全史料協京都シンポの感想 [2009年公文書管理法問題]
7月26日に京都で行われたシンポジウム「市民社会の財産としての公文書・地域資料を考える」(全史料協近畿部会主催)に行ってきました。
国立公文書館長に就任された高山正也氏の就任後初の講演でした。
当日の講演を聞きながら考えたことを書くことにします。
まず事実関係として、高山氏が7月7日付で国立公文書館長に就任。
館長だった菊池光興氏は特別相談役に、高山氏の後任の理事に、内閣府審議官の山崎日出男氏が就任した。
山崎氏は公文書管理法制定における官僚側の責任者。国会の委員会における答弁を行っていた人なので、国会中継を見た方は見覚えがあるだろう。
この理事就任は意外でもあり、一方でなるほどと思う人事配置ではある。
山崎氏は、有識者会議の最終報告を骨抜きにした管理法の原案を作った方であり、不安は当然ある。
だが、菊池前館長が元総務事務次官という官僚であったことが、各省庁への発言に重みを与えていたということもある。
今回の公文書管理法を運用するには、官僚の協力が必要不可欠になる。そのため、国立公文書館のナンバー1と2に、民間出身と官僚出身という配分は悪くないと思う。
それに、山崎氏はこれまでの経緯は非常に良くわかっているはず。高山館長のコントロール次第でもあるが、逆に官僚側の論理に精通していることがプラスになるような働きをしてほしいと思う。
さらに、司法文書の国立公文書館への移管交渉は順調に進んでいるとのこと。
高山館長によると、民事訴訟原本の移管を以前に行っており、その経験から交渉はスムーズに進んでいるそうだ。
次に、講演内容について。
最も印象的だったのが、国が公文書管理法に基づいた理想的なシステムのあり方を提示してくれると、地方は改革がやりやすくなるという要求に対して、高山館長は「国のモデルを地方に適用するというのは時代に逆行していないか。むしろ地方が理想的な公文書館の姿を提示してくれたらどうか」ということを強調されていたことである。
これは、一方で私も納得できる回答ではある。神奈川県のように先進的なところもあるわけだから、必ずしも国に前ならえをする必要はない。
ただ、私は公文書館運営についてどこかが「コンサルティング」の役割を果たす必要があると考えている。
つまり、もし地方自治体で「公文書館を作りたいんだけど、ノウハウが無くてどうしていいかわからない」という所が出てきたときに、実際に自治体に指導(マニュアルを渡すとかだけでなく、実際に現地調査をして定期的にアドバイスをするレベルまで)する役割を果たせる機関が必要不可欠になると思う。
これまで、各地に公文書館が建設され、様々な試行錯誤をして現在にたどり着いている。
だが、その経験は、結局公文書館員の「個人レベル」での知識の蓄積に留まっており、それを「組織」としての力、ひいては「公文書館」の力にまでなっていないように感じている。
そういった知識を集中的に集め、それを元にしたシンクタンクのようなものが必ず必要である。
本来ならば、そういったことは、以前紹介した文書管理における廣田傳一郎氏のADMiCのような、お金をしっかりと取ってコンサルティング業務を行うような民間組織があると良いと思う。
だが、それを全史料協などができるかと言われれば、簡単ではないように思う(というか本来はやらなくてはならないのではないかと思うのだが)。
そうすると、今のところ、それを果たせるのは私は国立公文書館しかないと思っている。
これについて、高山館長にどう考えるのかを直接うかがってみたのだが、「そもそも自分の所をどうするかを考えるのが手一杯。重要なのは理解しているが、そこまで手が回らないのが現状」ということだった。
私はアーカイブズ業界の内情は全くわからない素人であるが、この「コンサルティング」をどうするかということは、全史料協や国立公文書館が連携しながら、どう対策を取るか考える必要があるのではないか。
今後、公文書管理法が施行されれば、必然的に地方公文書館は増える。その時に、既存館が失敗してきたことをみすみす繰り返させるようなことが各地におきてしまうことは避けねばならないと思う。
次に、講演全体の印象として、「この公文書管理改革は法律ができたら終わりではない。むしろどう定着させるかという部分に、非常に多くの課題を残している」ということを、陰に陽に繰り返し述べていたことが印象的であった。
