核密約文書の発見について思う [情報公開・文書管理]
本日の毎日新聞の記事。引用します。
核密約文書 佐藤元首相の遺族が保管 日米首脳署名
12月23日2時11分配信 毎日新聞
沖縄返還(1972年)の交渉過程で、当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が69年11月に署名した、沖縄への有事の際の核持ち込みを認める密約文書を、佐藤氏の遺族が保管していたことが22日、明らかになった。草案などで密約の内容はすでに分かっていたが、両首脳の署名がある実物の存在が明らかになったのは初めて。
(中略)
この密約は現在、岡田克也外相が進めている密約調査でも対象になっており、調査では「外務省には保管されていない」という結論になっている。密約をめぐるやりとりは外務当局とは別に若泉氏の「密使」ルートで行われたため、外務省には保存されていないとみられる。しかし、両首脳の署名が残っており、米側は有効な公文書と見なしている可能性が高い。
佐藤氏の次男の佐藤信二元通産相によると、元首相から引き継ぎなどはなく、75年の元首相の死去後に、元首相が使用していた書斎机を整理した際に見つかった。机は首相在任時に首相公邸で使っていて、その後、東京・代沢の自宅に運ばれたもので、元首相が文書を保管してそのままになっていたとみられる。
佐藤元通産相によると、文書を発見した際に、密約が結ばれた69年当時駐米大使だった下田武三氏(故人)ら複数の外務省OBに「(外務省の)外交史料館で保管したい」と相談したが「公文書ではなく、私文書にあたる」と指摘されたという。佐藤元通産相は「資料として保管してほしいと思ったが、二元外交を否定しているのだと感じた」と話している。【中澤雄大】
(引用終)
この話を聞くにつれ思うのは、「首相在任時に作られた文書を公文書として保管し、国の責任できちんと公開するべきだ」ということだ。
日本の首相に関する文書は、実は内閣官房といった官僚組織を通したものしか「公文書」として認定されていない。→この点については以前書いた記事を参照。
首相秘書官は、普通は本人の政策秘書がそのまま横滑りすることが多い。
現在、議員が自分で作成した文書は、たとえ議員立法に関するものであったとしてもすべて「私文書」として扱われている。
そのため、首相秘書官になっても意識が変わらないので、、たとえば首相のスケジュールとか私的ブレーンに会った記録とかいったものは、首相を退任したときに、次に引き継ぐもの以外は自分の所に持って帰ってしまう(もしくは廃棄)。
また、そもそもとして、それを公文書と認定して保管したり、国立公文書館へ移管するといった制度自体が存在していない。
今回の密約文書を佐藤栄作首相が持って帰っていたのは、官僚組織を通さないで作成された文書であったことと、そして佐藤がおそらく次の首相に引き継ぎたくないと判断して持って帰ってしまったということなんだろう。
少なくとも、今回の文書は、写真を記事で見たが、左上に「TOP SECRET」(極秘)と書いてあるし、文書形式も私信とは明らかに言えないものである。
それでも、これは「私文書」になってしまう。
たとえば今、鳩山首相が普天間問題を巡って、同じような密約をこっそり作ってしまった場合、佐藤と同じようなことが起きうる。つまり、密約を勝手に結んで、その文書を自分の家に持って帰ってしまうということだ。
これは、国民に対する説明責任の放棄である。
またそもそも「公文書」と認定するか否かに恣意的な判断が加わることになり(外交史料館に寄贈しようとして拒否されたように)、歴史の改ざんにつながることになる。
アメリカの大統領が在任中に作成した文書は、たとえ電子メールであっても全て公文書として見なされて保管され、数十年後には公開されるような仕組みができあがっている。
日本でも首相在任時代に行った施策に関する文書は、全て「公文書」として保管して、いずれ時間がたったら公開する仕組みを作らなければならない。
そうしなければ、同じことは何度でも繰り返されるだろう。
ただ、佐藤栄作は、この文書を死ぬ前に捨てることができたのにしなかった。
彼もまた、この文書については、いずれは歴史的な検証を受けなければならないという覚悟はあったのではないかと思う。
そういう思いを持つ首相経験者は少なからずいるのではないか。
こういった人たちの文書を、是非とも保存公開できるような仕組みができることを望みたい。
