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ソクーロフ監督『太陽 The Sun』 [天皇関係雑感]

一昨日、話題の映画『太陽』を見た。
http://www.taiyo-movie.com/
朝一で映画館に行ったのだが、20分前に着いたのにほぼ満席。
相当に客を集めているようである。

この映画は、昭和天皇を一人の苦悩する人間として描いた作品である。
率直な感想として、「ソクーロフやるな」と思った。
神として崇められながら、実際には「皇后と皇太子以外は私を愛していない」と劇中のセリフで言わせるような孤独感を昭和天皇は持っていた可能性は十分にありえると思った。
「君主の孤独」という所に焦点を当て、徹底的に天皇のプライベートに着目して映画を撮るとは、なかなか日本人には考えつかないところではないのかなと思う。

確かに時代考証的にはつっこみどころはあるのだが、その点にあまり突っ込んでもしょうがない映画だと思う。
ただ、色々なエピソードをうまく再構成して使っているなあというところがあり、よく勉強していると思った。
例えば、戦後になってから、昭和天皇が机の上にある、ダーウィンとリンカーンとナポレオンの像のうち、ナポレオンだけを机の中に入れるシーンがある。
もちろんこれは事実ではない。
ただし、元ネタはある。

宮内庁(初めは宮内省だが)は、米軍占領期に、このナポレオンの存在を隠していた。
宮内庁は、ナポレオンがあると知れた場合は、天皇が帝国主義者であるとの「誤解」を生じさせると考えており、そこでこの像の存在を隠したのである。
新聞記者には、ダーウィン(科学の象徴)とリンカーン(民主主義の象徴)だけを書くように指示をしており、アサヒグラフに掲載された執務中の写真にはこの2つだけが天皇と一緒に写されている。

皇太子(今の天皇)の家庭教師であったエリザベス・グレイ・ヴァイニングは、侍従からナポレオンについては書かないでくれと頼まれたので、わざわざ天皇に書いても良いか許可を取りに行っている。
天皇はもちろん許可を出した。
ヴァイニングは、そのナポレオンの像が、天皇が1921年に欧州旅行に行ったときに自分で買ってきた思い出の品であることを知っていた。
だから、天皇は書くことに反対しないと踏んでいたのだ。
ただ、このヴァイニングのエピソードが1949年ごろの話なので、もうあまり誤解を生むことはないという判断もあったのかもしれない。

映画の中では、このシーンは、天皇が戦前の自分の「神」として使われていた立場からの変化を示すために使われていた。
戦前からの断絶という意味では、宮内庁が目指したものも同じようなことである。
このエピソードは、それほど有名なエピソードではないので、ソクーロフはよくぞこの史実を勉強し、さらにうまく再構成して使ったなあと思った。

最後に一言だけ述べておくと、イッセー尾形はすごい!
昭和天皇のぎこちなさというものを、実にうまく表現していた。
この映画、今は銀座でしかやっていないようだが、のちに全国の映画館で公開されるようである。
是非ともご覧あれ。一見の価値はあると思います。


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