高山館長は、官僚が文書管理の重要性を理解しないことを「生活習慣病」(元ネタは片山善博前鳥取県知事とのこと)であると述べておられた。
今回の公文書管理法は第4条に「文書作成義務」が入り、かなり具体的に「政策決定過程のわかる文書」を残すことが義務づけられた。
だが、これまで、過程の文書をおざなりに扱ってきた官僚達が、急にきちんと残せといっても残せないだろう。そもそも「仕事のやり方」そのものから、根本的に見直しが必要となるからだ。
高山館長は、法律の附則に入った「5年後の見直し」というのは、それほど遠いことではないし、また情報公開法のように見直しをろくにせずに流されてしまう危険もあると指摘しておられた。
つまり、公文書管理法がどのように運用されているかをきちんと監視することが必要不可欠であるということなのだ。
こういった話を聞くにつけ、あらためて「公文書管理法制定ははじまりにすぎない」ということを痛感する。
さらに、公文書館をどのように根付かせるかということについてもいくつか議論があった。
特に、現在の詰め込み型の小中高の歴史教育を変え、地域の資料を用いた授業など、もっと歴史の学習が自らのアイデンティティとつながるような形でなされなければということを話されていた。
受験に従属した歴史教育の現状を打破するのは簡単ではない。だが、歴史資料の現物の持つ力というのは大きい。だから、少しでもそういう教育に時間が割かれることを望みたい。
また、関連して耳が痛かった話としては、井口和起京都府立総合資料館長が「歴史学者は公文書館を作れ作れと言うが、作った後に利用した人はどれだけいるのか?」ということや、高山館長の「館に所蔵されている公文書を使った研究成果が出て、世間の耳目を集めさせることがあれば、館のアピールになる」という話などである。
歴史研究者としてはただ謝るしかない。
以上、自分が講演を聞きながら考えたことをつらつらと書いてみました。
このあとの、飲み会にも参加したところ、このブログを読んでいる方が色々とおられて、「あのブログの人か!」というセリフを何度も耳にしました。これだけ多くの人から読んでもらえると思うと励みになります。
なかなか楽しかった。京都まで行ったかいがありました。
国立公文書館長に就任された高山正也氏の就任後初の講演でした。
当日の講演を聞きながら考えたことを書くことにします。
まず事実関係として、高山氏が7月7日付で国立公文書館長に就任。
館長だった菊池光興氏は特別相談役に、高山氏の後任の理事に、内閣府審議官の山崎日出男氏が就任した。
山崎氏は公文書管理法制定における官僚側の責任者。国会の委員会における答弁を行っていた人なので、国会中継を見た方は見覚えがあるだろう。
この理事就任は意外でもあり、一方でなるほどと思う人事配置ではある。
山崎氏は、有識者会議の最終報告を骨抜きにした管理法の原案を作った方であり、不安は当然ある。
だが、菊池前館長が元総務事務次官という官僚であったことが、各省庁への発言に重みを与えていたということもある。
今回の公文書管理法を運用するには、官僚の協力が必要不可欠になる。そのため、国立公文書館のナンバー1と2に、民間出身と官僚出身という配分は悪くないと思う。
それに、山崎氏はこれまでの経緯は非常に良くわかっているはず。高山館長のコントロール次第でもあるが、逆に官僚側の論理に精通していることがプラスになるような働きをしてほしいと思う。
さらに、司法文書の国立公文書館への移管交渉は順調に進んでいるとのこと。
高山館長によると、民事訴訟原本の移管を以前に行っており、その経験から交渉はスムーズに進んでいるそうだ。
次に、講演内容について。
最も印象的だったのが、国が公文書管理法に基づいた理想的なシステムのあり方を提示してくれると、地方は改革がやりやすくなるという要求に対して、高山館長は「国のモデルを地方に適用するというのは時代に逆行していないか。むしろ地方が理想的な公文書館の姿を提示してくれたらどうか」ということを強調されていたことである。
これは、一方で私も納得できる回答ではある。神奈川県のように先進的なところもあるわけだから、必ずしも国に前ならえをする必要はない。
ただ、私は公文書館運営についてどこかが「コンサルティング」の役割を果たす必要があると考えている。
