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宮内庁情報公開訴訟第6回公判 [訴訟関係]

本日、第6回目の公判が東京地裁でありました。
宮内庁側から、前回提出のあった「どのような業務を行っていて遅れたのか」という説明の、前の部分の方が今回提出されました。
これで、宮内庁側は、ほとんど説明が完了したことになると思われます。
内容はまだ精査していませんが、宮内庁側は、この裁判に関わっている4件の遅れを説明するのに、情報公開法施行以後、私に対してどれほどの公開を行い、そのために苦労してきたかを延々と述べてきています。

次はこちら側がこれに反論しなければなりません。
弁護士の近藤先生からは、こちらも私の陳述書を作成して、私と宮内庁の情報公開との関係について、宮内庁側の言い分に落ち度のある点を証言し、かつこちらに有利な状況を裁判所に訴えた方がよいだろうと言われました。
ある意味、今まで言いたかったことを思う存分(有利なことだけですけど)述べることができるということになるので、考えていることをしっかり書きたいと思います(陳述書なので、法廷で話すわけではなく、文書で提出するのです)。

次回は9月28日(金)11:00~
裁判長が結審を促してきているので、おそらくもうそろそろ終わりが近づいていると思います。
近藤先生は、「年内に結審かねえ」と話しておられました。
もう一踏ん張りです。

訴訟資料のアップロードですが、宮内庁の書面が膨大な量なので困っております。
今までは1枚1枚スキャンして、OCRにかけて文字に直していたのですが、さすがにScanSnapなどといった紙送りできるスキャナーを買わないと厳しい感じがします。買うかなあ・・・


第2文書終了 [訴訟関係]

宮内庁から昭和26年の東宮職日誌の10月から12月の分の開示通知が来た。
6月の裁判直前に来た9月までの分を含め、これで係争中の2番目の文書が全て開示となった。

現在の状況を確認すると
係争中の文書
1.昭和25年東宮職日誌→全て開示決定
2.昭和26年東宮職日誌→全て開示決定
3.昭和27年資料関係録(立太子礼関係)→ほぼ半分ぐらい
4.昭和20年侍従職日誌→まだ開示されていない
もちろん、全てが部分開示(墨塗り部分有り)。

裁判を起こしたのが、昨年7月14日だったので、ほぼ1年間でここまで出てきたのは上出来なのではないだろうか。
裁判が終わるのと、全部が出てくるのと、どっちが早いかは、まだわからないというところか。
いずれにしろ、全て出てきても、損害賠償請求も行っているので、裁判は継続するのだが。
年内にケリが付くかは、今のところ微妙な情勢。まあ焦らずにやります。


宮内庁情報公開訴訟第5回公判 [訴訟関係]

長らくたいした更新ができませんでしたが、本日から復帰します。

昨日、東京地裁で第5回の公判が行われました。
今回、宮内庁から出された準備書面は3通あり、当方からも「求釈明書」を1通提出しました。
向こうからの準備書面の内容は、1通目はこちらの主張に対する反論、2通目は現在までの開示状況、3通目は現文書管理係長(情報公開担当)が就任(2005年4月)して以来の自分の職務内容についての詳細な報告書でした。
さらに、それ以前の文書管理係長が何をしてきたのかについての説明を宮内庁側がすることになったので、次回も宮内庁側が書面を用意するということになりました。
次回の公判は、7月20日(金)11:30からです。

今回の文書を見ていて思うのは、やはり問題は「個人」ではなく「組織」なのだと。
個人としての文書管理係長は、現在の人に関しては、自分の職務内では頑張っているのだろう。それは非常に良くわかった。
それだけの負担を強いている予算や人員の欠如、宮内庁内の調整の困難さ、判断基準が曖昧になりやすい情報公開法の法文そのもの、などなど、個人の力ではどうしようもない大きな問題が、私というたまたま古い文書を請求した人の所で噴出しているということなのだろう。

だからといって、それで納得するわけにはいかない。
このシステムを変えるには、法廷で勝たないとどうしようもないのだ。

ただ今回の3通目の書類を読んでいて思った。「なぜこれだけの説明が、もっと前にできなかったのか」と。
これまでは、証拠書類についてはアップロードしていなかったが、今回の文書管理係長の陳述書は、書類を挙げるときに、一緒にアップする予定。

