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神戸大学附属図書館大学文書史料室&震災文庫 [2013年公文書管理問題]

2013年3月7日から8日にかけて、所属大学のプロジェクトの一環で、大阪大学アーカイブズと神戸大学附属図書館大学文書史料室を訪問してきました。
せっかくなので、簡単な見学記を。

なお、ここでの記述は、私が見聞きしたことを私の解釈で書いているものです。よってその施設の公式見解では無いことはあらかじめお断りしておきます。

今回は神戸大学を。前回の大阪大学アーカイブズはこちら
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■図書館の一部局として

神戸大学の大学アーカイブズである大学文書史料室(以下「史料室」と略す)は、附属図書館に属している。
場所は百年記念館の一角にある。
綺麗な建物なのだが、後述するように、アーカイブズの書庫としては使いづらい形である。
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史料室の向かいに、歌人の山口誓子の記念文庫があり、書庫や施設を半々にして使っている。

なお、本来、文書館と図書館は異なる機能を持っているため「分離しなければダメ」と言われることが多い。
そのため、国立公文書館等の指定を受けた施設の中では、神戸大学が唯一図書館に属する施設となっている
もちろん、図書館とアーカイブズの機能はきちんと分けられている。

ただ、話を聞いていると、むしろ「図書館の一部局のメリット」を享受している側面が強い。
例えば、文書の目録検索システムは図書館のデジタルアーカイブズ事業で使っているものを無料で転用している。項目を変えることができるシステムだったので、アーカイブ資料にも使うことができたそうだ。
さらに、史料室立ち上げの際には、図書館のシステム管理者を再雇用で雇ってそのシステムの立ち上げに関わってもらったそうだ。

予算折衝も図書館が財務と向き合ってくれるので、史料室自体が矢面に立たずに済むという。
また、図書館長を議長とする「大学文書史料室運営会議」が設置されており(教員も含む)、そこが各部局で「移管・廃棄」を申請してきた文書を精査し、原課の判断をひっくりかえすこともかなりあるらしい。
よって、むしろ「図書館に守られている」という状況のようだ。

私から「デメリットは何ですか?」とうかがったところ、担当者は「うーん」としばらく黙ってしまって、「図書館の一組織として見られがちで、全学的な組織に見られないことがあるということですかね」という答えだった。
あまりデメリットが思いつかないという感じだそうだ。

これは視察に行ってびっくりした点。
「文書館は図書館と分けなければ」というのが頭に入っていたので、中できちんと機能を分けていれば、図書館に所属していることがむしろ学内的には立場を強化することもある、というのは新鮮な発想だった。

■概要

順番は逆になったが概要を。

史料室設立は2010年4月。
きっかけは百年史の編纂が2010年3月に終了し、その資料をどうするかという所から始まった。
また、その際に公文書管理法が制定されていたということもあり、この対応も一緒に考えた結果、史料館の附属図書館での設置が決まり、さらに国立公文書館等の指定を目指すという合意も得たという。

私は公文書管理法についてブログでずっと書き続けているが、法施行の初めの段階で国立公文書館等に神戸大学が手を挙げたことにびっくりした覚えがある。
他の京大や広島大などは、元々大学アーカイブズを整備していた所であった。神戸大はそういう話を全く聞いていなかった。
今回話をうかがって、たまたま百年史編纂終了と公文書管理法が重なって、それが結びついて国立公文書館等の指定という話になったということを知って合点がいった。

スペースは243平方メートル(書庫は102平方メートル)。
展示スペースは常設されている(誓子文庫と半々)。
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書庫については、百年記念館がデザイン重視で作られていることもあり、円形になっている。
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なので、移動書架なども入れにくく、スペースはすでに限界まで来ている。
担当者の話だと、何とか他の場所にスペースが取れれば・・・ということだったが、かなり深刻な問題となっているようである。

書庫には消火設備としてイナージェンガス(不活性ガス)が整備されている。
たまたま別の場所に導入される際に、余った予算で設置してもらったとのこと。

害虫駆除施設の問題については、「箒で払って、一つ一つエタノール消毒します!」でOKだったらしい。
これにはびっくりしたが、冷凍庫すら必要なくて大丈夫だったとのこと。
きちんと防虫やカビに対する対策が取れる状態にあることを説明することが重要だということだ。

国立公文書館等への指定は史料室として受けており、大学史の他の資料も特定歴史公文書等として一括して扱っている。
分けようと思わなかったのかという質問に対しては、分けた場合、目録も二つないといけないなど、かえって面倒なことも多いと考えたということだった。
また、排架が受入1年以内というのも、「原則」だから「○年計画で処理します」と目標を設定してやっていけば大丈夫だということだった。

職員数は、室長(兼任教員=図書館副館長)1、専任職員(任期付)1、事務補佐員(非常勤)2
去年まで専任職員の方は専任講師だったが、任期が切れた際に教員ポストを取られてしまったらしい。
ここは図書館の一部局であることのデメリットが働いた可能性はあるかもと私には見えた。

感想としては、予算規模も小さく、職員数も少ないが、足りないところは工夫するということが徹底されているという印象を受けた。
例えば、マイクロフィルムの閲覧機器は、隣の誓子文庫のものを使っている。こういうことでも、内閣府はOKだったらしい。
また、この規模でも国立公文書館等として機能しているというのは、他大学にとっては参考になる事例だと思われる。

ただ、ここも阪大同様、不安定な雇用の元で職員の方が頑張っておられる。
これはどこのアーカイブズでも見られるところだが、特にこの二つのアーカイブズは、担当の教職員の方の力がかなり大きいなという印象をもった。

少人数で運営せざるをえない現在のアーカイブズの状況から考えれば、得がたい人材を確保できている。
ただ、そういった人材を機械的に雇い止めにするようなことになってしまった場合、果たしてその後もきちんと運営がなされるのか。そこは心許ない部分がある。

大学史を整備することは、決して懐古趣味ということではなく、現在の大学のアイデンティティを見つめ直す際に必要不可欠なはず。
そのためにアーカイブズは重要な意味を持つはずだ。

是非ともスタッフを大事にしてほしいと願う次第だ。


(おまけ)
■附属図書館震災文庫
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神戸大学に行った際に、史料室と合わせて、震災文庫も見学させていただいた。
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/eqb/

この震災文庫は、1995年の阪神・淡路大震災の直後に神戸大学附属図書館(社会科学系図書館)に作られたものである。
震災から3ヵ月後に活動を開始し、避難所で掲示・配布されていたビラや看板、新聞の号外などのたぐいも含めた大量の資料を集めた文庫である。

詳しい経緯は、担当の図書館員だった稲葉洋子さんが書かれた『阪神・淡路大震災と図書館活動 : 神戸大学「震災文庫」の挑戦』(人と情報を結ぶWEプロデュース、2005年)を参照(震災文庫のウェブサイトで無料公開されている)。

ビラのような一枚資料はプラスティックのケースに入れられてキャビネットに入れられている。新聞は縮刷版ではなく、地方版や号外、特集号などもきちんと保管されている。
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短時間の滞在であったが、収集する大変さがしのばれる資料であった。

東日本大震災でも各県立図書館などが同様の試みは行っているようだ。
また国立国会図書館で東日本大震災アーカイブが公開された。
私は事情には詳しくないので良くはわからないが、震災文庫のように図書や雑誌以外の資料も収集できているといいのだがと思う。

なお、震災資料の利用については、以下の本が興味深い論点を示しているので参考にされたい。


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