SSブログ

映画『ラストゲーム―最後の早慶戦』を見る [雑感]

現在公開中の映画『ラストゲーム―最後の早慶戦』を見てきた。
「最後の早慶戦」とは、1943年(昭和18年)10月に行われた「出陣学徒壮行早慶戦」のことである。野球が米国のスポーツとして敵視された中で、学徒出陣前の学生の最後の思い出にと行われたものである。
この早慶戦の開催に力を注いだのが、慶応の小泉信三塾長と早稲田の野球部顧問飛田穂州だとされており(実はそうではないかもという話は後述)、この映画は飛田と早稲田の学生に焦点をあてて描いたものである。
私は小泉信三について論文を書いたこともあるので、小泉の描かれ方も含めて興味があったので見に行った。

映画についてであるが、普通に良かった。飛田をやっている柄本明はやはり名優だなと再認識。
小泉を演じていた石坂浩二は親子三代慶応ボーイであるゆえか、小泉の雰囲気を出していたように思う(もうちょっと重みがあると良かったが)。

ただ、やはりどうしても気になる点が1点ある。
それは、試合後の早慶のエール交換の後にある「海ゆかば」の合唱が省かれていたことである。

「海ゆかば」は軍歌である。映画でも最後に描かれていた明治神宮外苑競技場での学徒出陣壮行会でも歌われた。学徒出陣とは切っても切れない関係にある。
例えば、この試合が行われたときの慶応の部員であった松尾俊治がこの映画のHPに「65年の時を経て・・・」という寄稿しているが、この文章には次のように書かれている。

 「しかし試合後に起こった出来事は非常にすばらしく、また感激的なものであった。両校の学生が一緒になって、校歌、応援歌を力の限り歌いつづけた。このときどこからともなく湧き上がる「海ゆかば」の厳粛な歌声は大合唱となって球場に響き、早稲田の杜を揺るがせた。
 歌が終わると「この次は戦場で会おう」「お互いに頑張ろうぜ」と叫び合った。ともに戦場へいく仲間として励まし合う気持ちがグラウンド全体を包み込んでいた。
 「戦場へ行けば生きて帰れない。野球もこれで最後だ」という悲壮感から胸にジーンとこみ上げてくるものがあり、みんな涙を流しながら歌いつづけていた。あのときの球場全体を包んだ一体感は全く感動的で、いまでもその光景が目の前に浮かんでくる。」

「海ゆかば」の歌詞は次のようなものだ。

 海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
 山行かば 草生(くさむ)す屍
 大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ
 かへりみはせじ

端的に言って天皇のために命を捨てろという歌詞である。
そして、玉砕の時のラジオ放送をするときに使われた曲でもある。→詳しくはWikipedia
しかし、一度でもあの曲を聞いたことある人なら、あの歌がいかに悲痛なメロディーを持った歌であるかわかると思う。→Youtube(音が出ます)

神山征二郎監督はある雑誌で、この「海ゆかば」を省いたことを次のように語っている。

「この歌に象徴されるような雰囲気で多くの若者が散っていきました。再び繰り返してはいけないような惨劇をいくつもやってきてしまったという思いが心の底にはありました。技術的な問題もありましたが、しかし何よりもエール交換を終えたら彼らは戦争に立っていく・・・。そうすれば語り尽くしたことになるのではないかと思ったんです。」(神山征二郎「愛があったら戦争はできない―「ラストゲーム 最後の早慶戦」に込めた想い」『女性のひろば』2008年9月号、P68)

神山監督が、この映画で反戦を主張したかったのは非常によく伝わった。
特に、人前や家族の前では「軍国の父」を演じている早稲田の学生の父親に、負けている戦争になぜ息子を捧げなければならないのかという本音を語らせるシーンは、神山監督の主張がもろに反映されている。
そして、引用した文章からも想像がつくが、神山監督はその方向性を貫くために、「軍歌」である「海ゆかば」を「消した」ということなのだろう。

でも本当に「海ゆかば」を削ることが、反戦につながるのだろうか。
私はそうは思わない。
あの歌をなぜ学徒達が歌ったのか。勇ましい曲でなく、悲しい「海ゆかば」をなぜ彼らが歌おうとしたのか。
それは、あの戦争の時代に、否応なしに流されざるをえなかった多くの学徒達の思いに重なる何かが、あの歌にはあったのではなかったのか。
表面的には「軍国主義イデオロギー」に見えるこの歌を削ることは、彼らが置かれていた時代を逆に軽く見せていないだろうか。

このことから考えることは、「戦争体験を伝える困難さ」を改めて感じるということだ。
神山監督は1941年(昭和16年)生まれ。戦前生まれとはいえ、ほとんど戦争の記憶はない世代だ。
本人は「最後の戦争世代」と語っているが、むしろ「最初の戦後世代」と言えるのではないか。
だからこそ「海ゆかば」を切れるのだろうが、その演出が逆に戦争体験を軽く見せている。

数年前に、ある高校が入試問題に沖縄のひめゆり部隊の生き残りの語り部の話が「つまらない」という内容の問題が出て、話題になったことがあった。
実際には、そのステレオタイプ化した「語り方」が「つまらない」という内容だったようだが、ただ、やはり「愛」や「体験」で平和を語っていればよいという時代ではなくなりつつあるように思う。
ならどうすれば良いのかということは、自分でも確たる答えはないが、今のところ私自身は「なぜああいう戦争を行ってしまったのか」ということを理詰めで考えることが重要なのではと思っている。
だから、私は「海ゆかば」を外すことに納得がいかないのだ。

そして戦争体験世代の思いとは裏腹に、観客には老人しか来ない。日曜の朝一に行ったからかもしれないが、自分と同世代の人はほとんど見なかった。終わった後に次回を待っている人達を見たけど、やはり同じような世代バランスだった。

せっかく、「早慶戦」という現在でもリアリティのある題材を扱っているんだがなあ。
なんというか惜しい映画だと思った。

補足
最後の早慶戦は小泉の企画ではないという話は、学生野球史を専門にする私の後輩がブログで書いているので、是非そちらを見ていただきたい。通説とは全く異なる話なので、ここまでこの記事を読んできた方には興味を引くのではないかと思います。
ふろむとーきょー「「最後の早慶戦」の小泉信三」
nice!(0)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 0

コメント 4

sen2002611

「ふろむとーきょー」さんのブログにコメントを入れときました。真面目に野球の研究をする一橋の人脈の広さを感じました。小泉の面白さというは、やはり君に評価していただかないと難しいみたいですな。
 
by sen2002611 (2008-09-09 07:16) 

h-sebata

小泉の戦争との関係については、戦後の言説も含めて一度は書いてみたいんですがねえ。博論とむすびつかないんですよね(泣)。
by h-sebata (2008-09-09 12:46) 

sen2002611

是非書いてください。博論の後でも結構です。O関係資料でお手伝いできることがあれば手伝います。それと、宮中関係者というコメントを打ち消していただいてありがとうございました(笑)。
 
by sen2002611 (2008-09-09 12:53) 

h-sebata

わかっていると思うけど、「宮中関係者=天皇制研究者」の隠語なので(笑)。機会があれば書きまする。
by h-sebata (2008-09-09 17:37) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。