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公文書管理委員会第1回資料を読む補遺 委員会への期待と不安  [公文書管理委員会]

「公文書管理委員会第1回資料を読む」を5回にわたって続けていたのだが、その途中で、私のツイッターでの発言をきっかけにして、以前公文書管理法制定の時に一緒に活動していたジャーナリストのまさのあつこさんと、情報公開クリアリングハウスの三木由希子さんと、いくつか委員会に関するやりとりがあった。
ブログやツイッターに話が飛んでいるので、まとめる意味を兼ねてここにやりとりの経緯と、それに対する私の考え方を述べておきたいと思う。
なお文中、強調文字にしている点は私によるものです。

まず、きっかけは、三木さんの公文書管理員会委員会第1回の傍聴記から。

情報公開にまつわる日々の出来事-情報公開クリアリングハウス理事日誌「公文書管理委員会 傍聴行ってきた」
http://johokokai.exblog.jp/14782173/

この中で、三木さんは次のような懸念を表明されている。

 御厨貴東大教授が委員長になりましたが、最初の段階で「文書」を「ぶんしょ」ではなく「もんじょ」と言って「ぶんしょ」と言いかえられたのを聞いて、この人は「もんじょ」の人なんだと思った次第です。かれこれ10数年前に、「ぶんしょ」と言うか「もんじょ」と言うかの違いは決定的という話を聞き、深く納得したことがあって以来、これは一つの私の中でのメルクマールになっています。

 実際に、各委員の発言を聞いていると、歴史的に文書をどう残すかという方向に引っ張られていて「今」が見えず、傍聴していてとっても心配になってきました。個人的には、後世からの検証が必要なため歴史的な公文書の保存が必要ということには異論がないのですが、それはむしろ今の政府の仕事を良いものにするために、そうする機会を後世に残しておくことが必要ということでなければならないと考えています。


このブログをツイッターで紹介したところ、tomiken28さん(公文書館勤務のアーキビスト)が「もんじょ」「ぶんしょ」の話で私に質問をしてきた。
そのやりとりはこちら。



そして、その後、まさのさんが三木さん達とUstreamで「新政権に望む国会のあり方座談会??」というのをやったのを私が視聴して、主題と違うところで噛みついてしまったのが次のやりとり。



この時はまさのさんが時間がなかったのであまり答えがなかったが、かわりに三木さんにそのやりとりを見られていて、三木さんがブログにこの件についてコメントを書かれたのが次。

情報公開にまつわる日々の出来事-情報公開クリアリングハウス理事日誌「公文書管理委員会ネタが何だか波紋を呼んでる?」
http://johokokai.exblog.jp/14821143/

引用してみると、

歴史家や歴史研究者が現用文書の重要性や、文書の作成・管理の重要性を理解してないなんて、少しも思っていませんよ。私の問題意識は、行政文書の定義をどうするか、どう管理するかにもありますが、行政組織の問題としてどう文書を作って管理をして行くのかという組織の問題にもあるのですよ。要は内部統制的にどうなるのだろうかということ。そこがしっかりしないと、歴史的にも文書が適当な形で残らないと思うからです。ちなみに行政透明化検討チームでは、行政文書の問題は公文書管理委員会に申し送りをしてもらう方向です。

 私としては、今の人をハッピーにできないのであれば、後世の人もハッピーにはなれない、公文書管理は今のためにあることが基本で、今を適当なものにしていくことで歴史に残すこともできると考えているだけです。何だか、文書を「もんじょ」か「ぶんしょ」と読むかというネタも引っかかる方がいるようですが、私の方はそんな感じで今の組織の問題は誰がどう議論をするのかに不安が大きいもので…。基本的には、どんな立場、どんな専門性の方でも私はウェルカムです。ずっとそうだったし。むしろ、距離感を持っているのは専門性の中にいる人たちだと思うんだけどな。興味深々な視線を感じつつも、みなさん上品なもので、こういう野に放たれた感じの人に直接触れるのは遠慮されているような感じかな。まあ、こちらがアウトローな感じですからね。


さらに、まさのさんから後日届いた意見のまとめ。


一連の流れで、争点になっていたのは、「歴史研究者の重視する「文書」と情報公開に取り組んでいる方の重視する「文書」」の考え方のズレのようなことだったと思う。

まさのさんと三木さんが最もこだわっている点は、「行政文書の定義」の問題だと思う。
これまで、官僚組織の内部で検討されていた事項のうち、「行政文書」と見なされるものと見なされないものが恣意的に分けられていた。
それは、情報公開法の第2条第2項にある「当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているもの」という行政文書の定義から問題が発生している。
この「組織的」という定義をものすごく狭く取れば、決裁文書レベルの部分だけを「行政文書」とし、それ以外は「私的文書」として情報公開の対象外にしてしまうということが可能になる。

まさのさんが私にツイートしてきたものは、まさしくその点を問題としていた。
まさのさんや三木さんは、過去にそういった事例でおそらく何度も苦渋を飲まされてきたのだと思う。
そして、まさのさんは次のようなツイートを残している。

