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工藤美代子『母宮貞明皇后とその時代―三笠宮両殿下が語る思い出』について [天皇関係雑感]

この本は、ノンフィクションライターの工藤美代子氏が、三笠宮崇仁親王、百合子妃のインタビューを元にして書かれた貞明皇后(大正天皇の皇后)伝である。
早速読んでみたので、感想などを書いてみたい。

これまで三笠宮が書いていたものをそれなりに読んでいる私としては、それほど新味のある話ではなかった。
ただ、三笠宮の歴史認識はやはりバランスが取れているなあと改めて思った。

例えば南京事件について工藤氏が聞いたことについての答え。(三笠宮は1943年に南京に赴任している)

「いや、目にしたというよりは耳にした話です。ある時、下級部隊長をしていた人から、若い兵隊を訓練する時には、生きた人間を銃剣で突き刺さないと肝は据わらないという話を聞きました。私は非常にカルチャーショックを受けまして、士官学校の教育は何だったのだろうと・・・。(中略)虐殺の人数が問題ではないのです。私が戦地でショックを受けたのは、何度も申すように新兵の教育や肝試しには生きた捕虜を使うのがいいとする話を実際に聞いたことだったのです。」(118~120頁)

ここで三笠宮が言っているのは、要するに「日本軍のあり方」そのものに問題があるということである。
虐殺の有無といった問題よりも、そもそもの軍のあり方を厳しく問うているのである。
このあたりは、私の師である吉田裕氏にも共通する問題意識であると思う。(『日本の軍隊』(岩波新書)などはその問題意識の表れだと思う。)

また、戦前の天皇制についても次のように語っている。

「昭和天皇は基本的には絶対主義的なドイツ式憲法に準拠しながら、実際にはイギリス式に変容せざるを得ないという大きな矛盾をかかえてしまわれたのではないでしょうか。
 戦争に対する天皇の責任がよく問題になりますが、その場合には、昭和天皇がこの矛盾にどう対処されたのかの研究が絶対に必要だと考えています。」
(168~9頁)

これは私の戦前天皇制の捉え方と合致するので、余計に評価をしてしまうのかもしれないのだが、戦前の統治システムの本質をおおよそは捉えているように思う。
三笠宮の歴史認識の特徴を見るときに、事件の一つを近視眼で見るのではなく、それがどのような歴史の流れの中に位置づくのかを、かなり自覚的に考えているということがうかがうことができるのだ。
やはり、この方は「歴史家」なのだなと、改めて感じ入った次第。私がそんなにえらそうに評せる立場ではもちろんないのだが、そういう感想を抱いた。

他に気になった点は、工藤氏の解説で「菊のカーテン」という言葉を初めて用いたのは三笠宮である(57頁)という記述は、あまり聞いたことのない情報だった。しかし、これは証拠があるんだろうか?
あとは、貞明皇后の御舟入り(納棺)の時に、「南無妙法蓮華経 南無阿弥陀仏」という紙を書いて、それをねじって棺に入れるという話(219~221頁)は興味深かった。
つまり、葬儀においても、まだ神仏混合が相当色濃く残っているということだ。現在でも続いているんだろうか?

あとは、この本の第1章の記述が気になった。
工藤氏の編集の仕方の問題なのかもしれないが、この章だけ、他の人が書いた三笠宮の情報を否定することに費やされているからである。
1つめは、河原敏明氏の「三笠宮双子説」。
2つめは、『岩波天皇・皇室辞典』の三笠宮に関する記述。
である。

1つめは、『昭和天皇の妹君―謎につつまれた悲劇の皇女』(文春文庫)でまだ読むことができる。
内容は、三笠宮は生まれたときに実は双子だったが、双子を縁起が悪いとする宮中の慣習から、妹の方をいなかったことにして里子に出したという話である。
河原氏は、皇室ジャーナリストとしては非常に有名な人であるが、宮内庁記者クラブに属する新聞記者出身のジャーナリスト達とは異なり、週刊誌出身であり、旧皇族や旧華族にネットワークを張り巡らして、そこから情報を入手していくタイプのため、その情報の独特さは、ほかのジャーナリストとは異質なものだと思う。
その河原氏が、1980年代からずっと主張し続けているのが、この「双子説」である。

今回、工藤氏は、三笠宮妃がその問題が起きたときに「澄宮御側日誌」(「澄宮」は三笠宮の幼名)を調べて、そのようなことはありえないことを調べたという話を聞き出している。
そして、解説の中で、当時宮内庁が、河原氏に対して、「内部調査の結果、その事実はない」と通知をしたということも紹介している。
しかし、河原氏は説を訂正する気はどうやらないようである。(今でも、文庫本として売られているので)

さて、ここで疑問に思うのは、そこまで気にするのであれば、証拠の資料を出せば済む話ではないかということだ。
つまり、宮内庁や三笠宮家で調べた結果、ありえないとわかったのであれば、その証拠となる資料を公にすればよいのだ。
それをしないから、河原氏は「宮内庁が隠しているだけ」と開き直るわけであり、この点については、宮内庁の対応のまずさがあるのではないかと思う。

2つめは、吉田先生と原武史氏が編集した『岩波天皇・皇室辞典』の三笠宮の項目に誤りがあるという点である。
この話は、私も他の項目の執筆者であったので、三笠宮家から抗議が来たという話は耳にしていた。
これは執筆者のミスであると言わざるを得ない。
しかし、工藤氏は、なぜかその解説をする時に「編者」の名前だけ(つまり吉田・原のみ)を出して批判をしている。
もちろん、編者に責任があることは明白なのだが、執筆者の名前をなぜ書かないのであろうか。
その執筆者は、保阪正康氏である。もちろん、署名入りでこの記事を書いている。
別に工藤氏になんらかの意図はないのだろうが、何となく腑に落ちなかった。
もし私が自分が書いたところに批判が来たのであれば、やはり編者というよりも、それを書いた自分に一番責任があるように思うからだ。
ちなみに、別に私の師匠をかばっているわけではないのは、上記したとおり。一応念のため。

最後に思うのは、せっかくここまでインタビューをしたのであれば、三笠宮に貞明皇后死後の話も聞いてもらいたいなあと思う。
三笠宮の戦後史における役割は、無視できないと私自身は思っているので。是非とも、続きを期待したい。

母宮貞明皇后とその時代―三笠宮両殿下が語る思い出

母宮貞明皇后とその時代―三笠宮両殿下が語る思い出

  • 作者: 工藤 美代子
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2007/07
  • メディア: 単行本


昭和天皇の妹君―謎につつまれた悲劇の皇女

昭和天皇の妹君―謎につつまれた悲劇の皇女

  • 作者: 河原 敏明
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2002/11
  • メディア: 文庫


岩波 天皇・皇室辞典

岩波 天皇・皇室辞典

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2005/03/11
  • メディア: 単行本


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