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公文書管理委員会第2回を聞きに行く [公文書管理委員会]

8月31日に公文書管理委員会の第2回の会合を見に行ってきた。
傍聴人は20人強。報道関係者はおなじみの日経の松岡資明氏以外に1名のみ。
1回目にはテレビカメラもいたらしいが、今回はゼロ。やはり注目度は低いのかなあという感じだ。

今回検討されたのは、前回提示された公文書管理法「施行令」案と各行政機関が作る文書管理規則の雛形である「ガイドライン」案の修正について。

施行令の修正案
http://www8.cao.go.jp/koubuniinkai/iinkaisai/22/220831/220831haifu3.pdf
ガイドラインの修正案
http://www8.cao.go.jp/koubuniinkai/iinkaisai/22/220831/220831haifu4.pdf

どこが修正されたかは赤字で書かれているので、わかりやすいと思う。

施行令については、ほぼ技術的な修正のみ。
変わったところは、20頁の「公共事業の実施に関する事項」の保存年限が「事業終了後五年」に追加して「事後評価終了後十年のいずれか長い期間」となった点と、21頁の「文書の管理に関する事項」、いわゆるファイル管理簿の保存年限の追加という点ぐらいであろう。
前者については公共事業などの話がよくわからないので何とも言えないのだが、「いずれか長い期間」ということなので、以前の案より後退したわけではないと思われる。
後者については問題ない。ただ、移管か廃棄かという点がガイドラインで問題に。

委員の議論でも、施行令にはほとんど触れることがなかったように思う。

次にガイドラインについて。
基本的に「修正」というより「追記」という感じ。
付け足された主な点としては

・「管理体制」に管理者の「実務的な補佐体制」を置くことも考えられると記載(5、6頁)
・「管理体制」に、専門家(レコードマネージャー、アーキビスト等)の支援も考えられると記載(6頁)
・「作成」に電子メールも行政文書に含まれることがあることが明記(9頁)
・「作成」に審議会の議事録は後から検証可能にするために「発言者名を記載した議事録を作成する必要」と明記(9頁)
・「作成」の「取得」に関する部分で、委託事業において説明責務を果たすために必要な文書は「仕様書に明記する」などして適切に取得するべきと記載(10頁)
・「保存」で電子文書の保存方法について国際標準を考慮すること、またセキュリティーをしっかりすることが記載(23頁)
・「移管廃棄延長」の「延長」の部分に「必要な限度において」との制限を追記(33頁)
・「別表第2」の69-70頁の条約関係の部分と77頁の国際会議の部分で「重要なもの」は移管という書かれ方に変更になった(委員会で議論に)。


といったところであろうか。
重要な点としては、審議会の議事録に「発言者名」をきちんと書けという点だと思う。発言者名を書かない議事録を作って情報を隠そうとする省庁もまだまだたくさんあるので。

なお一般からのパブコメのいくつかは反映された。しかし、文書管理関係のパブコメのほとんどがスルーされた。
このあたりは、内閣府と考え方が合わないということなのかなあと思う。

また、各省庁からの意見もあったが、技術的な部分や別表にあたる項目書きの部分に意見が集中していたように思う。
それ以外のガイドラインの内容に対する意見は、あまり修正に反映されていないように感じる。

委員会での議論の内容については、すでに三木由希子さんがブログに紹介されているので、そちらの方を参照のこと。
付け足すこともあまり無いという感じですので。

施行令については、これから政令化の作業に入り、その後改めてパブコメを経て、委員会で承認という手続きになります。
ガイドラインについてはこれで修正は終わり。
これに基づいて作られる各省庁の文書管理規則にはパブコメがあるのかな?委員会での承認は必要ですし、いずれにしろ勝手に各省庁が作成することが許されていないので、意見を言う機会はあるでしょう。

個人的な感想としては、細かい点でまだまだだと思う部分もあるが、今のところはこれで十分かなという気もします。
あとは、各省庁がごまかした管理規則を作ってこないか、施行令が文章になった際に内容が変わってないかをきちんと監視する必要があるかと思います。

特に、今回の各省庁からのコメントの中に、あきれ果てたコメントが一つあったので紹介。

資料2、14頁
財務省

意見
「職員が起案の下書きをしている段階のものも、一般的には行政文書に当たらないが、当該メモに行政機関における法律立案の基礎となった国政上の重要な事項に係る意思決定が記録されている場合などについては、行政文書として適切に保存すべきである。」という記述は削除していただきたい。

理由
個人のメモは、法第2条第4項の定める行政文書に該当しないため。

財務省は、公文書管理法がどのような意図で作られたか、なんも理解しておらん!