三木由希子さんもブログで書いたこととつながるが、公文書管理法というのは、行政組織の内部統制、官僚の仕事の仕方、国民への説明責任をどう果たすのかという問題と色濃くつながっているわけです

つまり、「行政組織の中で官僚がどのような仕事の仕方をするのかを決定しようとしている」という意識が公文書管理委員会の委員にあることがとても重要で、歴史学者と言われる方々が、どこまでそれを理解し、審議をしてくれるのかなというのが、個人的には関心、懸念あり

公文書管理委員会で議論をする歴史学者の皆々様には、「参加したい」という国民を迎え入れる行政の仕事の仕方はこれでいいのかという視点を持って、行政が出してくるさまざまな案を精査して、丁寧に審議していって欲しいというのが願いです。


つまり、この「行政文書の定義」の話は、突き詰めれば「官僚の仕事とは何か」というところに行き着く話だということだ。
公文書管理法に即して言えば、第4条の「作成」の部分の実効性の問題とつながることだと思う。
そして、そこに歴史研究者は理解があるのかというところに疑いの目を持っているということになる。

だから、私の「歴史研究者だって現用文書の重要性はわかっているはず」という疑問は、三木さんやまさのさんから「そのレベルで議論したいんじゃないんだ」という批判にさらされた。

また、私は三木さんのブログの記事に次のような言い訳がましいコメントを書いた。

行政組織の問題についてなかなかモノを言えないというのは、歴史研究者にとって正直「わからん」からだというのが実感です。
私自身この問題に関わって一番もどかしいのが、「結局どうやって役所が動いているのかが外から見て全然わからない」というところです。
御厨氏もたしかオーラルヒストリーにこだわる理由として、政策決定過程が公文書などから裏付けが取れないからだということを書かれていたのを見た記憶があります。
だから一般論として「管理をしっかりしてくれ」とは言えるけれども、その先の「どうしたら管理がうまくできるのか」という話でなにか具体的な提言ができるのかというと、どうしてよいかわからないという所なのではないかと思うのですが・・・


それに対する三木さんの答え。

行政がどう動いているのか見えないのは、外の人間なら当たり前。だから何も言えないということではなくて、行政運営の適正化、内部統制が大切なことを言い続けること、公文書管理法が制定されてこれらの改革、改善がどう行われているのかを行政に報告を求めることが、実際に内部で仕事をしていない第三者機関の役割だし、外にいる人の役割だと思いますよ。
何でも具体的な提言でなければダメなのではなくて、何を原則として大切にすべきかということをきっちりと定着させることも、実はとっても大変ということは、情報公開法の教訓でわかっているはず。法制の詳細な技術的議論はありますがけど、実はもっと泥臭いところに問題の根っこがあってそれが変わっていないところがあるので、結局は何が変わって欲しいのかを言い続ける必要もあると思うわけです。


もう、ぐうの音も出ないという感じです。

まだまだ、私も問題がわかっているようで、全然わかってないのだなあと改めて感じる。
どうしても歴史研究者という立場上、現在の行政と対峙している人たちの深刻さを、まだ拾えきれていない。

ただ、今回のやりとりは、私にとって考え方をもう一度整理する良い機会になった。
それに、やはり、異分野同士の意見交流は絶対に必要だと改めて再認識した。

三木さんやまさのさんが深刻に思っていること、私が深刻に思っていることの中心点にはズレがある。
でも、実は話せば両方の意見がつながっていて、どちらも重要だということがわかる。

ツイッターというツールは、そういう意見交換の場としても有用なのだということも今回初めて理解した。

なので、今後もいろいろと意見をぶつけに行ってみたいと思う。
また私もそういう意見をぶつけてもらうことを期待したい。

公文書管理問題に興味を持たれている方は多い。もっと横の連携を強めなくてはと感じる。
何とか、そのつなぎ目として、このブログなどが役に立てばと思う。
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まさのあつこ

瀬畑さんの言う「私が深刻に思っていることの中心点」はどこですか?是非知りたいです。今度いつでもいいので教えてください。
by まさのあつこ (2010-07-30 11:21) 

瀬畑 源(せばた はじめ)

> まさのあつこ さま

今日お会いして三木さんと話していて、中心点の違いがかなり明確になった気がします。

私がこの問題に取り組むようになった原因は、ひとえに「50年以上前の資料がなんで出てこない」というところから始まっています。
なので、どうしても公文書管理や情報公開に関係するときに、「公文書をどうすれば自由に制限なく見ることができるのか」という所に関心が向いてしまうのです。

まさのさんや三木さんの話を聞いていると、お二方の中心点は「行政や政治のあり方そのものを変えるため」という部分にあるような気がします。
そして、私もそれには同感なのですが、結局ブログで記事を書くと、自分の関心に引きずられています。
上に書いた話も(そして私の見解も)結局そういった中心点の違いが出てきてしまうように思うのです。

私がまだ情報公開などの理念を「理解」できているが「消化」できていないのはそういったところなのかなと思います。
by 瀬畑 源(せばた はじめ) (2010-07-31 01:26) 

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