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大阪の文書館をめぐる問題 [2010年公文書管理問題]

先日の全史料協で、大阪歴史科学協議会の方から機関誌の『歴史科学』(第202号、2010年10月)を頂いた。
せっかくなのでここで紹介しておきたい。

アーカイブズ関係の記事の目次は以下の通り。

<シンポジウム 地域資料の保存と活用を考える 第3回「大阪の文書館をめぐる現状と地域資料保存・活用の問題」>
 ①地域資料シンポ実行委員会 大阪における文書館の現状と地域資料保存・活用の課題をめぐって
 ②小松芳郎(松本市文書館)  自治体文書館の責務―公文書と地域資料を視野に―
 ③高木秀彰(神奈川県寒川文書館)  地方公文書館と行政改革
 ④谷合佳代子(大阪産業労働資料館(エル・ライブラリー)) 働く人々の歴史を未来に伝えるエル・ライブラリー ―「橋本改革」がもたらした地域資料保存の危機と打開―
 ⑤室山京子  地域資料シンポ参加記・記録
<科学運動通信>
 ⑥佐賀朝   大阪府市公文書館問題の経過と課題


この号は、2009年9月に行われたシンポジウムの記録である。⑥はその後の状況を解説したものであり、シンポジウムの報告を補完している。
共通の問題意識としては、「事業仕分け」にさらされる文書館(図書館)の意義をどのように市民にアピールしていくのかという所にあるように思う。

自治体財政が苦しくなる中で、「構想日本」によるムダな予算の削減のための「事業仕分け」が各地で行われるようになった。国でもそれが採用されたのは周知の事実である。
そして、大阪府では、橋下知事の就任以降、急速に「民間活力」の名の下に文化関係予算が削られていった。
本来は文化施設とは異なるはずの公文書館も、その対象となり、予算をカットされたり人員を削減されたりしている。

また、大阪市でも事業仕分けが行われ、公文書館の正職員が5人からゼロになった。
公文書館は、そもそも「民主主義のインフラ」であり、行政の説明責任を果たすための施設である。
そのため、利用数が少ないから意味がないといったような施設ではないのだが、そのような議論がまかり通ってしまっている。

大阪府公文書館や大阪市公文書館は、1980年代に開館された公文書館であり、公文書館の中では早くに設置された館である。
しかし、大阪府、大阪市では、公文書館の職員が事業仕分けの論理に飲み込まれ、自分たちの存在意義について説明できず、むしろコスト削減に協力していった。
その意味では、職員の質も相当に厳しい状況であったことが見て取れる。
詳しくは①⑥や、この問題に関する情報を集積したwikiを見ていただければと思うが、内部の正職員に戦う人がほとんどいないときの惨状がここには現れている。

また、③はその事業仕分けを受けた寒川文書館の報告であるが、ここでもやはり事業仕分けの「コストカット」の論理に、文書館が切り捨てられていることが示されている。

これらを見ていると、公文書管理法は地方公文書館には決して追い風にはなっていないということに気づく。
ただ、逆風が吹き荒れたときに、それを「押しとどめる」論理としては機能しているようには思うが。
そして、追い風になっていない理由は、ひとえに「追い風になるための市民からの支持が無い」ということに尽きると思う。

私が、一連の公文書管理問題に関わる中で思ったことの一つに、「情報公開に積極的な方すらも、公文書館とはどのような施設なのかわかっていないことが多い」ということがある。
つまり、これまで公文書館は、自分たちの存在意義について、広報することがまともにできていなかったのではないか。
また、行っていたとしても、「古文書講座」を館で開くだけで、むしろ「文化施設」としてしか認識されない方向に「広報」していたのではないか。

よって、これからは、どのように自分たちの存在意義をわかってもらうかの「広報戦略」が必要になる。
しかし、一方で、「広報を積極的に行う」ということは、「広報をしてどれだけ人が来たのか」ということとセットに評価されることがあるということだ。
なので、広報のやり方に工夫が必要だし、また公文書館の意義は来館者数の問題ではないということとわかってもらう必要があるだろう。

