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公文書管理法案、参院内閣委員会通過。 [2009年公文書管理法問題]

本日、公文書管理法案が参議院内閣委員会で全会一致で可決されました。明日の本会議でおそらく可決され、成立することになると思います。
明朝に、麻生首相がいきなり「解散!」とか言わないかぎり、成立は確定です。

附帯決議が衆議院の時よりもさらに細かくなっています。(解説は前の衆院の時のものでほとんど足りていると思いますので、そちらを参照してください)。
http://www.sangiin.go.jp/japanese/gianjoho/ketsugi/171/f063_062301.pdf

今日の内閣委の審議ですが、面白いやりとりがいくつかあったので、紹介しておきます。
ちなみに、今日の質問者は、徳永久志(民主)、松井孝治(民主)、岩城光英(自民)、岡田広(自民)、山下栄一(公明)、糸数慶子(無所属)の各議員です。


・沖縄密約問題(西山事件)など、米国国立公文書館で日米間の秘密協定文書が見つかっているのにも関わらず、外務省は「不存在」と言い続けている点について。

これについては、すでに数回前にブログで書いているので、そちらを参考にしてほしいが、あくまでも外務省は「アメリカが間違っている」とは言わずに「自分たちは協定を結んでいないから、そんな文書は持っていない」ということを延々と繰り返し言い続けた。
「ではアメリカが間違っているというのか」と二者択一式につっこんでほしかったが、それぐらいひどい答弁だと改めて思う。
それなら西山事件で西山氏が「流出させた」文書とは何だったのか?「存在しない文書」で罰せられるなんて、そんなおかしな話はないのだ。

その中で、糸数議員が小渕優子公文書担当大臣に、日本の重要文書が他国でしか見つからないことについての見解をただし、大臣に「管理法ができれば作成されるべきものはきちんと作られる」と答弁させたのは良かったのではないかと思う。
私は以前のブログでも書いたように、秘密協定があること自体は仕方のない部分があると思う。だがそれは必ずいつの日か歴史の審判を仰がなければならない。それを隠すことは国益に反することなのだということは外務官僚にはきちんと認識してもらいたいと思う。


・外交公安関係の情報を不開示にしたい場合の「意見書」の参酌手続きについて。

外交や公安関係の文書は、移管元省庁(外務省や防衛省など)が不開示にしたいと「意見書」を提出し、国立公文書館等がそれを「参酌」しなければならないという規定がある。(第16条第2項)
ただ、この「参酌」とはどのような手続きかについて、衆議院では全く議論がされていなかった。

徳永議員や糸数議員により、その「参酌」についての質問があったが、これに対し、内閣府の山崎日出男審議官は明確に「国立公文書館等が主体的に判断する」と言い切った。
これは非常に重要。
もし「協議」だったら厳しかった。とにかく、あくまでも移管元は「意見書」を出すだけで、判断するのは国立公文書館等であることが明確になった。

だが、実はこれでも問題になるところはある。
外務省外交史料館と宮内庁書陵部である。

この二つは「意見書」を出すところと受け取るところが同じ省庁内にある。
しかも、基本的には外交史料館や書陵部は、大臣官房のような各省の中枢機関に全く歯が立たない。
だから、意見書はおそらく全てそのまま受け入れられることになるだろう。

この点で徳永議員が、「参酌」の「透明性」のために第三者機関などでの審査などを考えないのかと質問したのだが、山崎審議官は「統一ルールに則って行う」との答弁だった。
でも、そもそも国立公文書館に移管する省庁と外務省・宮内庁では、前提条件が異なっている。むしろ「統一ルール」にすることで、外交史料館や書陵部が「主体的に判断」という文面だけが入り、事実上は「意見書即不開示」になるのではないかと危惧される。

やはり根本的には、この2機関は国立公文書館の分館にしないと解決しない問題だと思う。5年後の法改正までに、詰めなければならない問題として残ったなと思う。

なお、松井議員が最後に怒っていたが、外交史料館の「内部規律」に関する文書(誰が何をしているのか)を参考にしたいから出してくれと言ったら、そんなものは無いとして外務省は情報提供をしなかったらしい。
これは非常に問題である。

また、外務省は、外交史料館の拡充についてどう考えるかという質問に対して「現状で問題ない」との回答をしている。
これまでに外交文書をめぐって、様々な問題が大きくなっているのに、何も変える気がないことは明白だ。公文書管理法ができても、自分たちは今まで通りで問題ないと思っているのではないか?
今後の外交史料館の動きについては、きちんと監視しないとまずいのではないかと、非常に危惧を覚えた。

(ちなみに、宮内庁の話はほとんど誰もしてくれなかった。まあ外交史料館のおまけ程度に並列して発言はしてくれていたけど・・・。私にはそっちが気にかかるんだが・・・。)


・残さなければならない文書とは何か?

