SSブログ

公文書管理担当機関の有効性をどう担保するか [情報公開・文書管理]

日本計画行政学会での話の続き。→前回

24日に参加した日本計画行政学会関東支部のワークショップで、もう一点、大きな話題になっていたことがある。
それは下記の新聞記事を元にした話である。

公文書管理、内閣府に監視委 今国会に法案
日本経済新聞 2009/1/23

 政府が3月中にも国会に提出する公文書管理の体制強化を図るための「公文書管理法案」(仮称)の骨子が22日、分かった。各府省共通の公文書管理のルールを設けるとともに、管理状況を監視する公文書管理委員会を内閣府に新設。必要に応じて各府省に管理体制の是正を求める権限を内閣府に与える。

 法案は昨年10月に政府の有識者会議がまとめた最終報告を踏まえたもの。公文書管理委員会は歴史学者や公文書管理の専門家らで構成し、毎年、各府省に管理状況を報告させる。(07:00)

(引用終)

公文書管理の担当機関を内閣府に集中させること、そして管理を監視する委員会が設置されるということがここからはわかる。
これは、最終報告の中にも書かれていたことなので、まあ入るんだろうとは思っていた。

そして、日本計画行政学会のメンバーの多くは、この方針に反発をしていることがわかった。
つまり、そもそもとして公文書担当機関が内閣府に置かれているという時点で、この最終報告はダメであるという考え方であるようなのだ。
そしてその危惧の具体的な内容としては、結局各省庁の出向組が内閣府に終結して、その人達が移管廃棄の決定権を握るのではないかということであった。
また、公文書管理委員会が審議会レベルの権限しか持っておらず、そうなると結局官僚のいいなりになるのではないかということであった。

私もその危惧についてはなるほどと思わされた。
ただ、そのために「このような案ならできない方がまし」という意見が大半であるような反応には、私は違和感があった。

確かに、情報公開法ができたことによって、逆に「公開になってしまうかもしれないから文書を作らない」という風潮が官僚に蔓延し、その結果として状況が悪化したということはある。
でも、情報公開法ができていなければ、現在のような公文書管理法が話し合われるという事態にまでは発展しなかっただろう。それに、「情報公開はしなければならないもの」と官僚達の意識に植えつけさせたことは、やはり重要な変化だったと思う。

100%理想の法案ができれば、もちろんそれに越したことはない。
だが、おそらくそれは難しいだろう。
報告者の一人であった逢坂誠二衆院議員みたいな方が議員の過半数いれば別だが、おそらくそういった問題意識をもって動いてくれる人は少数派であろう。
民主党だって、政権を取ったときに自分たちの利益に反する情報公開を行ってくれるかは、正直まだ私は信じることができない。

だからこそ、この公文書管理法はまずは作らなければいけないと思う。福田康夫という希有な人物がたまたま首相になったが故に、ここまで話は進んだのだ。福田が首相でなければ、10年経ってもこういう事態にはならなかっただろう。

ただ、妥協してはいけない絶対線は確実にある。
私はそれは次の点だと思っている。

・保存年限が切れた文書は、国立公文書館へ自動的に移管すること。廃棄権限は国立公文書館にのみ存在すること。間をつなぐ内閣府は、あくまでも事務処理的な立場に留まること。
・公文書の定義を拡大すること。政策決定過程に関わる文書を残す仕組みを作ること。従わない場合、公文書管理担当機関ないし国立公文書館が、その文書作成方法に対して介入できる権限を与えること
・文書を国立公文書館の許可を得ずに廃棄した場合、罰則規定を設けること。
・新たに設立される公文書管理委員会の権限を強化すること。また、公文書管理担当大臣を常設化すること。


おそらくこのあたりではないかと思う。
根である文書作成の部分、そして移管廃棄の部分というこの2点がもっとも重要な所である。

また、内閣府抜きで今回の改革はなかなか難しいという状況があると私は思う。
おそらく独立した行政機関として作るという話には自民党は乗ってこない。
また残念ながら官僚を監視する際に、官僚経験のない職員を揃えても、逆に官僚に丸め込まれるだけになると思うので、こういう組織の立ち上げにはある程度官僚の知識は必要ではないか。文書管理が「行革」であるという意識を持たせることで、逆に内閣府の官僚達を鼓舞して、制度を軌道に乗せる方が優先であるように思える。
アーキビストの養成などは後手後手にまわっており、公文書管理担当機関を今すぐ担うことができる人材はそれほど多くはない。だからこそ、初めは内閣府からある程度手助けを受けながら人材を養成し、将来の独立機関化を目指すということは有りなのではないかと思う。

ただ、その内閣府をどう監視するかという点は絶対に必要。ここで、委員会や大臣がどこまで踏ん張れるかが重要となってくるだろう。もし制度ができていれば、例えば逢坂さんのようなこの問題に造詣の深い人が担当大臣になったときに、運用で色々と改善できるようなことがおきてくるはずだ。
もちろん、もっと絶対線の中にいれなければならないものは多いが、最低限のラインがここだろうと思う。

確かに、一度制度ができてしまうと、なかなかそれを変えるのが難しくなる。
でも、官僚達の意識を変えるのには10年というスパンでものを考えなければならない。この法律ができなかったら、また10年何も変わらないまま、情報は隠蔽されるかもしれないのだ。

実際に法案を見てみないとわからないが、おそらく骨抜きにする条項は色々と入ってくることになるだろう。有識者会議の最終報告からどこまで後退しているのか、その点に注目していきたいと思う。

さて、話が脱線してきたので、最後に日本計画行政学会で聞いた話で、実は一番私には衝撃的だった話を書いて終わりにします。

西村啓聡さんという弁護士の方が話していたことだが、財務省が作っている『昭和財政史』のなかで引用されている「沖縄返還」の公文書を請求したところ、それが「不存在」と回答されたため、現在東京高裁で争っているとのことである。

ええっ、という話だ。
たぶんその本とはこの巻だと思うんだけど、出たの1999年だよ。
そこに引用されていた資料が、なんで無くなるのだ?
財務省の主張は、編纂終了後に各部署に返したが、問い合わせても資料は見つからなかったという。しかも、返却リストすら作っていないという。

いったいこれはどういうこと?一度使ったら、もう捨てても構わないというふうに考えられていることなんだろうか。
もし、この編纂に携わった歴史研究者が、この問題について情報を知っているのであれば、是非とも教えてほしいところである。
本当に捨てていたとしたらとんでもない話だし(つまり後から検証できない)、もしそれを編纂に携わった歴史研究者が容認していたとしたら大変なことだと思う。また、使った史料のその先を何も考えていなかったというのならば、編纂者は責められても仕方がない話ではないのか。
歴史研究者が、自分の論文で使った史料の検証可能性を担保することは常識である。それを覆すことが財務省でやられていた可能性があるということは、もっと深刻にとらえられてよいのではないのだろうか。

以上で、日本計画行政学会がらみの話はとりあえず終わりにします。
今回は、色々と今まで自分とは縁があまりない分野の方と交流ができたし、逢坂議員とも直接お会いすることができて本当に良かった。是非ともまたワークショップをやる際には呼んでもらえたらと思う。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。