SSブログ

【連載】公文書管理法成立後の課題―第3回 国会の公文書 [【連載】公文書管理法成立後の課題]

公文書等に関する法律(公文書管理法)が成立、公布されました。
そこで、全8回にわたって、成立後の課題について書いてみたいと思います。

第1回 政令事項
第2回 公文書管理法の実効性
第3回 国会の公文書←今回
第4回 国立公文書館等の規則の共通化(上)
第5回 国立公文書館等の規則の共通化(下)
第6回 国立大学法人の文書移管
第7回 地方公文書館設立運動の推進
第8回 歴史学的素養と行政法的素養

第3回 国会の公文書

今回の公文書管理法はあくまでも「行政機関」(+独立行政法人)の部分にしか適用されていない。
そのため、立法府(国会)と司法府(裁判所)の公文書をどうするかという課題が残された。(一応、この法律の下でも国会と裁判所の文書は国立公文書館に移管は可能。)
公文書管理法の附則の第13条の第2項では、

2 国会及び裁判所の文書の管理の在り方については、この法律の趣旨、国会及び裁判所の地位及び権能等を踏まえ、検討が行われるものとする。

との記載があり、施行5年後の見直しの際までに、立法と司法をどうするかの検討を行う必要がある。

そもそも、この二つがなぜ入らなかったかというと、それは「三権分立」が理由とされたためである。
今回の法律は「閣法」だったので、行政府である内閣が出す法律に残り二つを入れることについて慎重な意見が多かった。

だが、この二つももちろん国民に対する説明責任を有する機関であることは疑いない。そこで今後どのように公文書を保存し、公開するかが検討されなければならない。
今回はこのうち立法府についての話を中心に書いてみます。


国会の公文書は定義が難しい。
ただ、とりあえず、衆議院と参議院の事務局が持っている文書はすべて対象となることは疑いないと思われる。

現在は、衆議院は「議院行政文書」に限って情報公開を行っている。→こちら
参議院は未だに制度が作られていない。

公開制度のない参議院は論外であるが、衆議院でも立法調査などの最も国政に重要な文書を公開対象から外している。
まずは、立法調査の資料も含めた事務局資料に対しての情報公開制度の導入の検討を図ることから始めたらどうかと思う。

さて、その先で問題となるのが、とりあえず気付いたことで2点ほどあると思う。
1.議員立法等、議員による立法活動に関する文書は公文書か?
2.首相(大臣)の政策秘書官の文書は公文書か?


まず、1について。
法律を作成する過程が重要であることは当然である。
閣法の場合は、当然その法案の政策過程は各省庁や内閣官房などに文書が残される。
しかし、議員立法の場合は、法案を作っているのは各議員や政党である。
もちろん、各省庁や内閣法制局とのやりとりは行政文書として残るが、議員側で検討している文書は全く残らない。これらは作成した議員事務所の私文書として扱われることになってしまう。

しかし、国民への説明責任ということを考えるのであれば、こういった議員立法関係の文書もきちんと作成して保存し、公開する制度が必要となると思われる。
そのためには、議員立法の際に作らなければならない文書をあらかじめ定めておき(原案、党内協議、省庁とのすりあわせなど)、その文書は法案が制定されたとき(廃案になったときも)に、自主的に議院事務局に移管して、保存年限が来たら国立公文書館に移管するといった制度にするといったことが考えられる。
さすがに、内閣府の公文書管理課や国立公文書館が、書類がちゃんと揃っていないからといって議員事務所に査察に入るわけには行かないだろうから、議院事務局の中にそういった書類をきちんと揃えさせるよう指導できるような担当部局を置くなりして、議員自身が自主的に文書を提出する努力をしてもらうしかないと思われる。

次に2について。
首相の政務担当秘書官や各大臣の秘書官は、普通はその議員の政策秘書がなるケースが多い。→wiki参照
有名な人としては、小泉純一郎首相時代の飯島勲秘書官があげられるであろう。

さて、その首相や秘書官が作っていた文書は、果たして「公文書」であろうか。
たぶん、今は「私文書」扱いされているのではと思う。つまり、首相を辞めたときには自分の事務所に持って帰ってしまうのではないだろうか。
でも、首相の行動などを全て把握していたのは当然秘書官なわけで、秘書官の作成した文書は極めて公的な色彩が強いものだと思われる。