「意思決定過程」を残すことが重要だとどれほど言えばわかるのか。
個人メモとして作っていても、その意思決定過程が記録されているならば残せという主張に対して、「メモだから除外すべき」というのは理由になってない。
こういった相手が公文書管理法施行の前途に大量に立ちはだかっていることは、あらためて考えなければならない。

管理規則が作られる際に、行政文書の定義を狭くしようと画策するところは絶対に出てくると思う。
そこは注意しなければならない。


最後に、歴史研究者としてこの話には触れておく必要があるかなと思ったので書きます。
御厨貴委員長の発言について。

今回、傍聴していて、御厨氏に情報公開関係者の人が「大丈夫か?」と思っている理由の一端を理解することができた。(ちなみにこの不安の話については、以前にまさのさんや三木さんとやりとりをしたことがある→こちら
特に、ファイル管理の廃棄簿(何のファイルを捨てたかを記載した文書)を30年経ったら廃棄するということについてのやりとりが象徴的であった。

まず、三宅弘委員が、何を捨てたかはきちんと残しておかないと問題だと発言し、「歴史学者にとってもそうではないのですか」と御厨委員長に話を振った。
そうしたら、御厨委員長は、「廃棄簿が残っていても実際の資料は無いわけでしょう。文学作家とかならそういったことに興味があるかもしれないが、歴史学者はどうも・・・。だから廃棄簿を残すかどうかは難しい問題では・・・」みたいな返しをされた。

私は聞いていてそれはないだろうと思ったところ、石原一則委員がすかさず、「それでも100年残る文書は全体の一部でしかない。だから、文書構造がわかるためにも廃棄簿はきちんと残しておくべき」という意見をかぶせてくれた。
それで安心したのだが、それでもまだ御厨委員長は「残すか難しい問題ですね・・・」と話されていた。

このやりとりから、三木さんは「それにしても、やはり御厨委員長よくわからないです。」ばっさり切っている。
それを見て、やはりきちんと書く必要があるのかなと感じた次第。

御厨氏の発想は、良くも悪くも「歴史学者」の発想そのものだと思う。
歴史研究をする際に前提としてあるのは、ある歴史的事実を解明するための資料が100%の形で残ることはありえないということがある。

歴史研究者の腕の見せ所というのは、断片的な情報(公文書や、その事実に関与していた個人の記録など)を組み合わせて、歴史的事実を再構成するという点にある。
だから、「無い資料」をあてにして論文を書くということはあり得ない世界なのだ。「無いもの」は諦めて、他の資料で何とかするというのが歴史研究者の発想なのだ。

御厨氏は公文書の残存が良くないことから、「オーラルヒストリー」によって官僚や政治家から大量の聞き取り調査を行って、政治過程の再構成を図ろうとしている方である。
よって「資料は残ってほしい」という意識は強くもっておられると思う。だけど、「無いならないで何とかする」という発想があるので、ああいう発言をされるところがあるのかなと思うのだ。

また、もう一つあるのが、歴史研究者の現実の法制度に対する理解度の低さというところがあるように思う。
どうしても過去の話が中心になってしまうので、実際に自分たちが置かれている現状の制度に対する理解度が不足しがちになるようにおもう。

これは私自身の実体験ということもあるのだが、私もそもそもは「宮内庁の資料が見たい」というレベルの理解度で情報公開制度を使い始めた。
だけど、それではたいした資料は出てこなかった。
そして必要に迫られて、情報公開法を勉強することになった。そして裁判もやった。
でも、どうして自分が求めている資料が存在しないのか、出てこないのかということをやっと理解したのは、このブログを始めた時に、ネタを求めてさまざまな本を読んだり、ウェブで福田康夫官房長官時代の公文書管理制度についての議論などを見つけたあたりの頃だったと思う。

つまり、この問題が「法制度」の問題と直結しているということに気づけたからこそ、問題の構造が把握できた。
そして、このような委員会などの解説が書けるレベル程度の知恵が身に付いた。(まだ専門家の域にはほど遠いが・・・)

こういうことを言うのはおこがましいのかもしれないが、今の御厨氏のこの問題への理解度は、私が情報公開制度を使い始めた頃の理解度に近いのではないかと思う。
つまり、「制度の重要性は理解している」けど、それを自分の知識として「使える」レベルではないということだ。
だから、どうしても発言が「趣味的」に見えることが多くなりがちである。
むしろ、制度としてきちんと理解しているのは、情報公開問題に長年関わっていた弁護士の三宅弘委員や、アーカイブズの現場で培った知識のある神奈川県立公文書館の石原一則委員であったりするのだ。

御厨氏がもう少し意識して制度を理解して下さるとありがたいのだが、あまりそういったことを気にされるような方には見えない。
とすると、情報公開法改正の「行政透明化検討チーム」で三宅氏が担っていた座長代理としての役割(報告書の文章自体を書く)は、御厨氏には期待できないと思う。むしろ、内閣府の振り付けに従うことを選択されるだろうと思う。
今は内閣府が積極的に制度を良くしようとする傾向で動いているのでそれほど問題にはならないかもしれない。今後どうなるかはもちろんわからないが。

