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「愛子さま」の教育の困難さ [天皇関係雑感]

先週の『週刊新潮』(7月10日号)の「「異様な厳戒態勢」が続く「愛子さま」御入学3カ月」を初めとして、ここしばらく、学習院初等科一年に入学した愛子内親王の周囲の話題が週刊誌をにぎあわせている。
いわゆる「雅子さま叩き」の一環であると思うけど、最近の保守系のメディアは雅子妃を目の敵にしているようである。
かつてケネス・ルオフだったかが、保守系の論者は天皇制を批判する論者を不愉快であるとして徹底攻撃するが、その一方で自分たちが天皇家の個人を攻撃する権利は担保するという二面性を持っているという話を書いていたが、まさにその通りだなと思う。
天皇家の尊厳を守ると称するが、その尊厳を傷つけていることには鈍感であるように思う。

さて、その愛子内親王であるが、学習院の中で孤立気味だとか、警備が異様なほど厳しくて生徒の親から反発が来ているとか、色々と問題を抱えているようである。
もっとも、こういった問題は、美智子妃の子育ての時にも起きていた問題であり、別に目新しいものではない。
ただ、前回との大きな違いは、「女性皇族の場合、皇位につくことはないので、男性とは別の教育をする必要があるのだが、愛子内親王が天皇になる可能性がまだありうる」ということと、「母親の子育てに対する意識の問題」とがあるように思う。

まず、後者の方から考えてみると、美智子妃の場合、「ナルちゃん憲法」などに見られるように、子供の教育に対して異様なまでの熱心さを示していた。
これは、失敗できないことのプレッシャーがあったためだという話は以前に書いたことがある。→「「ナルちゃん憲法」に見る美智子妃の苦悩」
そして、現皇太子や秋篠宮は厳しく育てられていた。特に、悪いことをした際には必ず周りは怒るようにという指示を出していたことはよく知られている。
また、女性は紀宮(黒田清子さん)だけであり、いずれは皇族から降りることが判っていたので、ある程度一般社会に適合できるように育てようとしたと言われている。
美智子妃は、原理原則主義者的な所があるが、逆にそれだけ方針が徹底していたこともあり、周囲もやりやすかったのではないかと思う。

では、今の雅子妃であるが、娘に対してどこまで教育方針を持つことが可能であるのだろうか。
少なくとも、今までであれば、女性はいずれ皇族を離れる可能性が高いので、民間にいた自分の経験則で教育すれば良いところもあったはずである。
でも、皇室典範の改正によっては、天皇になる可能性(または婿を取って皇族に残る可能性)がありうるという、微妙な立場に立たされている。
つまり「どのように教育したらよいか」というのが、そもそも難しい立場である。

そして、その「皇族としてのあり方」に揺れる雅子妃が、「皇族としてのあり方」を愛子内親王に教えることができるのだろうか。
もちろん、現在の子育ては女性だけがするものではないけど、東宮御所から出られない雅子妃と愛子内親王は必然的に交流が多くなることは間違いないと思う。
その雅子妃が、今の状態である限り、愛子内親王に対する教育方針がまともに考えられているようには思えない。
現在のような「異様な警備」などは、学習院や宮内庁の「事なかれ主義」(何かあったときに責任を取りたくない)であると思うけど、それをせざるをえなくなっているのは、皇太子夫妻の教育方針が明確でないからなのではないだろうか。

皇族であるということは、自由がないということとイコールである。
だからこそ、子供の頃からある種の「諦念」を受け入れるように教育されるという話は以前に書いたことがある。→「皇位継承者の憂鬱」
愛子内親王の今後が正直心配でならない。

もちろん、こういった議論が各所でされること自体、同情の念を禁じ得ないが、残念ながら天皇は「国民統合の象徴」である以上、その子育てに様々な関心が向けられることはやむを得ないだろう。
おそらく、この問題には答えがない。でも、いずれにしろ、子供が大人の監視下に常に置かれている状況は、教育上良くないとは思うのだが・・・。
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