実感した人は多かったのではないかと思う。

○メディアイベントとしての式典

前回の式典は、明らかに「テレビ映り」を意識したものだった。
Aゲートの人だけに提灯と日の丸を配り、映像に映る参加者さえ熱狂的に天皇に万歳をしていれば良いといったような感じが強くあったように思う。
もちろん主催者側はそうは意図してなかったかもしれないが、前回もCゲートにいた私にとって、周りの状況と実際に録画してあったテレビの映像とのギャップに愕然とした記憶が強烈に残っているのだ。全く持って白けて君が代すら歌わないCゲートと、映像に残る提灯と旗の群れ。

まさに、タカシ・フジタニが『天皇のページェント』(日本放送出版協会、1994年)で昭和天皇の大喪の礼の葬列を沿道で見た時に感じたこと、つまり「今のテレビ時代、政府にしてみれば私たち見物人の目にページェントがよく見えるかどうかなどということは実に取るに足らない問題だったのである。」「路上にくりだした私たちは、テレビ番組の作成のために駆り出される、いわゆる「スタジオにお越しの皆様」とたいして違っていなかった〔中略〕私たちは、実はその見せ物の一部、つまり、テレビをみている観客によって見られる生身の小道具にしかすぎなかったのである。」(175頁)ということをまさに実感した出来事だったのだ。
しかも、Cゲートにいた私たちは、その「小道具」にすらしてもらえずに放置されたのである。

今回はどうなんだろうかと思い、前回は唯一式典の全てを中継した(録画した友人がそう言っていた)フジテレビだけを録画して家を出てきた。
さて、家に帰って録画したものを見てみると、今回はフジですら完全中継をしてなかった。(どうやらCSで完全中継をしていたらしい。)
他の局がどれだけ映していたかはわからないが、フジは要所要所は映していたと思う。

ただ、進行の遅れがもろに影響が出た。つまり本来なら中継が終わるはずの19時に儀式が終わらなかったのだ。
しかも、EXILEがちょうど歌っている途中でブッツリと。もちろんその後の天皇の「お言葉」の生中継もなしである。
前編で少し書いたが、いくつかプログラムを端折っても結局は間に合わなかったらしい。
ただNHKやTBSは19時台にニュースをやっているので、おそらくは放送できたのではと思う。
つまり、おそらくマスコミの中で最も天皇への忠誠心の高いフジサンケイグループのテレビが、一番おいしいところを放送し損なったのである。

何というか、これはメディアイベントとしては失敗だったのでは?という感じがする。
他の局がどれだけ力を入れてこの式典を報道していたかが私にはわかりえないが、おそらくフジよりは意欲が下ではないかと思うのだ。
つまり、おそらくほとんどの人は、あとでまとめられたほんの数分しかない映像を見て終わりだったのではないか。
一応、多くの人が日の丸と提灯を持って集まっていたということはわかるけど、果たしてどこまで視聴者にアピールできたのだろうか。

ただ、その一方で会場の一体感という点では明らかに前回と違いがあった。

○椅子席と写真撮影禁止の効果

これは両方ともどこまで狙ったのか全く想像がつかない。だが、この二つが明らかに会場の一体感を否応なしに上げる効果があったことは確かだと思う。
前回は椅子はなく、自由に立ってみていた記憶がある(たしか座り込みは禁止と言われていた記憶が。雨も降っていたし。)。
そのため、万歳をしているような熱狂的な人たちからは距離を置けば、第三者にいくらでもなることができた。

けれども、椅子をつなげて並べられると、そういうことはまずできない。とにかく「整然」としているのだ。
そして、到着順から席を詰めて座らされている。つまり、必ず「前後左右に誰かがいる」(しかも知らない人が)という状態になる。
すると、良くも悪くも、EXILEのファンや熱狂的な天皇支持者も何となく来た人も、全てが分断され、分解されるのだ。
しかも、あれだけ整然と並ばされると、必然的にあまり逸脱した行動を取りにくい心理状況になる。

つまり、周りが「万歳」していればそうせざるを得ないし、旗も振るのである。君が代も歌うのである。
もちろん、その場にいる人は日の丸君が代に少なくとも否定的な人はそれほどいるとは思わないので、学校のような心理的に追いつめられる人はいないだろうが、「空気を読んで」まわりと同じ行動を取るのだ。
10年前だと、特定の歌手のファンとかが騒ぎ立てるというようなことがあったわけだが、今回は少なくとも私が目に見える限りではそういったことは起きてなかった。
近くにいた子どもは、祝辞とかの時は飽きて砂利をいじっていたが、天皇皇后が二重橋に姿を見せた時、旗を一生懸命振っていた。
まさか椅子席にこういった効果があるとは全く思わなかった。これは新鮮な発見だった。

しかも、もう一つ効果があったのは、写真撮影の禁止だったと思う。
つまり、ビジョンを見ている以外にすることがないのだ。
いままで、様々な皇室儀式で沿道に並んで観察しているが、おおよそ沿道の人たちは写真を撮るのに夢中で、実際に目の前を通っている皇族を「奉迎」していないのだ。
今回はその意味で、参加者の視点(集中力と言った方が正確か?)が完全に式典に集中したのである。

ただ、友人のいたBゲートの方は、多くの人がカメラで撮影し始め、係員が止めきれてなかったということだった。
私のいたCゲートはそういう人がほぼいなかった。誰か周りがやっていたら私も撮影しようと思ったんだが・・・。一番端の席で警官が横にいたからなあ・・・。まあチキンなわけですが。
テレビ映像を見ても、参加者席を映した時にフラッシュが焚かれるようなことが見られなかったので、Aゲートの人たちも守っていた人は多かったのかなとは思う。
やはり、一部を除くと、写真撮影の規制はうまく行っていたのではと思う。

上記の意味で使えると考えて、この二つを主催者側がやったとしたら、これは大したもんだと思う。
でもおそらく「意図せざる結果」なのではとは思うが。

椅子席にしたのは年配の方に2時間立たせっぱなしは難しいということだろう。
また、写真撮影や録音の禁止は公式的には「テロ対策」らしいが、本音の所は、録音の禁止はYou Tubeを初めとした動画サイト対策だろうし、写真は肖像権関係(EXILE?)の問題の方なのかなと勘ぐっている。

ただもし私がイベント戦略を立てるのであれば、今回の映像をYou Tubeで公式配信する。
まあ本当に担当者だったら、写真録音OKにして、むしろ動画サイトへのアップロードとかブログとかで書いてもらうことを奨励するけど。

少し話が脱線したが戻すと、メディア戦略としては微妙。でも式典会場でのイベントは主催者にとっては成功だったのではないか。

私の思った感想はこんな所です。おそらく、思想信条を問わず、このイベントへのコメントというのは各雑誌で出てきたりするのだろうから、私とはどう見方が違っているのかは楽しみ。

追記
なお、写真が記事に入っていないのは、式典自体の写真がないというだけでなく、修理中のパソコンが戻ってこないので、デジカメのメモリーカードからデータが取り出せないだけです。
戻ってきた時には、写真集みたいにしてもう一本記事を書くかもしれません。

→写真掲載しました。こちら
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