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「人間力<効率性」の息苦しさ [雑感]

この記事が100本目です。
元は宮内庁相手の裁判の報告をするために設置したものですが、初めてみると、その時その時の皇室時事ネタや、次第に興味を持っていった公文書管理問題などについての自分の意見を書く場所としての意味合いが強いブログになってしまいました。
自分にとっては、時事的な動きに対して自分がどう考えたかを記録しておく役割でもあったと思います。

こんな硬い文章しかないブログでも、総閲覧数は3万を越え、自分の知り合い以外の方も訪れていただいているようです。
本当はもっと相互リンクを他の方に申しこんだりといった「見てもらう努力」をしなければいけないとは思うのですが、書くので今のところは精一杯です。
また、くだけた調子で書くのは、実名を晒しているだけに、やや抵抗があります。ですので、このような堅苦しい感じは変えないで行きたいと思います。

読者の皆様には本当に感謝いたします。そしてこれからもよろしくお願いします。

さて、100本目なので何か大ネタでも書こうかと思ったのですが、そういった時間もないので普段通り行きたいと思います。

『歴史学研究』2008年3月号で、「指定管理者制度と歴史学」という小特集が組まれている。
指定管理者制度とは、2003年の地方自治法の改正によって、地方自治体が管理している公的施設等を民間業者に管理を委託できる制度のことである。
小泉行革の一つとして行われたものであり、非効率な公的施設を民間の力を入れることで効率的な経営を目指すという意図とされている。
その対象となった施設には、美術館や博物館、所によっては公文書館のようなものまでが指定の対象となっている。
しかし、そもそもそういった文化関係施設を、「効率化」という物差しで見ることが果たして良いのかということが様々なところで問題となっている。

歴研に掲載された論文の内容を紹介するのは大変なので、目次だけを挙げておきます。(青木書店から市販されています。720円)

・金子淳「博物館の「危機」と歴史展示-懐かし系/ロマン系展示から見る歴史系博物館の課題―」
・上村清雄「美術館と指定管理者制度-その問題点と意義づけと-」
・赤澤春彦「文化財行政・歴史系博物館と歴史学のこれから」
・石居人也「「指定管理者制度」を読む-博物館に「制度」は何をもたらすのか-」
・小川原宏幸「韓国地方自治体における博物館行政の現在」

これらを読んですぐに思ったことは、この問題は「人間力<効率性」という現在の日本社会の縮図なのではないかということだ。
指定管理者制度は、おおよそ5年単位での契約となるので、長期的な視野に立った政策は難しくなる。
そして、そもそも美術館や博物館といったものは、短期的に評価できないものである。

その短期的な視野に立った政策で問題となるのは、「人」を育てられるのかということである。
美術館や博物館を運営するのに最も重要なのは、「モノ」よりはむしろ「人」の方である。

例えば、美術品を集めたり、企画展を開いたりするのには、「人脈」(人的なつながり)が無いと何もできない。
ルーブル美術館展を開きたいとしても、お金を積めば貸してくれるというものではない。そこで判断されるのは、受け入れる側の体制だけではなく、交渉担当者の知識に裏打ちされた熱意などが必要不可欠である。
また、資料を博物館に提供するという場合も、ほとんどの場合は「この博物館員なら大丈夫」と信用して行うケースの方が多いのではないか。

これは、別に美術館だけではないだろう。一般の企業だって同じことである。
制度はあくまでも「うつわ」にすぎない。それに魂を入れるのは「人」である。
仕事のできる「人」がいなければ、いくら制度ができても何もまわらないのだ(情報公開制度が各省庁の取組の不十分さから、きちんと機能していないように)。

指定管理者制度は、その「人」を育てない。学芸員も多くは1年雇用の非常勤であり、継続されるとしても5年後に落札業者が変わればそこでクビになるかもしれない。
『歴研』の各論文で「人を育てる」ことへの危機感が述べられており、このことを裏付ける。

そして、この「人を育てない」という状況は、今の日本社会のありとあらゆる所でおきていないだろうか。
今の企業は人を育てるというよりも、今ある「人間力」を「使い潰す」ことで回っているのではないだろうか。

人を育てず、専門知識はヘッドハンティングで能力のある人を連れてこればよいというのは、一見効率が良さそうに見える。
でも、誰かが「育て」なければ能力のある人は育たない。
だから、その能力がない人は「自己責任」という名の下に、ワーキングプアのような状況に置かれているのではないのか。

今はまだ使い潰せるだけの能力を持った人が多くいるので何とか回っている。
でも、10年20年経ったとき、日本社会は基礎力を失った社会にならないだろうか。
ある製造業に勤めている友人は、現場の技術力はおそらく10年後には崩壊しているんじゃないかということを話していた。
もちろん、全ての企業がそうではないだろう。
しかし、今の日本社会は、「合理性や効率性」を過度に追求した結果、「人間を潰してはいないか」と思うのだ。(鬱病患者の急増もそういったことと関係があるように思う。)

指定管理者制度は、確かに目的もよくわからない博物館などに危機感を持たせ、住民のために何ができるのかを考えさせる契機にはなった。
しかし、もともと「文化」は金をかけなければ維持できない。数回前のブログで書いた「映像」もしかり。
「効率性」や「合理性」という物差しだけでは測れないものなのだ。
(もちろん、評価なしに金を出せと言っているわけではない。評価方法に別のやり方があるのではないかと思うのだ。そのあたりは『歴研』論文でいくつかの論者が述べているのでそちらを参照。)

「効率性」が絶対の社会というのは、息苦しい社会だと私は思うのだが、どうなんだろうか。
もちろん、私がその「効率性」からははみ出した学問の世界で生きている人間だからこそ強く思うことではあろうが。


歴史学研究 2008年 03月号 [雑誌]

歴史学研究 2008年 03月号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 青木書店
  • 発売日: 2008/02/23
  • メディア: 雑誌


おまけ。
執筆者5名のうち、3名が自分と一緒に歴研の委員をやっていた人達だ・・・。本当にごくろうさまです。
ちなみに、私が1月に総合部会で話したものも、4月号に載ります。原稿が足りないとはいえ、みんな自腹切ってるよなあ・・・
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工芸職人

決して怪しい者ではありません。
あの工芸職人です。
土曜でヒマだったので、知り合いの名前でyahoo検索していたら、
このブログにヒットしました。
元気そうで何よりです。
花見やることになったら東京に帰ります。

それにしても文章長いですね(笑)
by 工芸職人 (2008-03-15 15:43) 

h-sebata

おおっ。久しぶりじゃのう。子供は元気にしておるか。
文章長いのは職業病じゃな。許してくれい(苦笑)
by h-sebata (2008-03-15 23:10) 

ダグラスリーフ

“「効率性」が絶対の社会というのは、息苦しい社会”、同感です。
大門正克先生が執筆した『Jr.日本の歴史 7巻 国際社会と日本』を読んで、益々その思いが強くなりました。
by ダグラスリーフ (2011-06-16 07:06) 

ダグラスリーフ

出版社を書くのを忘れてしまいました。
『Jr.日本の歴史』の出版社は小学館です。

by ダグラスリーフ (2011-06-16 07:08) 

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