核密約文書 佐藤元首相の遺族が保管 日米首脳署名
12月23日2時11分配信 毎日新聞
沖縄返還(1972年)の交渉過程で、当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が69年11月に署名した、沖縄への有事の際の核持ち込みを認める密約文書を、佐藤氏の遺族が保管していたことが22日、明らかになった。草案などで密約の内容はすでに分かっていたが、両首脳の署名がある実物の存在が明らかになったのは初めて。
(中略)
この密約は現在、岡田克也外相が進めている密約調査でも対象になっており、調査では「外務省には保管されていない」という結論になっている。密約をめぐるやりとりは外務当局とは別に若泉氏の「密使」ルートで行われたため、外務省には保存されていないとみられる。しかし、両首脳の署名が残っており、米側は有効な公文書と見なしている可能性が高い。
佐藤氏の次男の佐藤信二元通産相によると、元首相から引き継ぎなどはなく、75年の元首相の死去後に、元首相が使用していた書斎机を整理した際に見つかった。机は首相在任時に首相公邸で使っていて、その後、東京・代沢の自宅に運ばれたもので、元首相が文書を保管してそのままになっていたとみられる。
佐藤元通産相によると、文書を発見した際に、密約が結ばれた69年当時駐米大使だった下田武三氏(故人)ら複数の外務省OBに「(外務省の)外交史料館で保管したい」と相談したが「公文書ではなく、私文書にあたる」と指摘されたという。佐藤元通産相は「資料として保管してほしいと思ったが、二元外交を否定しているのだと感じた」と話している。【中澤雄大】
(引用終)
この話を聞くにつれ思うのは、「首相在任時に作られた文書を公文書として保管し、国の責任できちんと公開するべきだ」ということだ。
日本の首相に関する文書は、実は内閣官房といった官僚組織を通したものしか「公文書」として認定されていない。→この点については以前書いた記事を参照。
首相秘書官は、普通は本人の政策秘書がそのまま横滑りすることが多い。
現在、議員が自分で作成した文書は、たとえ議員立法に関するものであったとしてもすべて「私文書」として扱われている。
そのため、首相秘書官になっても意識が変わらないので、、たとえば首相のスケジュールとか私的ブレーンに会った記録とかいったものは、首相を退任したときに、次に引き継ぐもの以外は自分の所に持って帰ってしまう(もしくは廃棄)。
また、そもそもとして、それを公文書と認定して保管したり、国立公文書館へ移管するといった制度自体が存在していない。
今回の密約文書を佐藤栄作首相が持って帰っていたのは、官僚組織を通さないで作成された文書であったことと、そして佐藤がおそらく次の首相に引き継ぎたくないと判断して持って帰ってしまったということなんだろう。
少なくとも、今回の文書は、写真を記事で見たが、左上に「TOP SECRET」(極秘)と書いてあるし、文書形式も私信とは明らかに言えないものである。
それでも、これは「私文書」になってしまう。
たとえば今、鳩山首相が普天間問題を巡って、同じような密約をこっそり作ってしまった場合、佐藤と同じようなことが起きうる。つまり、密約を勝手に結んで、その文書を自分の家に持って帰ってしまうということだ。
これは、国民に対する説明責任の放棄である。
またそもそも「公文書」と認定するか否かに恣意的な判断が加わることになり(外交史料館に寄贈しようとして拒否されたように)、歴史の改ざんにつながることになる。
アメリカの大統領が在任中に作成した文書は、たとえ電子メールであっても全て公文書として見なされて保管され、数十年後には公開されるような仕組みができあがっている。
日本でも首相在任時代に行った施策に関する文書は、全て「公文書」として保管して、いずれ時間がたったら公開する仕組みを作らなければならない。
そうしなければ、同じことは何度でも繰り返されるだろう。
ただ、佐藤栄作は、この文書を死ぬ前に捨てることができたのにしなかった。
彼もまた、この文書については、いずれは歴史的な検証を受けなければならないという覚悟はあったのではないかと思う。
そういう思いを持つ首相経験者は少なからずいるのではないか。
こういった人たちの文書を、是非とも保存公開できるような仕組みができることを望みたい。
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