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橋本明『平成皇室論』を読んで [天皇関係雑感]

昨今、話題になっている橋本明氏の『平成皇室論―次の御代へむけて』(朝日新聞出版、2009年)を読んだ。

『週刊朝日』が販促のためにこの本を取り上げており、作者が天皇の「同級生」であることや、その内容から、色々と話題になっているようである。
Googleアラートで「天皇」とか「皇室」とかを登録してあるのだが、この本について書いているブログなどがよく引っかかってくるようになった。

橋本氏の本で一番話題になっているのは、最終章の「東宮家の選択肢」で書かれている内容であろう。
雅子妃が精神疾患で公務ができなくなっている状況から、橋本氏は3つの選択肢を挙げている。

①「別居」・・・精神疾患を治すため、ストレスの原因となっている皇室から遠ざけ、治療に専念させる。
②「離婚」・・・雅子妃を皇室から解放する。
③「廃太子」・・・皇太子が皇位継承権を秋篠宮に譲る。現在、継承権順位は、皇太子徳仁親王→秋篠宮文仁親王→同悠仁親王の順だが、秋篠宮文仁親王→同悠仁親王→皇太子徳仁親王の順にする。(皇太子夫妻は皇族としては留まる。)

事前に週刊誌の見出しを見ていて、「廃太子」は「皇籍離脱」(皇族を辞める)のことだと思っていたがどうやら違うようだ。
なので、改めてみると別にそれほど驚く主張をしてないなという感じはする。

私自身、持論は①である。究極的には「精神疾患の皇后を国民が受け入れればよい」という話だと思っているので、②とか③の選択肢は無いなと、個人としては思う。

ただ、橋本氏は、「国民規模の議論に展開していくことを願う」(14頁)と述べている。
これは、天皇の「同級生」である自分がこういうことを書けば、皇太子妃問題が大きな話題となることを見越してこの本が書かれたということを示している。つまり、こういった3つの選択肢を出したのも、橋本氏なりの「戦略的言説」であることは確かだろう。

この皇太子妃問題は国民自身の問題だということを主張しようとしていることについては、その思いはわからなくはない。
おそらく、「嫁姑の争い」みたいな次元の話ではなく、もっと天皇とはどうあるべきかということを、国民が考えてほしいと、橋本氏は望んでいるように思うのだ。

実は私は一度、この著者の橋本氏とお会いしたことがある。
手元の記録を見ると今から6年前のことである。
現天皇の皇太子時代の研究をしていた私にとって、当時の皇太子のことを知る人から聞きたいことが山ほどあったので、ある方から橋本氏を紹介してもらったのである。

まだ修論を書いてから1年強で、学術論文を一本も発表していなかった私にとって、橋本氏との面会は非常に緊張を強いられるものであった。そして、「圧倒」されて帰ってきた。

この面会時に橋本氏に強く感じたことがある。
それは「学習院卒であることへの強烈なプライド」である。

橋本氏は1940年に当時の皇太子とともに学習院初等科に入学した。その後、大学まで共にすごした方である。
そして、その学習院の教育を受けたことへの強烈な誇りを隠そうとしていないところがある。今回の本でもそういった記述は散見される。
戦前の皇太子について書いた『平成の天皇』(文藝春秋、1989年)などからもそういったことを強く感じる。

そして、この「誇り」は、橋本氏が「現天皇の藩屏」であろうとする意識とつながっているように思う。
橋本氏は著書『昭和抱擁』(日本教育新聞社、1998年)の中で、高等科の時に、教師から「皇太子のスポークスマン」としての役目を押しつけられたというエピソードを書いている(177頁)。
これは、橋本氏が作り話をして自分の主張を権威づけようとしているわけではない。おそらく真実であろう。

実際に、高等科以後のマスコミの記事に、橋本氏は煩雑に登場するようになる。
しかし、その役割を担ったのは橋本氏だけではなかったように思う。1950年代には煩雑に登場する同級生は他にも存在しているからだ。
だが、その後、現在に至るまで、その役割をいまだに担おうとしているのは橋本氏だけであろう。

もちろん、これは「橋本氏の考え=天皇の考え」ということを意味しない。
橋本氏が自らを「藩屏」と位置づけているだけである。

だが、現天皇夫妻が不人気な時代であった時にも、徹底的に夫妻を擁護する記事を書き続けてきたのは確かだ。
例えば、1975年にサイモン・グロブスターというジャーナリストが「42才の皇太子アキヒト」という記事を『週刊文春』に書き、あまり明確でない情報に基づいて皇太子夫妻が不人気であることを書いたのに対し、連載終了後に真っ向から反論を書いたのは橋本氏であった。

橋本氏には、現在の天皇皇后を守ることこそ、自らの人生に課した役割だという強烈な思いがある。
だから、天皇皇后の行うことを絶対視し、それを引き継ぐことが危ぶまれる皇太子夫妻に対する不安があるのだろう。
その意味では、『週刊朝日』で香山リカが「舅の嫁いびりに見える」と言っていたのは、実は「当たらずといえども遠からず」というところだなとは思う。

そういった橋本氏の立ち位置を踏まえてこの本を読むと、もう少し冷静に最後の提案も読めるように思う。
つまり、橋本氏は皇太子を廃して、秋篠宮に天皇を継がせれば万事OKということを書いているのではない。
ただ、現天皇の後に即位する人が「現天皇の路線を継いでくれるか否か」にその力点があるのだ。


実は、私はこの橋本氏の言説がどのように作られていったのかという点については、以前から興味を持って資料を収集している。
いつか、「天皇の藩屏を引き受けた」橋本明と、「天皇の藩屏になりたくてなれなかった」藤島泰輔という二人の「御学友」から見た戦後天皇論を書いてみたいなと思っている。学術論文としてではなく、エッセイみたいな物で。
いつになるかは見当もつかないが・・・

平成皇室論 次の御代へむけて

平成皇室論 次の御代へむけて

  • 作者: 橋本 明
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2009/07/07
  • メディア: 単行本



昭和抱擁―天皇あっての平安(やすらぎ) 戦後50年・年譜の裏面史

昭和抱擁―天皇あっての平安(やすらぎ) 戦後50年・年譜の裏面史

  • 作者: 橋本 明
  • 出版社/メーカー: 日本教育新聞社
  • 発売日: 1998/04
  • メディア: 単行本



平成の天皇

平成の天皇

  • 作者: 橋本 明
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1989/03
  • メディア: -



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