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岡田外相、天皇の国会開会式発言への注文問題について [天皇関係雑感]

昨日の朝日新聞の記事。引用します。

国会開会式のお言葉「陛下の思いを少しは」 岡田外相
朝日新聞 2009年10月23日13時34分

 岡田克也外相は23日、閣議後の閣僚懇談会で、国会開会式での天皇陛下の「お言葉」について、「陛下の思いが少しは入ったお言葉をいただくような工夫はできないか考えてもらいたい」と提起した。これに対し、平野博文官房長官は「意見は承った」と引き取った。国事行為である国会召集の際のお言葉に、天皇の考えを盛り込むことを促した発言で、波紋を広げそうだ。

 この日の閣議では、26日の臨時国会開会式での天皇陛下のお言葉を決定した。岡田氏によると、閣僚懇では「過去の例を見ても、私の記憶では大きな災害があった1回を除いてはすべて同じごあいさつをいただいている」と指摘。「政治的な意味合いが入ってはいけないなど、いろいろ難しいことはある」としながらも、「陛下にわざわざ国会まで来ていただきながら、同じあいさつをしていただいていることについて、よく考えてもらいたい」と提案したという。「従来から考えていた」とも述べた。

 国会開会式のお言葉には、「国権の最高機関として、当面する内外の諸問題に対処するに当たり、その使命を十分に果たし、国民の信託にこたえることを切に希望します」などのくだりが例年盛り込まれている。
(引用終)

まあ正直なところ、何でそういう問題提起を、難問が山積している時期にやるんかなという感じだ。

とりあえず、ではどういうことを天皇は開会式で話しているのか、昨年と今年の計4回分を宮内庁のHPから引用してみる。

第169回国会開会式(通常国会)
平成20年1月18日(金)(国会議事堂)

本日,第169回国会の開会式に臨み,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

国会が,永年にわたり,国民生活の安定と向上,世界の平和と繁栄のため,たゆみない努力を続けていることを,うれしく思います。

ここに,国会が,国権の最高機関として,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,その使命を十分に果たし,国民の信託にこたえることを切に希望します。

第170回国会開会式(臨時国会)
平成20年9月29日(月)(国会議事堂)

本日,第170回国会の開会式に臨み,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

ここに,国会が,国権の最高機関として,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,その使命を十分に果たし,国民の信託にこたえることを切に希望します。

第171回国会開会式(通常国会)
平成21年1月5日(月)(国会議事堂)

本日,第171回国会の開会式に臨み,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

国会が,永年にわたり,国民生活の安定と向上,世界の平和と繁栄のため,たゆみない努力を続けていることを,うれしく思います。

ここに,国会が,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,国権の最高機関として,その使命を十分に果たし,国民の信託にこたえることを切に希望します。

第172回国会開会式(特別国会)
平成21年9月18日(金)(国会議事堂)

本日,第172回国会の開会式に臨み,衆議院議員総選挙による新議員を迎え,全国民を代表する皆さんと一堂に会することは,私の深く喜びとするところであります。

ここに,国会が,国権の最高機関として,当面する内外の諸問題に対処するに当たり,その使命を十分に果たし,国民の信託にこたえることを切に希望します。
(引用終)

たしかに、全く同じと言って良いだろう。
特に通常国会の開会式は「回数」以外は一言一句変わってない。

だが、このような形式的な発言をしているにはもちろん理由がある。
天皇は日本国憲法によって政治的には実権を持たない(内閣の助言と承認が必要)ことになっているわけだから、国会という国権の最高機関においての発言は、できる限り形式的に済まそうという配慮がなされているということなのだと思う。
(ただ、この「お言葉」の変遷過程をきちんと追ってみるのは面白いかもしれないとは思う。時代によって変化がある可能性は否定できない。)

もちろん、岡田外相も「政治的な意味合いが入ってはいけないなど、いろいろ難しいことはある」と言っている以上、政治的な発言を天皇に期待しているわけではないだろう。
だが、そうなると一体どういった言葉を求めているのか良くわからない。

確かに、植樹祭など、その他の行事では、天皇がある程度裁量で「お言葉」を述べていることは良くある(これ自体を「国事行為」から外れる行為としてけしからんという人だっている)。
だが、国会という、国で最も「政治的」な場所での発言ということを考えれば、「自分の言葉で」といったとしても、いいところ修飾語を変えるあたりが限界だと思うんだが。
岡田外相が持っている理想の「お言葉」のイメージがいまいち判然としない。

民主党は天皇に対して「辛い」という保守派からの批判を気にして、自分たちなりに天皇に敬意を持っているとでもアピールしたかったんだろうか。
毎日新聞では、官僚政治批判(宮内庁批判)と報じられているようだが、何か宮内庁の体質を変えようとして批判しているというのであれば、そもそも外務大臣が発言する話ではないし。

どうも政治的意図が漠然としていてよくわからない。
たぶん、臨時国会の開会式が近いから、何となくのノリで昔から持っていた素朴な疑問をしゃべってしまったんだろうということなんだろうなあ・・・

ただ、こういう発言がなされると、すぐに「不敬」とかいって騒ぐ人がいるけど、そういった議論することを端から拒否するような批判の仕方もどうかなと思う。
別に「お言葉」をどう考えるかという議論をすること自体は悪いことではない。
まあどう見ても岡田外相の議論の立て方には無理がありすぎることは否定しがたいが。
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