私が個人的に思うことは、公文書館は、広報というよりは「教育」に力を入れた方が良いのではないかということだ。
つまり、学校で公文書館を使ってもらうための授業を提供するということが、一番必要なことではないのだろうか。
例えば、総合学習の時間で使ってもらえるように、授業案をパッケージで提供するとかはどうなんだろう。
歴史教育者協議会(歴教協)に協力をあおぎ、古い公文書を使った授業案を提示してもらい、積極的に各小中学校に売り込みに行くのはどうなんだろうか。
また、社会科見学に来てもらうための「見学パッケージツアー」みたいなものがあっても良いと思う。

「古い文書」というのは、そのもの自体に「力」がある。
私は職業柄、明治期の文書とかの現物を見たりすることがあるが、内容如何を問わず、現物の持つ「力」は強い。見るだけでテンションが上がる。
これは別に歴史研究者だからということだけでもないだろう。歴史博物館で坂本龍馬の書簡を見て興奮する人と、実はそれほど変わりがあるわけではない。

子供達に文書を見せても内容はわからないだろう。
でも、例えば明治期の文書を触らせてあげる(触り方の指導も兼ねて)ことは、おそらく相当に強い印象を残すと思う。
まずはモノを見せること、そしてそのモノが持つ地域の歴史を認識させること。これが公文書館の意義を知ってもらうためには一番の近道ではないだろうか。
そこから、現在の文書の保管の重要性(100年経てば、その古い文書と同じ意味を持つということ)も説明ができるだろう。

「文書が劣化するから持ち出したり触られたりするのは・・・」というのは、私は本末転倒だと思う。
昔から文書は「触られて」きたのだ。使ってもらわなければ、残しておく意味も無いと思う。
もちろん、慎重に扱うためのレクチャーは必要だけど、「金庫に入れてしまっておく」ことだけではダメなのだと思う。

そして子供に公文書館の意義を教えれば、それは親に伝わる。
そこからさらに理解を広げていけばよい。

この事業を行うには、歴史研究者などの協力が必要になっていくものと思う。
職員だけで抱え込まずに、外部に「助け」を求めていくことが必要だと思う。

なお、個人的に思うが、アーカイブズ関係の人は外に助けを求めるのが下手な方が多いように思う。
ぎりぎりダメになってから泣かれても、そこから挽回するのは大変。もっと初期段階で「事業仕分けにあいそう」と思ったら、その瞬間に地域の研究者や全史料協などに連絡して支援を仰ぐことをもっとやらないといけない。また、その時にすぐに助けを求められるような関係を地域に作っておかないといけない。
外の人は、中で起きていることをすぐには察知できないのだから。忙しくても、外の人に愚痴でもいいからこぼしておくことは必要なことだと思う。

その意味で④のエル・ライブラリーの話は実に興味深かった。
エル・ライブラリーは労働運動史関係の資料を多数所蔵する図書館(文書館でもある)である。財団法人大阪社会運動協会が運営している。
大阪府が約60年前に設立した労働図書館(大阪府労働情報総合プラザ)の運営を委託されていた。

ここは、関西地域の労働関係の資料の所蔵量では、他に類を見ない機関である。
東京にある法政大学大原社会問題研究所と並ぶ、貴重な労働関係資料を保存している。

そのエル・ライブラリーは、橋下行革のあおりを食ってそれまで出ていた府からの補助金を打ち切られ、並行して市からの補助金もゼロとなり、年間予算3200万円のうち、2200万円を失った。

しかし、そこからの動きが早かった。
すぐにホームページブログを使って、エル・ライブラリーの立ち上げを宣言し、情報を積極的に発信していくことで多くのサポート会員を獲得し、苦しいながらもなんとか所蔵資料の多くを残した状態で再度立ち上がることができた。
また、今でもtwitterでの広報活動に熱心である。

ただ、この生き残りのために、職員の方は大幅な賃金カット(月給が3分の1に減った人もいる)を受忍し、土日出勤などが常態化しているような状況だという。
職員の「無理」で何とか成り立っているのが現状であろう。
④の中で、館長の谷合氏が「このような職員の犠牲によって維持している図書館の実情を見ず、安易に「民間でもできるじゃないか」という発想することは戒めるべき」(47頁)と叫んでいるのは、本当に切実なものだと思う。

