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特定秘密保護法案を考える 補論 「特別防衛秘密」の闇 [特定秘密保護法案]

2013年10月25日に特定秘密の保護に関する法律(特定秘密保護法案)が閣議決定されました。
11月7日から衆議院で審議も始まりました。
法案はこちら。
http://www.cas.go.jp/jp/houan/185.html

ここまで、特定秘密保護法案の何が問題なのか分析してきました。
第1回第2回第3回第4回第5回
逐条解釈(私注)についてはすでにアップロードしているのでこちらを参照。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/h-sebata/secret_law.pdf

最後に補論として、「特別防衛秘密」の話を書いておきます。
調査時間が十分に取れないので、見切り発車で書きますが、どうやらこの「特別防衛秘密」が今回の法案の原点にあたるもののように思います。
脱線も多いですが、集めた情報を並べておきます。

補論 「特別防衛秘密」の闇

今回の「特定秘密保護法案」は、自衛隊法の「防衛秘密」がそのまま移されてきているため、モデルが自衛隊法にあるのは間違いないと思われる。
「防衛秘密」については、すでに第2回で書いたので省略。

そして、この「防衛秘密」が設定された2001年の自衛隊法改正の際に参考にされたのが、「日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法」(1954年制定)、いわゆる「MDA秘密保護法」(注1)である。

このMDA秘密保護法において「特別防衛秘密」(注2)が定義されている。
第1条の定義を見てみると

3  この法律において「特別防衛秘密」とは、左に掲げる事項及びこれらの事項に係る文書、図画又は物件で、公になつていないものをいう。
一  日米相互防衛援助協定等に基き、アメリカ合衆国政府から供与された装備品等について左に掲げる事項
 イ 構造又は性能
 ロ 製作、保管又は修理に関する技術
 ハ 使用の方法
 ニ 品目及び数量
二  日米相互防衛援助協定等に基き、アメリカ合衆国政府から供与された情報で、装備品等に関する前号イからハまでに掲げる事項に関するもの


この情報の漏えいに対しては最高で懲役10年が課されており(第3条第1項)、また「特別防衛秘密を他人に漏らした者」も最高懲役5年(第3条第2項)となっており、たまたま秘密を入手して他人に話した民間人も刑罰の対象となっている。
この罰則の多くがそのまま「防衛秘密」→「特定秘密」と引き写されているのが今回の法案になる。

この「特別防衛秘密」は、1954年に米国との間に結ばれた「日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定」(MSA協定)に基づいて設定された。
MSA協定は、当時の保安隊への米国からの武器供与を定めた協定であり、これに基づいて事実上の「軍隊」である自衛隊が発足したことで知られる。
この「特別防衛秘密」で定義されたものは、要するに米軍から提供された武器に関する情報(武器そのものを含む)ということになる。

このMSA協定の第3条および附属書Bには次の文面が入っている。

第三条
1 各政府は,この協定に従つて他方の政府が供与する秘密の物件,役務又は情報についてその秘密の漏せつ又はその危険を防止するため,両政府の間で合意する秘密保持の措置を執るものとする。
2 各政府は,この協定に基く活動について公衆に周知させるため,秘密保持と矛盾しない適当な措置を執るものとする。

附属書B
 日本国政府が第三条1に従つて執ることに同意する秘密保持の措置においては,アメリカ合衆国において定められている秘密保護の等級と同等のものを確保するものとし,日本国が受領する秘密の物件,役務又は情報については,アメリカ合衆国政府の事前の同意を得ないで,日本国政府の職員又は委託を受けた者以外の者にその秘密を漏らしてはならない。


このため、日本側は秘密保護のための法律を作ることが義務付けられ、この結果できたのがMDA秘密保護法ということになる。
この法律を作る際に、保安庁(現在の防衛省)の内部で軍事機密を包括的にカバーできる秘密保護法が検討されていたようだが、内部の検討だけで終わったようだ(藤井治夫『日本の国家機密』現代評論社、1972年、3-4ページ)。

この法案をめぐって、当時の国会では「秘密の範囲」や「報道の自由」などが議論となったようである。
なにか既視感があるなあ・・・

ちなみに、在日米軍の機密情報漏えいへの罰則については、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法」(1952年制定)という長い名前の法律が定められており、第6条から8条にかけて、最高懲役10年という、MDA秘密保護法と同様の規定が存在している(こちらの方が前なので、むしろ秘密保護法の方がこの刑事特別法を参照しているというべきか)。

よって、米軍からの武器情報および米軍機密の漏えいについては、すでに1950年代に法律で厳しい罰則が科されていたのである。

なお余談になるが、自衛隊では同じような罰則を2001年まで法定化できなかった。
おそらく、戦前の軍機保護法や国防保安法といった機密漏えいへの罰則法が弾圧立法として使われたことや、自衛隊を「軍隊」とは呼べない日本国憲法との兼ね合いの問題などがあったのだろう。

このため、自衛隊内の秘密は「防衛秘密の保護に関する訓令」(1958年防衛訓令51)、「秘密保全に関する訓令」(1958年11月15日防衛訓令102)といった「訓令」によって、その規定が定められることになった。

(ただ藤井の上記の本によれば、次官会議申合せ「秘密文書等の取扱規程の制定について」(1953年4月30日)に基づいて、保安隊時代の1953年に「秘密保全に関する内訓」を作っているとされているので、これらの「訓令」以前にも秘密取扱いの規程のようなものはあったのではないか。前掲『日本の国家機密』4ページ。)

