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城山三郎『大義の末』 [天皇関係雑感]

作家の城山三郎氏が、3月22日に亡くなられた。
城山氏と言えば、『男子の本懐』や『落日燃ゆ』などの歴史ものや、『官僚たちの夏』などの経済ものといったところが有名である。
しかし、私にとっては、城山氏=『大義の末』という印象が強い。
これは、もちろんこの『大義の末』のテーマの一つが、「自分にとって皇太子(現天皇)とは何か」であるということも関係している。

『大義の末』は1959年に出版された城山の自伝的な作品であり、その内容には自分が経験したことが多く含まれているように思われる。(全集の8巻に収録されている)
主人公の柿見は、戦時中、杉本五郎中佐著『大義』の精神に共鳴し、予科練に志願をする。
しかし、その訓練中に起きた様々なことは、その内容を揺るがすものであった。
そして、終戦をむかえたのだが、柿見は戦後社会に適合できず、その『大義』に続く世界を、子供である皇太子の中に見出す。
やがて故郷に帰った柿見が直面したものは、戦前に戦意高揚を煽った人物達が、そのことを忘れて権力の座についている姿だった。
その時、皇太子がその故郷にやってくることになった。その時、柿見が取った行動とは・・・
(これ以上はネタバレになるので書かない。内容については、是非読んで確認してほしい。)

城山氏は終戦直前に海軍に志願しており、戦後入学した一橋大学で、そのことを周りから強く批判をされていたという。
だからこそ、城山氏はなぜ自分が志願をして、国に、天皇に殉じようとしたのかを、常に考えていたのだと思う。

この『大義の末』のあとがきを全文引いておきたい。(文庫本には未収録)

 この作品の主題は、私にとって一番触れたくないもの、曖昧なままで過してしまいたいものでありながら、同時に、触れずには居られぬ最も切実な主題であった。

 「皇太子とは自分にとって何であるか」―この問いを除外しては、私自身の生の意味を問うことはできない。世代にこだわる訳ではないが、私の世代の多くの人々もこうした感じを抱かれると思う。

 柿見という主人公は、私の机上にこの数年間生きつづけ、この最終稿は一九五八年の春から半年かかって書き上げられた。完成直後、いわゆる皇太子妃ブームにぶつかり、私は一時、発表意欲を削がれた。ブームに便乗するようにも、ブームに水をかけるようにもとられたくなかった。いかなる意味においても、ブームに関係づけられて見られたくはなかった。私にとっては、もっと大事実な、そっとして置きたい主題なのだ。

 しかし、この作品は時代に限られながらも、なお時代を越えて生きて行くべき証言であることを思い、また、五月書房秋元氏の熱心なすすめもあって、発表することにした。

 一九五九年一月五日
 城山三郎


城山氏は、この「皇太子御成婚」の前後に、伊豆の山奥へ引きこもったという。(『婦人公論』1959年6月号)
城山氏にとって、皇太子には簡単には割り切れない複雑な思いがあり、それが単純に人々が「祝っている」状況に対する割り切れない思いがあったのではないかと思う。

私がこの本を読んだときに思ったのは、「私が例えば今、城山氏が目の前にいたときに、一体何を語ることができるのであろうか」ということであった。
そして、おそらく何も語りようがない自分に愕然とした。
これは今でも私の中では重要な課題となっている。
正直に言って、この『大義の末』自体も、どこまで自分が理解しているのかも心許ない。
ただ、このような思いを持つ人達に届く言葉を書けるようになりたいと、強く願う。

本の紹介としては、やや感情的な文を書いてしまったが、城山文学に興味がない人も、この本はおすすめである。アマゾンでは品切れみたいですが・・・


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