衆議院でもさんざんもめた文書の作成義務(第4条)に関して、松井議員がかなり詳細な具体例を挙げて論を展開した。
この議論によって、第4条の修正で入った5つの事例がどういう意味であるのかがかなりクリアになった。
その5つをもう一回あげておきます。

 一 法令の制定又は改廃及びその経緯
 二 前号に定めるもののほか、閣議、関係行政機関の長で構成される会議又は省議
   (これらに準ずるものを含む。)の決定又は了解及びその経緯
 三 複数の行政機関による申合せ又は他の行政機関若しくは地方公共団体に対して
   示す基準の設定及びその経緯
 四 個人又は法人の権利義務の得喪及びその経緯
 五 職員の人事に関する事項


まず一と二について。
松井議員は、作成して残さなければならない文書として、その事案の責任課長(局長)がどのように手を入れたかがわかる以降に作成された文書を挙げていた。
ここから下のレベルでの話し合いは、部内でのブレーンストーミング的なものがあり、それまで全部議事録として残すのは手間がかかりすぎるということであり、責任課長が手を入れるレベルからは政策を決める過程と言えるだろうということである。
もちろん、政治過程の全てをというなら、実際に案を作った一部員の作成したものまでと言いたいところだが、全部自動的に文書を作成したら保存されるようなシステムを構築できない限り、とりあえずはここまでなのかなという気もする。
ただ、私もこれについては確証を持ってこれでOKと答えられる自信はない。

なおこれについては、山崎審議官が同意をしていたので大丈夫ということだろう。

次に三について。
各省庁との協議を行う際には、まずは原案を作った上で課長補佐クラスが協議を行うらしい。
松井議員は、このような文書については、課長レベルの文書ではないが、各省庁との協議にあたるので、関連文書は全て残すべきだと述べていた。
これの返答は、修正案提案者の枝野幸男衆院議員と上川陽子衆院議員だったのだが、両者ともその通りと答えていた。これについてはむしろ山崎審議官に答えさせた方が良かったような気がしたが。

そして四と五について。
実はこれについては、何で入ったのか私にはよくわからなかったのだが、今回の松井議員の質問でやっと理解した。
要するに、天下りや「わたり」と言われる公務員の再就職斡旋の記録をきちんと残せということである。
返答は枝野議員が行っていたのでもちろん「残せ」という答弁だったが、これも山崎審議官の答弁を聞いてみたかった気もする。

松井議員はさすがに元通産官僚だっただけのことはあり、官僚側の仕事を理解した上での質問で、作成の問題をわかりやすく述べていたと思う。


・内閣府公文書管理課と国立公文書館の人員の問題

今回のやりとりで初めてわかったのだが、公文書管理課の職員は山崎審議官を含めてたったの10名!しかいないらしい。
これに国立公文書館の42人を加えても、いかんともしがたい人数だ。
この人数で、年間100万件にもなる文書の管理など到底不可能だ。
やはり早急に対策が取られなければ、この法律は実効性のない穴だらけの法律になりかねない。

民主党の議員がこの点は衆院の時からずっと問題視しているのだから、もし政権を取ったら公文書管理庁ぐらい作ってくれるんだよね!と信じたいところだ。

また、松井議員が、公務員を外部機関に天下りとかさせるぐらいなら、そういった人達を各省庁が再雇用して文書管理を担わせたらどうかという提言をしていたのは、結構面白いアイデアだと思う。
少なくとも、今回の法律を機能させるためには、国立公文書館の拡充も重要なのだが、各省庁の文書管理担当官を増やすことや、各公務員が文書管理に時間が取れるような人員配置などを工夫しなければならない。

残念ながら、まだレコードマネージャーのような文書管理の専門家は全く育っていない以上、初めのうちは各省庁の行政官達に頑張ってもらうしかない。
それなら、まだ元気な50代後半から60代の官僚OBOG達に、新しい文書管理手法を再教育して雇用し直すというのは人材の有効活用としては当座はありなのではないかと思う。(もちろん各省庁の利益を守ろうとするような人では困るので、そのあたりの選別はしっかりと行うべきだと思うが。)


最後に、自民党の岡田広議員が、故岩上二郎参議院議員(元茨城県知事)の話をしていたのが印象に残った。(岡田議員は岩上氏の元秘書。)

岩上氏は1987年に成立した「公文書館法」を作った人である。
公文書館の重要性を茨城県知事の時代から主張し、あの当時は珍しかった議員立法によって公文書館法を提案し、共産党を含めた野党全てを説得して全会一致で可決させた。→参考
この公文書館法が、どれだけ公文書館に勤める人達を励まし、また新たに公文書館を設置させる呼び水になったかは、色々な人が書き残している。

岡田議員の質問を聞きながら、岩上氏の国会での発言を議事録検索で調べてみると、生前最後に行った質問が出てきた。
公文書館法ができて直後の1988年3月19日の参議院予算委員会。
この質問を見て、私は愕然とせざるを得なかった。

岩上氏はこの時に、アーキビスト養成の重要性を訴え、国立公文書館の書架延長がアメリカなどと比べていかに貧弱かを示し、外国で日本の重要文書が発見されることを歎き、地方公文書館設立への支援を訴え、民営化直後の国鉄などの公文書の扱いはどうなるのかとか・・・そういったことを質問されていた。
それから21年が経過しているのに、まだ同じことが議論されているのだ。

でも、おそらく公文書管理の大切さがここまで重要視されるまでに、20年が必要だったのだろう。
それならば、今回の公文書管理法の定着も、また20年かかるかもしれない。
だが、たった一人で国会を走りまわらざるをえなかった岩上氏の時代から比べれば、状況は改善されてきたことは明らかだ。

明日10時から本会議です。終わったときにまた感想を書きます。
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