さらに情報を足すと、防衛庁が内部で行っていた「三矢研究」(第2次朝鮮戦争が起きたと仮定して作られた非常事態対応の計画文書)が社会党の岡田春夫衆議院議員によって暴露された直後に、事務次官等会議申合せ「秘密文書等の取扱いについて」(1965年4月15日)が作られ、この第10項に「不要の秘密文書は、必ず焼却する等復元できない方法により処分すること」が定められた(前掲『日本の国家機密』105-106ページ)。
つまり、当時の官僚達は「秘密文書は最後は闇に葬る」ことを事務次官会議で申し合わせていたようである。

この申合せがその後どうなったかはよくわからない。ご存じの方がいれば教えていただければ。

脱線しすぎた。戻ります。

さて、この「特別防衛秘密」。1954年にMDA秘密保護法が制定されてから内容は一切変わっていない。
しかも、今回の「特定秘密保護法案」の対象から「特別防衛秘密」は外されている。
つまり、「特別防衛秘密」だけは別の法律で規制するままの状態に保たれるということだ。

しかし、今回の特定秘密保護法案とMDA秘密保護法を比べてみると、この法体系を維持する理由はよくわかる。
MDA秘密保護法にも第7条には「拡張して解釈して、国民の基本的人権を不当に侵害するようなことがあつてはならない」とは書いてあるが、今回の法案のように報道の自由などへの配慮規定は存在しない。
また、特定秘密保護法案は今回の国会を通ったとしても、議論の中でさまざまな制約を課されることになるだろうが、「特別防衛秘密」についてはこれまで通りの運用を続けることができる。
つまり、米軍から提供された武器に関する情報は、制約をかけられることなしにこれまで通り隠し通したいのだろう。

この「特別防衛秘密」にあたる文書が、秘密指定を解除されて国立公文書館に移管をされたケースを私は聞いたことがない。
おそらく「防衛秘密」ですら全廃棄している防衛省ならば、「特別防衛秘密」も当然のごとく保存年限が来たら全廃棄していることは目に見えている。

よって、すでにこの「特別防衛秘密」は闇に葬られているし、特定秘密保護法案が少しはマシなものに修正されたとしても、闇はまだ残るのだ。

法案には入っていないので国会で議論されることはないだろうが、この「特別防衛秘密」の存在は頭に残しておかないといけないと思う。

これにて連載は終了。
これからは国会審議で気になったことがある時に書いていこうかと思います。
公文書管理法制定の時は院生だったので委員会審議を全てチェックできましたが、さすがに映像を何時間もチェックしている余裕はもうないです。新聞報道に期待したいところです。


注1
「日米相互防衛援助協定」は通称MSA協定と呼ばれる。これは、この協定の基礎になった米国の法律(Mutual Security Act)によっている。
だが本来「相互防衛援助」はMutual Defense Assistanceと英語で書くため、MDA協定という方が正しい。
そのため防衛省では、この協定の秘密保護法を「MDA秘密保護法」という言い方をしている。

なお、歴史用語としてはMSA協定が根付いてしまったため、この秘密保護法も長らくMSA秘密保護法という言われ方をされていた。
この記事では、「MSA協定」「MDA秘密保護法」という今現在もっとも通っている名称で書くことにする。

注2
「特別防衛秘密」は、2001年の自衛隊法改正までは「防衛秘密」と呼ばれていた。この時の改正で「防衛秘密」が別に定義されたので「特別」が前についた。
この記事では紛らわしいので「特別防衛秘密」に表記を統一する。

参考文献
・藤井治夫『日本の国家機密』現代評論社、1972年
・藤井治夫『ここまで来ている国家秘密法体制』、日本評論社、1989年
→藤井氏は軍事評論家。防衛庁や自衛隊などに協力者がいたようで、内部の人しか見られない文書がたくさん引用されている。
こういった本は得てして感情的な批判が前面に出やすいが、理詰めで書かれていて、引用文も豊富であり、非常に参考になる。

・横浜弁護士会編『資料国家秘密法』花伝社、1987年
→中曽根政権時代のスパイ防止法案への反対運動の中でまとめられた資料集。
上記で触れた「刑事特別法」や「MDA秘密保護法」の制定過程などの細かい解説があり、参考になる。

・中村克明「戦後日本における国家秘密法制の展開」『関東学院大学文学部紀要』101号、2004年
http://ci.nii.ac.jp/naid/40006594800
→中村氏は図書館情報学が専門。だが、逆に法学者でないが故に、非常にコンパクトに情報がまとめられていて、戦後の防衛秘密関係の法令などを俯瞰的に見るにはわかりやすい。
なお「国家秘密保護法に関する図書目録」も作られているので、これも参考になる。両方ともウェブ上で見れます。
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エコーニュース編集・江藤

>つまり、当時の官僚達は「秘密文書は最後は闇に葬る」ことを事務次>官会議で申し合わせていたようである。この申合せがその後どうなっ>たかはよくわからない。ご存じの方がいれば教えていただければ。

申し合わせの話とドンピシャではないのですが、リンク先記事で取り上げている小池百合子氏の著書に、「データ持ち出し禁止となっている防衛大臣用のPCにあるメールを、退任時に大量プリントアウトした」という記述がありました。

文脈からして、小池さんがプリントアウトした文書は持って帰られたかと。なんとも中途半端な運用。。

by エコーニュース編集・江藤 (2013-11-11 13:39) 

瀬畑 源(せばた はじめ)

> 江藤様

コメントありがとうございます。
文脈が本を読まないと取れないですが、平然と持ち出し禁止のデータを印刷して持って帰ったとありますね。
本に書いたということは自分では問題の無い行為だと思っているんでしょうね。なんともはやというところですね。
by 瀬畑 源(せばた はじめ) (2013-11-11 18:05) 

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