アメリカでは大統領記録法という法律が1978年に作られ、現在では大統領の在任中の記録は電子メールに至るまで全て公文書として保管されることになっている。→wiki「大統領図書館」参照
オバマ大統領が自分の携帯電話(ブラックベリー)を手放すか否かで就任前に揉めていたことを覚えている方もおられるかもしれないが、あれは携帯電話の盗聴などの問題だけではなく、その私的な携帯電話での通話記録や電子メールの記録を「私文書」扱いされる可能性があったために揉めていたという側面もあったのだ。
最終的には、ブラックベリーでの電子メールはすべて「公文書」として記録が残されることになったようだが、それだけ「大統領の記録」に対して、それを国家の財産だと見なす考え方が定着していると言える。

日本では首相の文書は、系統だって残されているものは非常に少ない。
戦後の首相だけで考えてみても、自分の持っていた文書を他の学術機関に寄贈したという人は、今のところ公になっているのは幣原喜重郎(国会図書館憲政資料室)、芦田均(同)、三木武夫(明治大学)ぐらいであろうか。
大平正芳は地元香川の事務所の文書は大平正芳記念館で公開されている。岸信介も地元山口に少ないがいくつか資料が残っている。
日記が公刊されているのは、東久邇宮稔彦(原本は防衛省防衛研究所図書館蔵)、芦田均、鳩山一郎、石橋湛山、佐藤栄作といったところ。書簡集は吉田茂のものがある。
詳しくは、伊藤隆・季武嘉也編『近現代日本人物史料情報事典』(吉川弘文館、全3巻)などを参考にするとわかる。

ただ、これらはいずれも「私文書」として残されたものを遺族が公開したものである。もし遺族がNoと言えば当然出てこなかった資料群でもある。
つまり、たまたま偶然出てきたものにすぎないのである。
例えば、「所得倍増計画」で有名な池田勇人や「日本列島改造論」の田中角栄は、いまのところどこにも資料が寄贈されたという話はない。
やはり、できることならば、首相や各大臣の在任時の記録は、公文書として扱い、国立公文書館に移管されるべきものだと考えられる。もちろん機密保持の問題があるから一定年限は公開しないという扱いでも良いだろう。

もちろん、アメリカの大統領制と、日本の議院内閣制では色々と組織的にも違っている点はあり、簡単に同じようにすることは難しいかもしれない。
ただ、現在は以前ほど資料が残りにくくなっている。
昔は書簡を書いたり日記とかを付ける政治家は多かった。
しかし、次第に電話へ移り、現在では電子メールである。スケジュールだって紙の手帳でなく、電子手帳に記録する人も増えている。
紙ならば数十年の時を経て残ることはありうる。しかし、電子メールや電子文書は、ハードディスクが壊れたら全て消失するのである。

昔の紙文書のように、「たまたま押し入れを探していたら見つかった」みたいな発見は今後は無くなっていく。パソコンの寿命も短いから、あっというまにハードごと捨てられてしまう。
だからこそ、首相や大臣の記録は、公文書として保存の専門家がいる機関に渡して残さないと、全て無くなってしまうのではないかと思う。

これは「行政」と「立法」のどちらに属するのか微妙な話ではあるのだが、議員秘書が首相秘書官になっているケースが多い以上、これは「立法」の側の話だと考えておく必要があるのではないだろうか。

この2点をどう保存するかについては、立法府の構成員たる国会議員自らが話し合って決めるしかない。施行5年後の見直しの際には、「立法府公文書管理法」のような法律を作るといったようなことが絶対に必要である。
是非とも議長の下に研究機関を作るなど、何らかの検討をしっかりと行ってほしいと思う。

また、司法府についてであるが、これはほっておいても自主的に最高裁がやってくれるかは非常に微妙なのではないかと思う。あまり情報公開にも熱心かと言われると「?」である。
だから、国民の代表である議会の側が、何らかの働きかけをするような動きは必要なのかもしれないと思う。もちろん、三権分立から考えると強制はできないわけだが、立法の側の検討を行っているときに、一緒に検討しようと誘ってみることぐらいはできるのではないかと思う。

施行5年後というのはそんなに時間があるわけではない。是非とも施行後すぐに検討を始めるぐらいの気持ちでいてほしいと願っている。

第3回はこれまで。→第4回


近現代日本人物史料情報辞典

近現代日本人物史料情報辞典

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 吉川弘文館
  • 発売日: 2004/07
  • メディア: 単行本



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。