つまり、もし地方自治体で「公文書館を作りたいんだけど、ノウハウが無くてどうしていいかわからない」という所が出てきたときに、実際に自治体に指導(マニュアルを渡すとかだけでなく、実際に現地調査をして定期的にアドバイスをするレベルまで)する役割を果たせる機関が必要不可欠になると思う。
これまで、各地に公文書館が建設され、様々な試行錯誤をして現在にたどり着いている。
だが、その経験は、結局公文書館員の「個人レベル」での知識の蓄積に留まっており、それを「組織」としての力、ひいては「公文書館」の力にまでなっていないように感じている。
そういった知識を集中的に集め、それを元にしたシンクタンクのようなものが必ず必要である。
本来ならば、そういったことは、以前紹介した文書管理における廣田傳一郎氏のADMiCのような、お金をしっかりと取ってコンサルティング業務を行うような民間組織があると良いと思う。
だが、それを全史料協などができるかと言われれば、簡単ではないように思う(というか本来はやらなくてはならないのではないかと思うのだが)。
そうすると、今のところ、それを果たせるのは私は国立公文書館しかないと思っている。
これについて、高山館長にどう考えるのかを直接うかがってみたのだが、「そもそも自分の所をどうするかを考えるのが手一杯。重要なのは理解しているが、そこまで手が回らないのが現状」ということだった。
私はアーカイブズ業界の内情は全くわからない素人であるが、この「コンサルティング」をどうするかということは、全史料協や国立公文書館が連携しながら、どう対策を取るか考える必要があるのではないか。
今後、公文書管理法が施行されれば、必然的に地方公文書館は増える。その時に、既存館が失敗してきたことをみすみす繰り返させるようなことが各地におきてしまうことは避けねばならないと思う。
次に、講演全体の印象として、「この公文書管理改革は法律ができたら終わりではない。むしろどう定着させるかという部分に、非常に多くの課題を残している」ということを、陰に陽に繰り返し述べていたことが印象的であった。
高山館長は、官僚が文書管理の重要性を理解しないことを「生活習慣病」(元ネタは片山善博前鳥取県知事とのこと)であると述べておられた。
今回の公文書管理法は第4条に「文書作成義務」が入り、かなり具体的に「政策決定過程のわかる文書」を残すことが義務づけられた。
だが、これまで、過程の文書をおざなりに扱ってきた官僚達が、急にきちんと残せといっても残せないだろう。そもそも「仕事のやり方」そのものから、根本的に見直しが必要となるからだ。
高山館長は、法律の附則に入った「5年後の見直し」というのは、それほど遠いことではないし、また情報公開法のように見直しをろくにせずに流されてしまう危険もあると指摘しておられた。
つまり、公文書管理法がどのように運用されているかをきちんと監視することが必要不可欠であるということなのだ。
こういった話を聞くにつけ、あらためて「公文書管理法制定ははじまりにすぎない」ということを痛感する。
さらに、公文書館をどのように根付かせるかということについてもいくつか議論があった。
特に、現在の詰め込み型の小中高の歴史教育を変え、地域の資料を用いた授業など、もっと歴史の学習が自らのアイデンティティとつながるような形でなされなければということを話されていた。
受験に従属した歴史教育の現状を打破するのは簡単ではない。だが、歴史資料の現物の持つ力というのは大きい。だから、少しでもそういう教育に時間が割かれることを望みたい。
また、関連して耳が痛かった話としては、井口和起京都府立総合資料館長が「歴史学者は公文書館を作れ作れと言うが、作った後に利用した人はどれだけいるのか?」ということや、高山館長の「館に所蔵されている公文書を使った研究成果が出て、世間の耳目を集めさせることがあれば、館のアピールになる」という話などである。
歴史研究者としてはただ謝るしかない。
以上、自分が講演を聞きながら考えたことをつらつらと書いてみました。
このあとの、飲み会にも参加したところ、このブログを読んでいる方が色々とおられて、「あのブログの人か!」というセリフを何度も耳にしました。これだけ多くの人から読んでもらえると思うと励みになります。
なかなか楽しかった。京都まで行ったかいがありました。
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