SSブログ

小奈辺古墳(陵墓参考地)限定公開参加記 [天皇関係雑感]

12月4日に、宮内庁による奈良県の小奈辺古墳(陵墓参考地)の限定公開に参加してきた。

「限定公開」とは1979年以降、ほぼ毎年、宮内庁が陵墓の補修工事をやる際の予備調査(トレンチという溝を陵墓の周りに縦方向に入れる調査)の現場を、考古学や歴史学の研究者に人数を限って公開するというものである。
私は現代史の研究者なので直接は関係はないのだが、「陵墓問題は現代の問題でもあるので現代史の人も関わってくれ」という古代史の方からの要望があったので、天皇制研究者として興味を持って参加した次第。

さて、まずは位置の説明から。

konabe.jpg
小奈辺(こなべ)古墳は、近鉄奈良駅の隣駅である新大宮駅の北に位置している。佐紀盾列古墳群に属する。

元々は法華寺が所有していたが、明治の廃仏毀釈で財政難に陥ったため、1884年に隣の宇和奈辺古墳と併せて「元明・元正天皇陵」として皇室に寄贈されたものである。
ただ、調べてみると元明元正とは異なるということで天皇陵にはならなかった。ただ、大きい古墳だから皇族関係の墓かもしれんということで、、「被葬者不明」のまま宮内庁がキープしている古墳である。(このような古墳を「陵墓参考地」という。)

konabe02.jpg
さて、実際に発掘現場を見たのだが・・・
まあ案の定というか、全くわからんのだ。
考古学のイロハが全くわかっていないので、会話が宇宙語に聞こえる。

ただ、前にも書いたが、周りの堀に水が張られている古墳は、水による浸食が激しいということは素人にも理解できた。
konabe01.jpg
↑水に浸食された部分。この写真の真ん中に上からぶら下がっているのは埴輪。つまり埴輪の下がえぐれて無くなっている。

報告会で考古学の人が話していたことによると、昔は本当に補修に必要最低限の調査しか宮内庁は行っていなかったが、最近は対象の古墳ができた当初の正確な大きさなど、古墳の基礎的なデータを集めるような調査も平行して行っているらしいとのことだ。
でも、宮内庁の陵墓課の人であっても、周りを調査して直すことしか許されていないようで、上の方はほぼ手つかずということみたいだ。

さて、現代史研究者としては、正直、陵墓よりも隣にある航空自衛隊奈良基地の方が気になった。
上記の地図を見るとわかるように、小奈辺と宇和奈辺古墳のちょうど挟まれる形で自衛隊の基地がある。
ここには、航空自衛隊の幹部候補生学校がある(飛行場はない)。

この地に基地があるのは、1942年に厚生省西部国民勤労訓練所が設置されたことが始まりである。
西部国民勤労訓練所ができた時に、国策PR誌である『写真週報』にはその様子が掲載されている。
それによれば、「国民勤労訓練所の目的は、中小商工業者の整理統合によって転職する人々を収容し、立派な皇国民として、国家が必要とする優良な産業戦士となる素地を養ふことにあります」(『写真週報』第216号、1942年4月15日)
http://www.jacar.go.jp/shuhou/shiryo/shiryo05.html

戦後は米軍に接収されて1956年まで米軍基地になる。周りにはパンパン(売春婦)がいたりするようなところだったという。
返還後に自衛隊に移管されて、空自幹部候補生学校が移転してきたという経緯のようだ。

ただ、日米開戦前後に作られたという経緯から考えると、おそらくきちんとした調査を行わずに土地を収用した可能性が高いように思う(当時の新聞を見ればある程度わかるかも)。
橿原考古学研究所が1997年度に基地内部の発掘調査を行った結果、外周溝や埴輪列が確認されたという。
つまり、古墳の堀の周りにもう一つ堀がある(二重環濠)ということである。
どうやら自衛隊の基地は、小奈辺古墳の一部の上に建てられている可能性が高いようである。

基地の前には次のような看板が立てられている。
konabe03.jpg
最後の部分は、
当基地は、奈良市内の北部、旧法華寺領内に在り、平城宮跡北東、宇和奈辺・小奈辺の両古墳に接し、古代から天平の歴史を伝える多くの史跡に囲まれ日本人としての感性の陶冶、武人としての修練の場に相応しい環境に恵まれています。
一九九七年(平成九年)九月吉日 建立

と記載されている。

「接し」ではなく「上」かもしれないんだけどなと。

さて、他に気づいたことは、対応する宮内庁の職員の多さであろうか。
陵墓課の陵墓官には制服があるみたいで(ジャンパーもおそろい)すぐにわかるのだが、数えてみたら私たちの前後を固めていた人が11名(うち写真係1名)、受付2名、説明役1名、責任者1名の15名いた。
ちなみにこちらの人数は37名。
まあ信用されてないんでしょうね。

最後に、やはりこういった公開は研究者への「限定」だけではなく、一般市民への公開もしてほしいなと感じた。
もっと地元を巻き込んだ形での陵墓保存運動はあって良いように思う。宮内庁側もそのあたりは寛容に考えてほしいなあと改めて感じた。

追記(2010/2/6)
一部文章表現に不適切な部分がありました。関係者各位にはお詫びの上、訂正をさせていただきます。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。