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訴訟資料追加公開+卜部日記について [訴訟関係]

HPにて、宮内庁側の準備書面(3)と私の準備書面(2)をupしました。
多少はわかりやすいように、解説を付けてあります。

せっかく書いたので、昨日の朝日新聞の『卜部亮吾侍従日記』の発表について少しだけコメントを。
富田朝彦元宮内庁長官の手記に続き、昭和天皇晩年の侍従の日記も出てくるようになったのかと思うと、戦後天皇制を研究している私としては非常にありがたいことだと思う。

卜部亮吾氏は、1969年4月1日付けで侍従に就任、1991年3月31日に侍従を退任し、皇太后宮職御用掛に異動、そのまま香淳皇后の死去まで側にいた人物である。
もともとは人事院の職員であり、朝日の記事によると、総裁だった佐藤達夫(元法制局長官、日本国憲法制定に大きく関与した)によって送り込まれたという。
その前年に、同じ人事院から安楽定信氏(1968年4月1日に侍従、1985年10月1日に侍従次長就任、89年1月11日に皇太后宮職創設と同時に皇太后宮職大夫兼任、91年3月31日に侍従次長のみ退任、93年6月30日皇太后宮職大夫退任)が侍従に就任しているので、セットで考えられていたのかもしれない。
ちなみに、この安楽氏も昭和天皇の晩年長く侍従を務めていた人物なので、何か出てくると面白いのだが。

この資料がどのくらい面白いのかは、正直現物を見てみないと何とも言えない。
だが、朝日は出版計画が全てできあがるまで、この資料を隠していたということが今回の経緯からはよくわかる。
日経の富田手記の記事が出たときに一緒に出した方がインパクトはあったかもしれないが、それよりもきちんと出版できるところまで来てから情報を出すというのは、朝日の計画性の高さを感じる。
日経の富田手記は、インパクトはあったが、実際に出版計画はどうなっているのだろうか。遺族がびびっていたりしたら、難航する可能性もあるだろう。
今回の朝日のやり方は、たとえ今から批判が出たとしても、もう止められないところにあるというところが、うまいなあという感じがする。

とりあえず、現物に期待したいと思う。


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