今回の書類を見て、ちょっと不安があるのが、裁判長はちゃんと「組織の問題」であることを見抜いてくれるんだろうかという点だ。
もし個人の努力という所のみで、情報公開審査の問題を捉えられていたとしたら、大いに同情を引くような文書であることは間違いないと思う。

次回、現在の文書管理係長以前の状況を、宮内庁がどう説明してくるのかはちょっと楽しみ。
結局はここが争点の中心になりつつあるので。


さらに開示 [訴訟関係]

昨日、昭和26年の東宮職日誌の4月~6月が開示決定された。
3月までが出てきてからわずか2週間。ここに来て加速しつつある。
この調子で出てきてくれるとありがたいのだが。


昭和26年東宮職日誌の開示が始まる [訴訟関係]

昨日、宮内庁から昭和26年の東宮職日誌の3月までの分の開示決定が届いた。
25年のものが全部終わったので、次は26年ということなのだろう。

本当なら日経が5月1,2日で公開した富田日記について色々と調べてコメントを書いておきたいところなのだが、研究会の大会準備のために全くその余裕がない。
6月3日を過ぎたら多少は余裕が出来るので、その後に色々と書いてみたいと思う。


訴訟資料追加公開+卜部日記について [訴訟関係]

HPにて、宮内庁側の準備書面(3)と私の準備書面(2)をupしました。
多少はわかりやすいように、解説を付けてあります。

せっかく書いたので、昨日の朝日新聞の『卜部亮吾侍従日記』の発表について少しだけコメントを。
富田朝彦元宮内庁長官の手記に続き、昭和天皇晩年の侍従の日記も出てくるようになったのかと思うと、戦後天皇制を研究している私としては非常にありがたいことだと思う。

卜部亮吾氏は、1969年4月1日付けで侍従に就任、1991年3月31日に侍従を退任し、皇太后宮職御用掛に異動、そのまま香淳皇后の死去まで側にいた人物である。
もともとは人事院の職員であり、朝日の記事によると、総裁だった佐藤達夫(元法制局長官、日本国憲法制定に大きく関与した)によって送り込まれたという。
その前年に、同じ人事院から安楽定信氏(1968年4月1日に侍従、1985年10月1日に侍従次長就任、89年1月11日に皇太后宮職創設と同時に皇太后宮職大夫兼任、91年3月31日に侍従次長のみ退任、93年6月30日皇太后宮職大夫退任)が侍従に就任しているので、セットで考えられていたのかもしれない。
ちなみに、この安楽氏も昭和天皇の晩年長く侍従を務めていた人物なので、何か出てくると面白いのだが。

この資料がどのくらい面白いのかは、正直現物を見てみないと何とも言えない。
だが、朝日は出版計画が全てできあがるまで、この資料を隠していたということが今回の経緯からはよくわかる。
日経の富田手記の記事が出たときに一緒に出した方がインパクトはあったかもしれないが、それよりもきちんと出版できるところまで来てから情報を出すというのは、朝日の計画性の高さを感じる。
日経の富田手記は、インパクトはあったが、実際に出版計画はどうなっているのだろうか。遺族がびびっていたりしたら、難航する可能性もあるだろう。
今回の朝日のやり方は、たとえ今から批判が出たとしても、もう止められないところにあるというところが、うまいなあという感じがする。

とりあえず、現物に期待したいと思う。


宮内庁情報公開訴訟第4回公判 [訴訟関係]

昨日第4回の公判があった。
人事異動の関係で裁判長が替わった。
どうやらこういうことはよくあることらしい。
近藤先生は別の裁判で顔を知っているらしく、非常にまじめな人だということだそうだ。

まだあまり文書を読み込んでいない感じだったが、宮内庁側に対して、実際の業務がどのようなものであり、なぜこれだけ遅れるのかをきちんと説明するようにとの要求をしていた。
ちなみに、その相手側の書いてきたもの次第で、こちら側が証人要求(つまり宮内庁の職員を呼ぶ)を行って、反対尋問をすることも可能らしい。
これまで淡々と裁判が終わってきたが、ひょっとすると次々回には怒濤の展開が待っているかもしれない。