ただ、もし、御厨氏が自分が「歴史研究者」としてあの場に呼ばれているという自覚があったとしても、やはりその発想からもう一歩前に踏み出す必要があると思う。

公文書管理法の原点は、過去、現在、そして未来に対する「説明責任」である。

現在と未来に対して、もう少し意識を持っていただければと強く願ってやまない。
そうしなれば、公文書管理法や国立公文書館が歴史研究者のためにのみ存在するという「誤解」を生みかねない。
それだけは避けなければならないと思う。

もちろん、上記のことは、私の「推測」にすぎない。
というか大先生の意識を推測するのも、正直自分の今の立場としてどうなんだという気もするけれども・・・。
でも、歴史研究者として、情報公開系の関係者に、おそらくこういうことだということは説明する必要があるのかなと思っておもいきって書いてみた。
あくまでも「私見」です。また、御厨氏を貶めようという気など全くありません。念のため。


なお、今回の委員会で議題に上がった「特定歴史公文書等の保存、利用及び廃棄に関するガイドライン検討素案」については、パブコメ募集までに再修正があると思われますので、パブコメ開始後に内容についての解説を書く予定です。
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荒田

御厨氏を貶めているというより、歴史研究者というものを貶めた記事と感じます。歴史研究者とはこういうものだ、という像を根拠もなく勝手に決めてつけて、それに御厨氏を当てはめているだけ。

ついでにいうと、御厨氏は性格には歴史研究者じゃなくて政治学研究者の範疇に入る人だと思います。あの方の研究は、使っている史料も二次史料が多いし。御厨氏で歴史研究者を代表させてしまったら、怒り出す本当の歴史研究者も多いと思います。
by 荒田 (2010-09-02 09:18) 

瀬畑 源(せばた はじめ)

> 荒田さま

コメントありがとうございます。
おそらくそういうコメントは来るだろうなと思っておりました。ですので「私見」と強調している次第です。
これはあくまでも私が「思った」ことを書いているだけです。

私には「歴史研究者とはこうあるべき」という像があります。それを持つこと自体は、「自分がそうありたい」と考えていることですので、私は間違っているとは思っていません。
ただ、その私の思いが「普遍的か」という点については、もちろんそうではないと思っていますし、よって「私見」と申し上げている次第です。

ただ、「貶めている」つもりは繰り返しますがありません。
「批判」はしています。
また、私もその批判されるべき「歴史研究者」の一人です。
私自身だけがもし特別でその批判から外れていると読まれたのであれば、それは私の文才の無さですので申し訳ないと思います。

御厨氏を「政治学研究者」とみなすという件については、私はあくまでも彼は「歴史研究者」だと思います。
御厨氏の研究の原点は、明治期の地方政治と中央政治の関係などを一次史料を用いて実証的な分析したものですし、いま政局について論じている発言や書いているものなどを見ていても、その原点があるからこその発言だと思っています。
ちなみに彼を「代表」として見なしているつもりはありません。あくまでも委員会の「委員長」なのでこういう書き方をしているまでです。もしそのように取らせてしまったのであれば申し訳ありません。

それと、私自身、このようなことを書いた理由として、なぜこれだけ歴史学にとって重要な「公文書管理」の問題に、歴史学の人の関心が薄いのかということに対する疑問があるのです。
この法律によって、ひょっとすると重要な資料が公開されるかもしれない、数十年後には今の政権交代のような重要な出来事の資料が大量に出てくるかもしれない。
そういったことを、なぜ自分の問題として考えないのか。そこに疑問があります。
これは別に現代史の人だけという問題ではありません。今生きている、私たちの時代の歴史資料でもあるのです。

私は歴史学の中でも運動にも関心が深いある学会で委員を務めていたこともあります。またそれを辞めた後も、そこの学会を通じてさまざまな声明なども出してもらったりしました。
でも、私以外に、この問題を主体的に考えてくれる人は、歴史研究者の中には本当にごくわずかしかいないのが現状です。
私は、このようになっている原因が日本の歴史学の置かれている構造自体に問題があると思っておりますが、この点はまだここに書けるだけのものとして頭の中でまとまっておりません。

ただ、今回書いたことは、その構造的な問題として考えている所から転がり落ちてきたものでもあります。
背後にある文脈をきちんと説明できていないので、どうしても「根拠無く」書いているように見えてしまうのは私の責任ですが、私なりに考え抜いた上で文章を書いています。

もちろん、この文章に納得されるか否かは読者の判断にゆだねております。ですから、同意できないという御意見もあって当然と思います。

ただ、根拠無しに「貶している」わけでは絶対にありません。
「説明不足」という批判は甘んじて受けます。


きつい書き方になってしまって不愉快な思いをされていたら申し訳ありません。
ただ、私としては、荒田さまのような意見が来てくださることこそ、ネットで意見を表明していることの醍醐味だと思っています。

改めて、荒田さまに対して説明を書きながら、自分の考え方の「危うい」部分にも気づかされた次第です。
今後も色々とご指摘いただければと思います。長々と失礼しました。
by 瀬畑 源(せばた はじめ) (2010-09-02 19:10) 

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