しかし、エル・ライブラリーに見習うべきことは、「すぐに助けを求め、自分たちの窮状をきちんと説明した」ことにあるように思う。
そして、そのときに助けに応じてくれるだけの関係を周囲に築けていたということなのだろう。
結局、文書館などが生き残るためには、こういった普段からの「関係」の構築や、「発信力」を鍛えることは必要不可欠であるように思う。

ただ、生き残るためには「お金」が必要である。
そして、今ではどこもかしこも「お金がない」という言葉のオンパレードである。これまでこういった施設を支援をしてきた行政機関がもっとも厳しい状況に追い込まれている。

この状況を打開する一つの案としては、寄付税制の改革という手があるだろう。
寄付控除額の拡大、寄付先となる機関を広げることで、さまざまな機関への寄付を促す仕組みである。

民主党が現在、この点についての改革を行おうとしている。これを後押しする必要があるように思う。
詳しくはNPO法人のシーズが解説をしているのでそちらを参照

④で「日本には寄付文化というものが存在しない」と書かれているが、問題は「文化」ではなく「制度」の方である。
自分たちの税金の使われる先を選べるようなレベルにまで寄付税制が制度化されれば、状況は変わると思う。ふるさと納税制度(事実上寄付控除に近い)の2009年度の寄附金実績が72億円もあったように、制度があれば動く可能性は高いのだ。

民主党には色々と幻滅している人もいるだろうが、内部には様々な議員がいる。
情報公開法改正に取り組もうとする人、寄付税制の拡大を図ろうとする人など、社会の仕組みを変えようとする人たちが、少ないながらもいる。
そういう議員達を支援していくことが必要なのだと思う。

なお、この雑誌は、大阪歴科協のブログに連絡先が書いてありますので、そこから入手することが可能だとのことです。
なんだか、雑誌の感想というよりも、それを元に考えたことを放言したような形になってしまって申し訳ないです。

この雑誌の記事の一つ一つが、現在の地方の公文書館や図書館の切実な状況を表していると思います。
情報共有のためにもご一読をおすすめします。
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コメント 2

谷合@エル・ライブラリー

エル・ライブラリーを高く評価していただき、ありがとうございます。

寄付は文化の問題ではなく制度の問題とおっしゃるのはその通りと思います。と同時に制度に後押しされないと動かないという民度の低さもいかがなものかと。

公文書館などの動きが鈍いのは、公務職場だからと思います。なかなか思うように動けない不自由さがあって、職員の方も気の毒です。その点、わたしたちのフットワークが軽いのは民間団体だからです。公務員は雇用が保障されているけれど自由がない。エル・ライブラリーは金がないけど自由がある。どちらも困った問題ですが、不自由な職場でどこまで創意工夫を重ねられるかは、内部の自力自闘の力です。金のない職場でどこまでがんばれるかも同じ。

そのとき力を発揮するのが、おっしゃるようにネットワークです。そして、「助けを求める」だけではなく、「自分たちに何ができるか」をきちんと説明すること。自助努力をしない人をだれも助けてはくれません。さらに、助けてもらったら今度は自分が助ける番です。

レヴィストロースがいう「無償の贈与」、これが今の社会に必要な思想だと思います。

いずれにしても、自分たちの仕事の有用性を常に発信し続けることは大事ですね。

by 谷合@エル・ライブラリー (2010-12-13 15:23) 

瀬畑 源(せばた はじめ)

> 谷合@エル・ライブラリー さま

コメントありがとうございました。

民度の低さは確かにそう言えるところもあります。情報公開法制定への取り組みが市民から上がってくるのも、そんなに早いとも言えないですし。
ですが、ゆっくりではあるけれども、良くなってきていると思うのです。

あまり「日本人論」に集約したくはないですが、決めるまでは遅い、でも決まれば実行するというところがあると思うので、まず制度ができることを期待してます。

公務職場の問題は、全史料協の感想でも書きましたが、似たようなことを感じてます。
ただ、そういう人でも助けは求められるはずだと思うんですね。別に表立ってだけではなく、私的なネットワークもあるはずなのですから。
なので、エル・ライブラリーの取り組みに対し、もっと他の人達が学ぶところはあるのではと思った次第です。

エル・ライブラリーについては、これからも関心を持っていきたいと思います。どうぞよろしく御願いします。
by 瀬畑 源(せばた はじめ) (2010-12-13 15:43) 

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