こちらとしても、実態のよくわからない宮内庁の業務について垣間見えそうなので、何を書いてこようとも非常に興味深い。
今回の裁判をやっていてやって良かったと思うことの一つに、宮内庁側の組織の論理がわかるようになってきたということがある。
何を反論してこようとも、こちらにとってはなかなか面白い。

次回の公判は6月8日(金)11:30~。今回提出した書類等は、近日中にHPにアップします。


大宮法科大学院での打合せ [訴訟関係]

3日(火)に大宮法科大学院の情報公開クリニックへ行ってきた。
学生さん(といっても私より皆さん年上)が書いてきた反論文の検討のためである。

今回のクリニックを見ていて思うのは、近藤先生が事前に色々と授業で教えているらしく、この訴訟に対して興味を持ってくれている方が多いなあということである。
近藤先生自身が、クリニックの運営に慣れてきたということもあるのかもしれないが、前回の時よりも、学生さんが色々な意見を持ち寄っているという感が強かった。
こちらとしては、実に心強いことだなあと感じている。

話は変わるが、3月29日に年度末駆け込み公開がなされ、裁判の対象文書であった昭和25年の東宮職日誌が全て出てきた。
この訴訟は「不作為の違法確認」を求める訴訟なので、開示されてしまうと、その部分の「不作為」がなくなったということになるため、この文書については取り下げることになる。
ただ、損害賠償請求は残っているので、すべて文書が出てきても訴訟自体は終わらないですが。

次回の公判は4月20日。近藤先生の話だと「あと1年かなあ」という感じ。本当に裁判は長い・・・


大宮法科大学院その2 [訴訟関係]

土曜日に、大宮法科大学院の情報公開クリニックに参加してきた。
今回から2007年度の前期になるようなので、前回とメンバーは総入れ替えになっていた。
そのため、少し裁判の概略なども述べながら、私の考えた反論についての発表を行った。

内容については企業秘密というやつなので、感想だけ述べておくと、前回のメンバーよりも話の食いつきがよいなあという印象を持った。
もちろん、前回のみなさんも熱心であったのだが、今回は質問してくる人も非常に多かったということもあったからだろうか、そのように思った。
わざわざ宮内庁側に立って質問してくる人もいて、なかなか楽しかった。

次回の4月3日までに、具体的な反論文を執筆して持ち寄るということになっているので、楽しみに待ちたいと思う。


公開は続く [訴訟関係]

3月1日付で、また資料の一部が公開されました。3のうちの一部分。
また、2月に、それまでに公開されていた3の一部分について、情報公開審査会に不服申立を行いました。
余り裁判中に不服申立をしたくなかったのだが、さすがにどうしても我慢できない部分があったので、1ヵ所に絞って不服を申し立てました。
不服申し立てはこれで4回目。これによって、他の資料の公開の速度がどのようになるのかを注目したいと思います(裁判中の宮内庁側の論理だと、遅くなるはず)。

本日にて、総閲覧数が開始より累計で1万を突破しました。
総閲覧数=アクセス者数ではないようなのですが、いずれにしろ大変な数の方が延べ人数ではいらしていただいていることになります。
本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。

書き始めたついでに、今日入ってきたニュースについてコメントを。

本日、美智子皇后が腸壁から出血して静養されるというニュースが入ってきた。
しかも、「精神的な疲れ」と記事で明言されているので、侍医の公式発表ということなのだろう。
胃炎なども患っているということだから、明らかにストレスが原因なのだろう。

これでどうなるだろうか。考えられる流れとしては、
1.皇太子夫妻、高円宮妃などに対するバッシングがさらに強くなる。
2.皇后にそこまで思い詰めさせたのは、マスコミによる皇室バッシング記事だとして、逆にマスコミが自粛に追いやられる。
のどちらかだが、これまで美智子皇后が倒れてきたときには、おおよそ2の方向に進んでいると思うので、その方向に行く方が強いと思われる。
しかし、今回は皇后バッシングではないところに原因があるので、過去のデータは役に立たないかもしれない。今後のマスコミ報道の流れに注目してみたい。


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